夢望
@SakuaHaru
プロローグ
「俺、昔とほに会ったんだぜ」
望は右手に持ったビールを掲げて自分の方を向いている後輩にそう話しかけた。すでにアルコールは体に周っており、顔が紅潮しているのを感じるが頭はまだはっきりしていた。ここで止めれば翌日に引きずらないことはわかっているのに、持ち上げたビールはいつの間にか口元に運ばれている。
「とほ?」
初めてこの話を聞く後輩は不思議そうに聞き返してきた。近くにいた同僚はうんざりした顔で露骨に目をそらす。何度も聞いた話をされるのがいやらしい。そんな望らを面白そうに上司が眺めていた。
「しせいのとほだよ」
「徒歩の姿勢ですか?」
後輩の口ぶりは興味のまなざしから酔っ払いのたわごとをあしらうものに変わってきた。
「違う違う。詩の聖人と書いて詩聖。国語でやっただろ?中国の詩人杜甫」
そこまで聞いてようやく納得した顔になる後輩だったがすぐに再び酔っ払いを見る目つきに戻る。
「その詩聖に会ったんですか?」
「そう!杜甫にな!」
「そうですかー。それはすごいですねー」
後輩はそう言いながら席を立つ。
「ちょっとトイレ行ってきます」
望と同じく片手にビールを持っていた後輩だったがわざとらしく頭を抱えてふらつくとトイレの方に向かって行った。
近年は会社での忘年会をしない方がいいという話も出ているようだがこの会社ではいまだに毎年開催している。自分の話を聞いて逃げ出した後輩を思い出して苦笑する。確かに先輩からこんな話をされたら逃げたくなるだろうし、そんな話を聞くくらいなら忘年会なんてない方がいいのかもしれない。
話し相手がいなくなってしまった望は周囲を見る。規模が大きめの飲み会で6人用のテーブルを4つ占領している。それぞれが好きなように座るせいであちこちで席替えが行われていた。誰かと目を合わせようとしたが目をそらしたり自分の話に熱中している人しかいない。仕方なく右手に握られているビールを口に含んだ。苦みとともに口の中で無数の泡がはじけ心地がいい。音を出して泡が減っていくのを眺めながら自分がビールを眺める。ビールをおいしく感じ始めたのはいつだっただろうか知考える。俺は昔はビールが苦手だった。苦いだけでどこがおいしいのかわからない。それでもおいしそうにビールを飲む人を見かけると少しだけうらやましく思ってしまうのだ。そんなビールの味もわからない、酔うためだけにアルコールを摂取していた時期を思い出す。
「ふふっ」
思わず一人で笑う。誰にも見られていなかったが、目撃されていたらさっき以上に距離を開けられることになっただろう。そうだ。あの頃の思い出をこんな風に笑えるようになったころ、ビールがおいしく感じ始めたんだ。子供のころというには大きすぎる、大人と呼ぶには愚かすぎた自分の大学時代がふつふつと蘇ってくる。あの日も俺たちは、どこがおいしいのかわからないビールを飲んでいた。
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