自由と感情

 構成至上主義から見た感情主導型あいつは、適当で、ちゃらんぽらんで、何よりも自由に生きていた。

 小説なんて、俺が考えもしない適当さだ。設定は一、二行。世界観の説明すらない。あいつが唯一持っているメモは“書きたいセリフ”だけ。それだけで何万文字と世界を作り上げる。ありえないと思いながらも、どこか羨ましくもあった。あんなに自由で、適当で、それでも皆の心を掴んで離さない。羨望も妬みも全部、あいつには混ざっていた。だから俺はあいつが嫌いだった。

 ――それなのに。


 今目の前にいるあいつは、何よりも“縛られていた”。


 ただの偶然だった。少し風に当たりたくて屋上に行っただけで、そこにあいつがいた。軽く言葉を交わして、それで終わりにするつもりだった。でも、風に吹かれて靡いた髪の隙間から見えた瞳は、どこまでも暗くて、何も感じられなかった。

 あれだけ人を揺さぶる感情を書き、あれだけ人を笑いながら馬鹿にしていたあいつ。あれは偽り仮面だったのか。いや、違う。あいつは小説にすべてを置いてきてしまったのだ。命を削ると言われる作家というものがあるのなら、あいつは命の代わりに“感情”を削ったのだろうか。


「おい、こんなところで何してやがる」


 咄嗟に声をかけると、あいつはビクッと肩を揺らした。そして振り返った顔は、いつも通りの“あいつ”だった。


「あれ〜? そっちこそ、景色を眺めるみたいな高尚な趣味は持ってないはずだけど?」


 あまりにも普段通りすぎて、今の暗い瞳を見たのは夢だったのかと思うほどだ。それでも、あいつの瞳の奥はどこまでも暗い。表面に貼りつけた軽さの影のようだった。


「……お前はなんで小説を書いてんだよ」


 そこまで傷付きながら、どうして。

 そこまでは聞けなかった。でも、あいつは気付かずに小さく笑った。


「夢物語のためだよ」


 その笑いに、俺がどんな感情を抱いたのかは覚えていない。それでも――あいつに無駄な当たりをするのは、やめようと思った。

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