第37話 ベックス・ムリーヨの新しいプロローグ

 □


 その日の記憶はベッドで横になって以降まったくない。

 魔術の度重なる使用とナイフで刺された痛み、いろいろ重なってそのまま寝たようだ。


 起きると右足には大げさに包帯が巻かれ、移動はダニエラに肩を借りながらすることになったらしい。

 陽が上り始めた頃、部屋で食事をして、すぐに馬車で帰ることになった僕たち。

 昨日の内に父様は公爵様と話をして、人目のない明け方に帰ることになっていた。


 僕がダニエラの手を借りて、馬車に乗り込むとゴドフレド様が屋敷の前で立っている。

 昨日見た父様と似たような暗い顔だ。

 何も言えないし、言うと僕が困るから安心させたくて笑いながら手を振っておいた。

 ゴドフレド様も気にせず振り返してくれたから、たぶん心のしこりも少ないだろう。


「帰るぞ、ベックス」

「はい」


 それから4日掛けて屋敷に帰ると、到着と同時に母様が飛び出してきた。

 その顔は父様以上に暗く、悲愴さが滲んでいる。


「ベックス!」

「帰ったよ」

「良かった! ああ、ベックス。無事なのね‼」

「エルバ。執務室で話そう」

「え、ええ」


 屋敷のメイドにも負傷をしているように見せるため、ダニエラの手を借りながらゆっくり歩いていく。

 先を歩く母様が苦しそうに見つめるが、母様には事情を話すだろうから苦しくなくなるはずだ。


 執務室に入ると、父様母様、僕、ダニエラ、アルバロ、ペドロ、ベニートだけが残される。

 アルバロがメイド長に誰も入ってこないよう厳命し、事情の説明が始まった。

 襲撃の話を聞いた母様は真っ青な顔をしていたが、実際は動けることを見せると安心してくれる。

 ただ、怪我をしたフリの話になると、また顔が暗くなった。


「仕方のないことだけど、ベックスはそれでいいの?」

「うん。後を継ぎたくなかったから」

「え? そうなの?」

「私も初めて知ったんだけど、貴族の生活だけしたいようだ」

「ぬふふふ」


 この話がお気に入りなのか、アルバロはまた笑っている。

 母様は驚きつつも、呆れたような顔に変わっていった。


「あなたの子ね」

「まあ、そうだな。これからの方針を帰りの間に考えていた。それをみんなに話そうと思う」


 弛緩した空気が父様の言葉で引き締まる。

 これが貴族家の当主だ。

 やっぱり、僕はできそうにない。


「私はこれから3人の襲撃者を探りながら、貴族たちを調べていく。医者や解毒薬を調べることもする。ベックス」

「はい」

「ベックスは今日から外に出ない事。屋内にある私の訓練場で武術を学びながら、杖で歩く練習をしなさい」

「はい」

「武術は変わらずペドロが教えること、ベニートとダニエラはベックスの生活を助けなさい」

「はい」

「はい」

「以上かな?」

「私からひとつ」


 こういう時にあまり前へ出ない母様が手を挙げる。

 進み出た母様は僕の前でしゃがみ込み、手を取った。

 心配を隠さない表情から、やっぱり僕は母様に愛されていると実感する。


「ベックス。周りから色々言われると思うけど、大丈夫?」

「うん」

「ならいいわ。ただ」

「なに?」

「辺境伯家を継ぎたくないなら、仕事を手伝うくらいはしてちょうだいね」

「もちろん」


 心配が減った僕は自然と笑顔になった。

 父様母様も笑顔で、ここにいるみんな笑顔だ。

 これですべてが丸く収まるならよかったが、そんなことはない。


 死にゲー世界になる可能性は僕が生き、父様が元気な限り残っている。

 だから僕はもしものために、勉強と運動をしなければならない。


 油断と慢心があっても、暴力をはねのけられるくらい強くなるんだ。

 死にゲー世界とは違うベックス・ムリーヨの強さを逆に見せつけてやる!


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