第3話 奈落へ

「そ、そんなもので脅したところで私の気持ちは変わりませんよ」


 とは言いつつ、太ももが震えている。

 私には戦う才能はないし、明確な命の危機に遭遇したこともないから。


「別に脅しとかではないよ。単純に……」


 私の顔から少し逸れた軌道で突き出された剣。

 つう、と頬が薄く裂けて血が流れだす。


 シュタインドルフ伯爵が微笑みながら顔を近づけてくる。


「僕に従わない女は殺すって決めてるんだ」


 そう間近で言われ、私は鳥肌が立った。

 コイツ……本気でヤバイ奴だ。逃げよう!


 震える太ももを手で叩いて、無理やりにでも動かす。

 そして目の前に立っていたシュタインドルフ伯爵を追い抜き、走り出す。


「ははっ、いいねえ! 追いかけっこかい?」


 何も良くない!

 なんで告白を断ったくらいで命を狙われなくちゃいけないんだ。

 というか、急に人格変わり過ぎじゃないの。


 全力で走る私の後ろから、シュタインドルフ伯爵が追いかけてくる。


「僕はねえ、君のことが好きだったんだよ! 君の顔が、君の声が!」


 こっちは本気で走ってるのに、どうして向こうは走りながら喋れるのか。

 私にも冒険者の素養があったらなあ! 


「ギルドで一目君のことを見て、可愛いと思ったんだ。だから気になってダンジョン見学に参加してみたら声も美しくて、もっと聞きたくなった。僕のものにしたくなった!」


 はあはあ、そろそろ疲れてきた。

 それなのに、シュタインドルフ伯爵を引き離せてる感じが全くしない。


 ちょっとでも、時間を稼がないと。

 私はあえて魔物に襲われないための街道から道を踏み外していく。


「おや、そっちは出口じゃないのに、いいのかい?」


 光の魔石が置いてある街道沿いからも外れてさらにダンジョンの奥へと進む。

 そして、私はある位置で立ち止まって、シュタインドルフ伯爵を待つ。


 すぐに彼は追いついてきた。

 

「おや、諦めてくれたのかい? 今なら――」


 私は喋っている途中のシュタインドルフ伯爵に向かって石を投げつける。

 鈍い音から、ちゃんと命中したのが分かる。

 

「痛った……何すんだこの女あ!!」


 すると……バサッと一斉に何かが飛び上がる音がした。

 それらが大声を出した伯爵に向かって一直線に飛んでいく。


「な、なんだこの魔物たちは!」


 ブラッドバッド。

 蝙蝠のような姿をした飛行する魔物。

 

 光が苦手なので普段は一層の奥深くでじっとしている。

 目が無いが、音には敏感……特に人の大声に反応する性質がある。

 それを利用して、シュタインドルフ伯爵を襲わせた。


 ダンジョン見学ではほとんど見ることも無く、故に説明したこともない。

 だから、伯爵に刺さる一手だった。


「くそ、くそ、何匹いるんだ! こいつらは!」


 ブラッドバッドは人の血を吸う。

 一匹一匹は弱いが群れで行動する性質上、一人で対処するのは困難。


 良い感じにシュタインドルフ伯爵が弱ったら、助けてあげよう。


 と、その前に。

 私は一匹のブラッドバッドを焦点を合わせて、手を翳す。

 小さな声で。


「テイム」


 魔法陣がブラッドバッドに収束するが、バリンと砕け散る。

 どうやらテイムに失敗したらしい。


 やっぱり私にテイマーの才能はないなあ……。

 ちょっとがっくりしつつ、ブラッドバッドに襲われる伯爵を見ていると。


「……はあ、こんなところでやりたくなかったけど、仕方ないな。剣技『魔円』」


 シュタインドルフ伯爵が一瞬でブラッドバットたちを切り伏せた。

 

「な……」

「こんな低級の魔物に負けると思った? 僕だって一応、貴族なんだけどな」

「くっ」


 逃げようとした途端に足を斬られる。

 思いっきり前のめりにずっこける。


「痛った……」


 浅慮だった。

 貴族が高等な教育を受けているのは知っている。

 その中で、戦い方を学ぶのも。


 私なんかに声をかけてくるような貴族がまともでないと勝手に思い込んでいた。

 ブラッドバットに襲われているのを見てないで、逃げるべきだったんだ。


 倒れた私は首根っこを掴まれて、どこかに運ばれていく。

 シュタインドルフ伯爵が一人で語りながら。


「本当はね、君の泣き声を聞きたかったんだ! その美しい声で泣かれたら、どれだけ僕をワクワクさせてくれるんだろうって。本当は今、泣かせてやってもいいんだけど、君はそういうタイプには見えないし……あのバットたちがまたやってきても面倒だしね」


 この気持ち悪いサディストが!

 私をお前の性癖に巻き込まないでくれ。


 と言ってやりたいが、足の傷が痛くてそれどころではない。

 その後も何かペラペラと語りながら、ダンジョンの奥へと運ばれていく。


「だからさ、最後に君の泣き声が聞けるとってもいい場所で君を殺すことにするよ」


 私は再び、首根っこを掴まれて宙に浮かせられる。

 だけど、さっきまでとは違うのは、そこに地面がないということ。


「ここがどこかは知っているだろう?」


 もしかして……。


「奈落……」

「正解! 人類が到達したことのない深層へと続く大穴。恐らく君は落下死するだろうし、もし生き残ったとしても深層の強力な魔物に襲われて死ぬしかない! さあ、その恐怖で泣きわめいてくれたまえ!」


 ここから落ちたら死ぬ。

 けど、コイツを喜ばせてから死ぬのは嫌だ。


「早く落とせよ、下衆……」

「うん。言われなくても!」


 首から手が離されて、私はダンジョン深層へと落下していく。

 出来るだけ歯を食い縛りながら、声が漏れないように――。

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