第2話 桜嵐の旋風

 

 巨大な城門を抜けると、そこは別世界だった。


 石造りの西洋建築と、瓦屋根の和風建築が軒を連ねる奇妙で美しい街並み。

活気あふれる売り声。馬車の車輪が石畳を叩くリズム。

醤油の焦げる匂いと、バターの甘い香りが風に混じって鼻をくすぐる。


 王都アイギス。

ここでは、着物に刀を帯びた「侍」と、鎧を纏い長剣を携えた「騎士」が当たり前のように肩を並べて歩いている。


 西方の騎士が操る華やかな「魔法」の気配と、東方の侍が放つ研ぎ澄まされた「武」の空気。

異なる文化、異なる力が交錯するこの国では、その混沌(カオス)さえもが日常の一部として息づいていた。


 山里の静寂で育った蓮花にとって、そのエネルギーの奔流はあまりにも眩しい。

彼女は風呂敷をギュッと握りしめ、まるで迷子の子鹿のようにキョロキョロと周囲を見渡した。

今日から城主直属の侍隊──憧れの任地だ。


(浮かれてはいけない。私は任務のために来たんだから……しっかりしなさい、蓮花!)


 そう自分に言い聞かせ、姿勢を正した──まさにその瞬間だった。


「どけぇッ! 邪魔だ邪魔だァ!」

怒号とともに、人混みを突き飛ばして走る男。その手には豪奢な革袋──ひったくりだ。


「待ちなさい!」


 蓮花の体が反射的に動く。

影風流の歩法は、音を立てず、雑踏を縫うように加速する。


(速い……でも、追いつける!)


男が狭い路地へ逃げ込もうとした瞬間、蓮花は即座に予測し、先回りする軌道を描く。懐の手裏剣に指をかけた──その時。


「──そこの泥棒さん。女の子の財布を盗むなんて、感心しないのよさ」


 鈴のように澄んだ声が、屋根の上から降ってきた。


蓮花が見上げる。そこにいたのは、一人の少女。


燃えるような赤髪。宝石のような深紅の瞳。

袖を襷で留め、スカート状の袴を合わせた華麗な戦装束。

風に揺れるその姿は、まるで絵巻から抜け出した戦姫のようだった。


「え……?」


 蓮花が言葉を失っている隙に、少女はトンッと重さを感じさせずに降り立つ。

逃げる男の前に、まるで一輪の花が咲くように立ちはだかった。


「なんだテメェ! どけ! 切り刻むぞ!」

 男がナイフを抜き、切っ先を向ける。

「危ない!」


 蓮花は思わず叫んだ。

だが、少女は不敵に笑う。その手が、腰の二本の刀

 ──桜色と青銀色の柄に触れた。


「──『桜嵐一閃流(おうらんいっせんりゅう)』」


 空気が、変わった。

路地裏の澱んだ匂いが消え、清浄な春の風が吹き抜ける。


「【壱ノ型】風桜(かぜざくら)・桜舞風華(おうまいふうか)」


 少女が二刀を抜刀した、その刹那。

風が爆ぜた。

霊力が光る花弁となり、暴風に混じって舞い散る。

 ザアアァァァッ──!


それは、あまりにも美しい嵐だった。

鋭い鎌鼬(かまいたち)を伴う桜吹雪が、男へと殺到する。

 ナイフなど意味を成さない。男は悲鳴を上げる間もなく宙を舞い、数メートル後方

のゴミ捨て場へと「豪快に」叩き込まれた。

宙を舞った革袋を、少女はひょいとキャッチする。


「一件落着なんよ」


 刀をチャキンと納めると、同時に嵐が嘘のように止んだ。

蓮花はしばらく口が動かなかった。


(何……今の……? 剣技? それとも魔法?)


影風流のような「隠密」とは対極にある。

華麗で、圧倒的で、それでいて残酷さを感じさせない“美しさ”があった。


「お、そこの君!」


少女が振り返り、満面の笑みで駆け寄ってくる。


「君も泥棒を追ってたんよね? さっきの足運び、軸がブレなくてすっごく綺麗

だったのよさ! どこの流派なんさ?」


(ち、近っ……!)


顔をのぞき込んでくる少女は、見目麗しいのに、どこか無防備で距離感がおかしい。

蓮花は我に返り、思わず声を裏返らせた。


「あ、あのっ! 街中でいきなりあんな大技を……! 危ないじゃないですか!」

「ん? 大技?」

少女はキョトンと小首を傾げる。


「風と桜の……その……嵐です! 下手したら周囲の人が巻き込まれて……! その、犯人もあんな……」


 蓮花が指差した先で、男はゴミ袋の山に埋もれ、目を回して気絶している。

少女はケロッと笑って手を振った。


「大丈夫大丈夫! 私の“風桜”は、悪意のある相手しか斬らないように霊力を調整してるのよさ。それにほら、ゴミ袋がクッションになって怪我一つないでしょ?」


「は、はぁ……(そこまで計算して……?)」


「派手に見えても、誰も傷つけずに制する。それが桜嵐一閃流なんよ」

少女は誇らしげに胸を張る。

確かに無茶苦茶だが、その瞳に曇りはない。蓮花は毒気を抜かれ、

ふぅと息をついた。


「お、桜嵐一閃流……? すみません、聞いたことありません」


「えっ!? うそ!? あんなに有名なのに!」

 少女は分かりやすくショックを受け、むくれて頬を膨らませたあと──

ガシィッ、と蓮花の手を両手で握りしめた。


「よし、決まりなんよ! 君、ちょっと付き合うさ!」


「えっ!? いや私はこれから城へ──」


「城行く前に腹ごしらえなのよさ! うちの実家の桜餅、絶品だから奢ってあげる! そこでじっくり流派の宣伝を聞いてもらうんよ!」


 聞く耳を持たず、少女は蓮花を引っ張って歩き出す。


「私、リシャ・ソメイ。君の名前は?」


「わ、私は……風間蓮花です! って、ちょっ、力強いですリシャさん!!」


「レンカちゃんね! いい名前なんよ! ほら急ぐさ、妹(ヨシノ)に全部食べられちゃうのよさー!」


 細腕からは想像もつかない怪力(身体強化?)でずるずると引きずられながら、

 蓮花は天を仰いだ。


 山里での静かな修行の日々とは正反対の、華やかで、騒がしくて、強引な嵐。

桜嵐一閃流の継承者、リシャとの出会い。

真面目な蓮花の受難の日々は、こうして幕を開けるのだった。

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