第5話 それは拙い求婚で
5 それは拙い求婚で
夕暮れの赤い日差しが、私と明比佐を照らす。
そんな中、彼は例の空き地に立ちながら、バカげた事を口にした。
彼は〝一人前になるまでこの土地が売れなかったら――ここで私と一緒にレストランを開こう〟と言ったのだ。
将来、一緒に、レストランを開きたい。
私の口からそんな台詞が出たら、鈍感な明比佐はきっと意味が分からなかった筈だ。
でも、私は明比佐とは、違う。
いや、私以外の女子でも彼が何を言いたいのか、理解出来るだろう。
その意味を、私は呆然としながら言語化する。
「……それって、つまり――私にプロポーズしている?
将来の話をするって事は、そういう事よね?」
「だー!
人がせっかく遠回しに言っているのに、ハッキリ言うんじゃねえ!
そうだよ、その通り!
俺だって、今こんな事を言うのはバカげてると思っている!
でも、仕様がないだろ!
こうでも言わなきゃ、不安なんだ!
狩南は本当に俺を見限りそうで、不安でしかたがないんだ!
笑いたきゃ笑え!
まだつき合ってから一年しか経っていない上に、高校生の身分でこんな大口を叩いているんだ!
誰が聴いても、そりゃ笑うしかねえよな!
でも、それでも――俺は本気だから」
最後にぼそりとそう付け足して、明比佐はソッポを向く。
その仕草はちょっとした乙女の様で、私が彼を可愛いと思っているのはこういう所なのだ。
それにしたって、明比佐の言う通りだ。
私達が交際を始めてから、まだ一年しか経っていない。
その上、私達はまだ学生という身分である。
その私達が、真面目に将来の事を語っているのだから、これはもう笑うしかないだろう。
事実、私は両手で口を被って、笑いを噛み殺した。
「……やっぱり、明比佐ってズレてる。
普通の女子にこんな真似したら、絶対ドン引きされるわよ。
思い込みが強すぎるって、本当に笑われるわ」
「だから、笑いたかったら笑えって言っているだろう。
俺だって、本音を言えば呆れているんだ。
自分がこんなにおめでたい奴だったなんて、思いもしなかった。
けど、俺のそういうバカさ加減を自覚させたのは、狩南なんだからな。
全部お前の所為なんだから、少しぐらい責任をとりやがれ」
やはり明比佐は私から目を逸らして、そう言い切る。
私も自分の不始末を明比佐の所為にしていたが、どうやらそれは明比佐も同じらしい。
やっと料理以外の共通点を見つけて、私は思わずほくそ笑んだ。
「……そっかー。
明比佐は私が思っていた以上の、大バカ者かー」
私の罵倒を受け、明比佐は初めて私に視線を戻す。
私を見て、彼はギョッとした様だ。
「……って、何で泣いている、狩南?
やっぱり、俺にこういうこと言われるは厭だったか?
俺が相手じゃ、やっぱり駄目なのか……?」
涙する私を見て、あたふたする、明比佐。
ソレは私も、内心では同じだった。
だって私自身まさか泣くとは思っていなかったから。
こんな冗談みたいな話を聴いて、紫塚狩南が泣くなんて、私は思いもしなかった。
でも、この無意識に流した涙が、どんな言葉より雄弁に私の気持ちを語っていた。
「そう、ね。
実は、私の第一目標はいつか私の料理で、明比佐を笑顔にする事だった。
私の料理を食べる度に仏頂面になる明比佐を、私の料理で笑わせるのが目標だった」
でも、違った。
私が明比佐を笑顔にする前に――私が心からの笑顔を彼に向けていた。
私はとんでもない勘違いをしている事に、気付いたから。
明比佐は私の料理にしか関心がないと思っていたけど、本当は違ったんだ。
彼は私が考えてもいなかった、将来の事まで考えてくれた。
今の時点で、私と一緒になりたいとまで思ってくれたのだ。
大人が聴けば、きっとオママゴトの様に思うかもしれない。
未熟な人間が紡いだ、拙い戯れ言だと思うだろう。
けど――私はその戯れ言が心から愛おしい。
私をここまで愛してくれた彼が――心から愛おしい。
だって彼はまだ、私にキスさえしていないのだ。
私に何一つ手を出していない時点で、私をこれほど想ってくれている。
それはきっと、並みの男子に出来る事じゃない。
常に私の事を純真な目で見ながら、それでも私を愛してくれている一人の少年。
この精一杯の背伸びを、私はやっぱり笑顔で受け止めるしかない。
ならば、私の答えは一つしかないだろう。
「で、コック長は誰がやる事になるのかしら?
私?
それとも、明比佐?
いえ、今の状態じゃ、当然私がコック長って事になるわよね」
「―――」
ソレを聴いて、明比佐は眼を開いた後、ニヤリと笑う。
「ぬかせ。
一人前になった俺を、舐めるなよ。
その頃には、お前が俺の料理で毎日ヘコんでる様になっているぜ、狩南」
夕暮れの中、私と彼は、そんなやり取りをした。
私は生まれて初めて男子に求婚され、その彼と一緒にユメを見る事を要求されたのだ。
きっと、いや、絶対に私は今日の事を忘れはしないだろう。
例え彼と別れる事になろうとも、この出来事は生涯紫塚狩南の美しい思い出になる。
今日の様な日があるからこそ、私はこれからも笑顔で生きていけると思えるのだ。
その事実を噛み締めながら、私は東国明比佐に手を差し出した。
「じゃあ、約束。
私は決してこの日の事は忘れないから、明比佐も忘れないって約束して」
明比佐は何時になく優しい目で私の事を見つめた後、私の手をとった。
「ああ。
男に二言はない。
俺が、東国明比佐が絶対に――紫塚狩南を幸せにするから」
「………」
本当に、この男は、更に私を泣かせるつもりなのか。
そう思いながら苦笑いを浮かべて、私は肩をすくめた。
初めて握った彼の手の温もりを確かに感じながら、私はもう一度笑ったのだ。
本当に、この時、この場所でしたこの約束が、輝かしい物になるとは思いもしないまま。
そして――私達の世界は一変した。
私が彼のプロポーズを予想出来なかった様に、彼もまたこんな日がくるとは思わなかったから。
何時の間にか、私の背後から人の気配がする。
その男性はすれ違いざま、私の肩に触れる。
「と――失礼」
それだけ言い残して、男性はその場を通り過ぎた。
私にとってはそれだけの事だったが、男性にとっては違うらしい。
男性は、数歩歩いてから立ち止まり、此方を振り返った。
「……反応が、無い?
まさか。
彼女が殿下である事は間違いないのに、これはどうした事か?」
それは七月も上旬だと言うのに、コートを着た、黒ずくめの男性だった。
片方は黒く、片方は透明なサングラスをかけたその男性は、私の事を不思議そうに眺める。
男性と目が合った事で、私は初めて悪寒らしき物を覚えた。
何か、不味い。
何かが、危険だ。
何の根拠もないのに、私はそんな事を唐突に思った。
この男性は、きっと私を破滅させる――。
「どうやら本当に、何も思い出せていないらしい。
これは私の所為か、彼女に不具合が起きたか。
どちらにせよ、時間が必要な様だ。
幸い彼もまだ目覚めていない様だから、まだ運に見放された訳ではないな」
私から五メートルは離れた場所で、男性が意味不明な事を呟く。
いや、男性は一歩踏み出し、確実に私へと近づこうとする。
ソレを見て、私は多分怯えながら一歩後退する。
でも、ソレが精一杯だった。
男性を見ただけで、私はソレ以上動けず、ただ呼吸を乱す。
見た事も無いその男性は、そのまま私に近寄ろうとした。
「――待てよ、おっさん。
俺の女に――何か用か?」
その時――東国明比佐が私と男性の間に割って入ったのだ。
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