第7章 共鳴する鐘の空

夕刻のルッカ。

陽が沈み、塔の影が街を縫っていく。

空には薄い雲が流れ、

風が鐘の音を運んでいた。


リーヴォはグイニージの塔の頂にいた。

足元には、昼に描いた「音の地図」。

青と白の線が風に揺れ、

その先に、小さな金色の粒が光っている。


塔の下では、キアーラとロレンツォが広場を見上げていた。

二人の影が長く伸び、

街の屋根と重なっている。


「今日、鐘が重なるわ。」

キアーラの声が風に溶けた。

「ルッカとフィレンツェ――同じ時刻に鳴らすの。」

ロレンツォが頷く。

「“七つめの音”。街をつなぐ約束の鐘だ。」


リーヴォは空を見上げる。

雲の切れ間から光が差し、

塔の影がゆっくりと動く。

風が止む。

街全体が息をひそめた。


そして――最初の鐘が鳴った。


一度。

ルッカの鐘楼が震え、

音が城壁を越えていく。


二度。

空が金色に染まり、オリーブの葉が光を弾く。


三度。

鳥たちがいっせいに飛び立ち、

風が戻ってくる。


四度。

リーヴォの紙の上に影が走った。

キアーラが息を呑む。

「鐘の影が……紙に写ってる。」


五度。

ロレンツォが低く言う。

「フィレンツェの鐘だ。」

音が南の空から届く。

二つの街の鐘が、ひとつの旋律を作り始めた。


六度。

風が渦を巻き、塔全体が唸る。

リーヴォの鉛筆が震え、

紙の上に新しい線が浮かび上がる。

白い光の線。


そして――七度目の鐘。


世界が一瞬、息を止めた。

音が重なり、消える。

その沈黙の中で、

塔の上に淡い光の輪が現れた。


リーヴォの紙から、青い粒が舞い上がる。

風に乗り、塔の周囲を回る。

粒はひとつ、またひとつ、

夜空に溶けながら帯を描いた。


「ピッコロ……!」

リーヴォが叫ぶ。

「鐘が……空で繋がってる!」


フィレンツェの方角で、鐘が応えた。

ルッカとフィレンツェ。

二つの街の音が重なった瞬間、

空の中に青い道が見えた。


リーヴォは震える手でその線を指した。

「これが……約束の道。」


風が強く吹く。

光がその道を照らし、

青が金に溶けていく。


リーヴォは目を閉じ、

その音を胸の奥で聴いた。

“mutatio completa est”――

その言葉が、今、静かに形を変える。


《Promessa iniziata》

――約束が、始まった。


風が塔を包む。

青い粒が光になり、

街の屋根に、壁に、

そして人々の影に降りていく。


鐘が鳴り終える。

静寂。


しかし、その沈黙の奥で、

まだ誰も聴いたことのない“八つめの音”が眠っていた。



夜。

キアーラは広場のベンチでノートを開いていた。

風がページをめくり、

ロレンツォが隣で小さく笑う。


「変化は終わった。でも……また始まる気がする。」

キアーラが言う。

「変化は終わりじゃない。

 約束がある限り、鐘は鳴る。」


その声を、塔の上の風が聴いていた。

星が瞬き、夜がゆっくりと呼吸をする。

月明かりに照らされたリーヴォの紙には、

新しい線が一本、増えていた。


それは――かつて空を翔けたスズメの、羽音のような線だった。


未来の鐘の場所。

まだ誰も知らない、“八つめの音”。

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