白猫事件――推理②

***


 ルリ・ストルムは、机上のコーヒーに手を触れて、自身の推理を語り始めた。その論理は、静かでありながら鋭利だった。

 一匹の白猫が、人里離れたこの村から、警備厳重な王城まで自力でたどり着くことは、物理的に不可能であること。

 ​つまり、愛猫カイは何者かに誘拐され、その犯人によって王城へ運ばれた可能性が高いこと。

​ そして、その誘拐犯の正体を突き止め、真実に迫るためには、まず【探偵】がなぜあの推理に至ったのか、その思考の源を知る必要があること。

「だからこそ、私は、カイが失踪した当時の詳しい状況を、アルシュから聞き出す必要があるの」


​「ふむふむ……確かに、そう言われてみれば、あの外出嫌いのカイが、王城になんて行けるはずないですもんね……」

 外出嫌いを抜きにしても、その道のりは常識的に無理がある。

​ アルシュ・ラータはルリ・ストルムの論理的な説明を聞きながら、カイが姿を消したあの日を、懸命に、そして緻密に脳内で再生しようと試みた。


 そして、一つの重要な事実が、霧の中から浮かび上がった。

「あの日は、確か――この村に、王城から派遣された兵士が来ていました」

「え――?」

 ルリ・ストルムは、わずかに目を見開いて、意外そうに呟いた。


 ​それも無理はない。こんな村落に、王城の兵士がわざわざ来訪するなど、極めて稀な出来事なのだ。

 だからこそ、その異様な光景は、アルシュの記憶に強く刻み込まれていた。


​「一応、こんな辺境の村でも、大臣の決定事項の知らせは届くんです。まあ、国家的な行事でしたから。その兵士の来訪は、新しい大臣――ヘルイド大臣の就任を、正式に報告するためでした」

 ヘルイド大臣――。彼は王政の熱烈な支持者であり、七年前に起こりかけた反王政側の革命を、一滴の血も流さずに鎮圧した、国の英雄と称される人物だ。

 国の政治中枢に深く食い込み、生粋の第二王子派としても名高い。

 そのため、次期国王は第二王子で確実だろう、とまことしやかに囁かれている。


​「ヘルイド大臣……。彼もまた、大の猫好きとして有名だったわね。ここ数年、人前に姿を見せないけど……」

 姿を見せない。だが、その存在感は国内で圧倒的だ。反王政派から絶えず命を狙われている身であれば、公の場から姿を消すのも仕方のないことだろう。


​「そうですね。ヘルイド大臣は、王から革命を鎮めた功績の褒美として、王城の庭の一部をもらっているほど、王からの信頼も厚いですし……」

 庭……?

 ルリ・ストルムの思考回路に、微かな引っかかりが生じた。だが、彼女はそれ以上深追いせず、一旦アルシュ・ラータの話に集中することを選んだ。

「でも、兵士がその日に来ていたなら、もしかすると、迷い猫や捨て猫と勘違いして、兵士がカイを保護したのかもしれませんね。王は猫に対して異様なほど過保護ですし」

 確かに、それが最も合理的な可能性だろう。ルリ・ストルムもそう感じた。

 猫好きで知られるヘルイド大臣が実権を握っているのなら、王命による猫の保護はあり得る。

 【探偵】も、あらかじめそのことを知っていて、勘で、今回の事件と関係していると、判断したのだろう。

「だとすれば、残念だけど、この【遺言】の深層とは、あまり関係なさそうですね」

「……いいえ、すごく、大切なことが分かったわ。ありがとう、アルシュ。あなたのおかげよ」


​ ルリ・ストルムは、言いながら、再会の時に見せたように、優しく、あの日の【探偵】のような微笑みを浮かべた。

***

 ルリ・ストルムを見送るため、村の門前に立っていたアルシュ・ラータに、一人の老婆が声をかけてきた。

「おや、アルシュ、お客さんかい?」

「あら、蟹さん。そうです、この方、私の友達の、ルリさんです。蟹さんも、以前お会いしたことがあると思うんですけど……」

 アルシュ・ラータが「友達」という言葉を口にした瞬間、ルリ・ストルムは照れたように頬を微かに赤らめた。

 相変わらず、すぐに恥ずかしがる性質は変わっていないようだ。

 ルリ・ストルムは照れを隠すように、わざとらしい咳払いを一つしてから尋ねた。


​「アルシュ、『蟹さん』、って?」

「ああ、この地方では、尊敬する、身分の高い人には、動物の名前を称号として使う慣習があるんですよ。だから、蟹さん。可愛いでしょ?」

 無邪気に微笑むアルシュ・ラータの横で、ルリ・ストルムは複雑な気分になった。

​ 実のところ、ルリ・ストルムは蟹が大の苦手なのであった。


​「そうかい、それはそれは……。アルシュは、友達が少ない子だったからねぇ……。嬉しいよ。これからも、仲良くしてやっておくれ」

「それは、こちらの台詞ですよ」

 ルリ・ストルムは老婆の温かい言葉に、やはり頬を染めながら答えた。

​ 夕日が、村全体を茜色に染めていく。別れの時間が、近づいていた。

「にゃーん」


 ​ふと、聞き覚えのある、のどかな鳴き声が聞こえてきた。

 ​白猫の、カイだ。

「随分大きくなったわね、カイ」


​「もう、おじいちゃん猫ですよ」


​ アルシュ・ラータとルリ・ストルムは最後に、再び固く抱きしめ合った。

 ​そして、ルリ・ストルムは門から一歩踏み出し、立ち止まってから身を翻した。

「じゃあ、またね、アルシュ!!」


​その満面の笑顔は、必ず再会を果たすと約束する、あの【探偵】の姿に、実によく似ていた。

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