諦めろ、これは運命だ2
月曜日。
「お疲れ様です~」
と廊下を歩きながら、にこやかに挨拶していた一彩だったが、突き当たり近くに、偉くスタイルのいい人が立っているのに気がついた。
ビジネス関係の商品のパンフレットによく、いや、会社にこんな人いないよ、という感じの人が颯爽と仕事している写真が載ってるんだが。
なんかあれみたいだな。
そう思ったとき、そのパンフレットみたいな男、彰宏が口を開いた。
「……くだらない話をしてもいいか」
しちゃだめだと言ったのはあなたですよ……。
「今までお前のことを小生意気な部下だとしか思ってなかったんだが。
最近、なにをしていてもお前のことを思い出す。
これは――
もしや、恋なのか?」
言ってる本人がものすごく不快そうな時点で恋ではないと思いますね……。
「あの、なにをしていても思い出すのは、単に何処に行っても私と出会うからではないですか?
課長の記憶の中に、いつも私が入っちゃってると思うので」
すると、彰宏は、ほっとした顔をした。
「そうか。
そうだな」
と彰宏は今まで見たなかで一番の笑顔を見せた。
うーむ。
この人と出会ってから、もっとも好感のモテる表情だが、私のことを好きでない、とわかって安堵した顔だと思うと、ちょっとムカつくな。
例え、自分も課長に気がないとしても、と一彩は思う。
「すまなかったな。
俺の気のせいだ。
悪かった。
忘れてくれ」
と言われたが、
いや、私は忘れませんよ、と一彩は思っていた。
私のことを小生意気な部下と言ったことはっ。
こんなに控え目で謙虚にしてるのに~っ。
じゃあ、と言いたいだけ言って、さっさと行こうとする彰宏を、
「あのっ」
と一彩は呼び止めた。
「すみません。
この間、スーパーで言ってた『それに、そもそも、その肉は――』は、どういう意味だったんですか?」
彰宏は少し考え、
「……なんだったかな。
いや、思い出せないな。
それも忘れてくれ」
と言う。
ほんとうだろうか?
と一彩は去っていく彰宏の背を疑わしく見つめる。
その時、スマホに母からのメッセージが入った。
『金曜の夜で大丈夫?』
ちょっと迷ってから、
『オッケー』
と送信する。
金曜日。
支社から届くはずの資料がまだ届かなかった。
今日中に取引先に送らねばならないのに。
なんか違う仕事でもして待つか。
でも、お母さんとの待ち合わせまで、あんまり時間ないなあ、と思いながら、引き出しを開けたとき、
「南」
と彰宏が声をかけてきた。
「お前、今日、用事があるんじゃなかったのか」
よくご存知ですね、と思ったこちらの表情を読んだらしい彰宏が言う。
「社食でデカい声で話してたのが聞こえてきたんだ」
……すみませんでした。
「俺が受け取って送っといてやるから帰れ」
「えっ?
課長にそんなことしていただくとか、申し訳ないですっ」
そう断ったのだが、彰宏は溜息をつき、
「いや、ほんとうにいい。
俺は今日ちょっと帰りたくないから」
と子どものようなことを言う。
いや、家に帰りたくない旦那か。
でも、独身だよね? 課長、と思ったが、彰宏は、
「いいから帰れ」
と一彩の席までやって来て、退け、と一彩を手で払う。
椅子に座りると、一彩の代わりにノートパソコンの画面を見る。
支社から送られてくるのを待っている画面だ。
「じゃ、じゃあ、すみません。
あ、これを」
と一彩は引き出しの中から、個包装のチョコを二、三個出して、彰宏の前に置いた。
「なんだ、これは」
「待ってる間、お召し上がりください。
私、いつもそうしてるんで」
「この席に座って待つときは、食べないといけない決まりでもあるのか」
はい、そうです、と面倒臭くなって言ったが、
「そうか」
と素直に彰宏は食べていた。
画面を見ながら、心ここにあらずのようだ。
「じゃあ、よろしくお願いいたします」
と一彩は頭を下げる。
おっと~っ。
時間ギリギリだっ。
課長には今度なにかお礼しよっと、と急いでロッカールームに駆け出した。
今日はたぶん呑むので、車は置いてきていた。
バスに揺られながら、一彩は考える。
なんで、何処行っても課長と出会うんだろうな?
まあ、最初の新幹線は、どう考えても偶然だよね。
次はスーパーのメガ盛りを買おうとして鉢合わせになって。
その次が商店街のカードで割引のきいた健康ランド。
新しく導入されたマッサージチェアで出会い、
大量に漫画がある漫画コーナーで出会った。
それから、個室が落ち着く隠れ家レストラン。
『お前、今日、用事があるんじゃなかったのか』
『社食でデカい声で話してたのが聞こえてきたんだ』
『……もういっそ、運命なのか?』
『最近、なにをしていてもお前のことを思い出す。
これは――
もしや、恋なのか?』
課長の言葉をいくつか思い出していたそのとき、一彩の中で、すべてのピースがパチパチパチっと綺麗にハマった。
「あっ!」
とバスの中で声を上げてしまい、何人かに振り返られる。
すみません、すみません、と苦笑いしながら、一彩は頭を下げた。
そうだっ。
これは恋でもなければ、運命でもないっ!
『社食でデカい声で話してたのが聞こえてきたんだ』
メガ盛りっ。
健康ランドの割引っ。
マッサージチェアッ。
漫画コーナー。
隠れ家レストランッ。
全部、会社でしゃべったお得情報だっ。
今日、私が用事があるという話が課長の耳に入ってたみたいに、たまたま近くにいた課長に、それらのお得情報が知らぬうちに刷り込まれていたのだろう。
全然運命じゃないじゃんっ。
ああ、この事実を今すぐ課長に知らせたいっ。
けど、そんなことで会社に電話したら。
「……暇なのか。
じゃあ、戻って来い」
と怒られそうだ。
明日、明日言おう、うんっ、と思ったとき、そのレストランが道沿いに見えた。
この間のお店みたいに全室個室なのだが、隠れ家的ではない。
有名なお店だ。
……課長のおかけで、いろいろ悩む間もなく着いたな。
ありがとう、課長、と思いながら、一彩はバスを降りる。
課長との謎の遭遇に結論がついて、頭がスッキリした感じの一彩だったが。
――だが、この出会いは運命だった。
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