第5話 意外なところに伏線はあったりする
「結局のところ、《鯨》というのは過去にだけ行けるタイムマシンみたいなものなのか?」
ゴロゴロと我が物顔で人のベッドを占領しているノルンにそう尋ねる。
「世界のシステム、やり直し装置、バグ、歴史改変の実験場、時間の観測装置、可能性の図書館。どれが一番しっくりくる?」
「なんだそれ?」
「実のところ、《鯨》が何なのかはわかってないんだよね。ただ、記録にも残ってないくらい相当昔からある。ひょっとしたら、この世界ができた時からあるのかも」
なんだか、触れてはいけない世界の闇を見たようでクラクラする。これ以上聞くのは良くない気がしてならない。
「で? 次はいつ《メモリーダイブ》するんだ?」
「おや、覚えたての言葉を使うなんて、君も世界を守る者としての自覚が出てきたみたいだね?」
僕の枕を抱きしめながらニヤニヤしているノルンに「茶化すな」と返す。
「実は未来の君から伝言を言付かっているんだ。聞きたい?」
「聞かせてくれ」
「こほん。『僕はきっと、君を救う事を選択するだろう。そうしたら、僕を連れて昭和三十三年の東京を記憶している《鯨》にダイブしてほしい。そうすれば上手くいく』だって」
昭和三十三年だって? 何か僕に因縁があるようには思えないが……。
「なんで昭和三十三年なんだ?」
「私も教えられてないんだ。たぶん、知ることによって変わる未来があるんだと思う」
昭和三十三年。西暦に直すと一九五八年だ。確か戦後復興の象徴である東京タワーが完成した歳だ。歴史的には重要かもしれないが、僕は生まれてすらいないぞ。
「未来の僕は確かにそう言ったんだな?」
「うん。一言一句違わずそう言っていたよ」
だとすれば、何か意味があるはず。僕はふざけた人間だが、未来にまで続くようなおふざけは言わない。面倒だからな。
「昭和三十三年のいつだ?」
「それも聞いてないんだよね。そうだ、《鯨》の見方を教えるから、ピンとくるのがないか探してみない?」
頷いた僕はベッドの端に移動して窓を全開にした。
「いい? 《鯨》の目を見るの。そこに記憶されてる世界を見ようとして集中する感じ」
「えらく感覚的な言い方だな」
「実際、感覚の問題だからね」
空に目をやる。相変わらずそこには《鯨》達がふよふよと気持ちよさそうに浮かんでいる姿があった。
今まではこんな風に正面から見る機会なんてなかった。気味が悪いと決めつけて避けていたからな。存外、可愛い顔をしているやつもいるじゃないか。
「しかし、こうたくさんいると、どれが昭和三十三年の《鯨》かわからなくないか?」
「外見に惑わされないで。あれはあくまで偶像。本当の姿は別にある」
またしても感覚的な言い方だ。しかし、これと決めた《鯨》に意識を集中して目を見てみると、見えてくるものがあった。
「十二月四日……」
「それがピンときたの?」
「なんとなくだけど」
ピンときたかと言われると微妙だが、気になったのは事実だった。
「あの《鯨》は……《固定点》があるね。『東京タワーの完成日を守る』が《固定点》みたい」
「さっきと比べてスケール感が大きいな」
ノルンは「そう?」なんて澄まし顔で言って《固定点》について説明する。
「もし行くとしたら、東京タワーが『十二月二十三日に完成する』ように見守るのが私達の仕事になるね」
「見守るって事は、特に何かする必要はない感じか?」
「うん。あの《鯨》は先代の《考古学者》が《固定点》を守ったみたいだね。だから、もし行くとしたら観測任務になる」
ただ見守るだけというのなら、負担は少なそうだ。仮に何もなかったとしたら、また別の昭和三十三年を探してダイブすればいい話だ。
「どうする、行ってみる?」
「行くしかないだろう。未来の僕が残した伝言だ」
何が待ち受けているにせよ、行かないという選択肢はない。
「わかったよ。何事もなければ昭和デートを楽しめるね」
「昭和見学か。ふむ、なかなか興味があるな」
「む。言い直さなくてもいいじゃない」
聞こえないフリをした僕は早速準備を始めた。
過去に行ったら冬だから、冬服を持っていってだな。後はリュックの中にスマホ用のモバイルバッテリーを入れようとしたところでノルンに止められた。
「余計なものは持っていっちゃダメ」
「あ、そうか。忘れてきちゃったらオーパーツになるもんな」
「ある程度なら世界の修正力でなんとかなるけど、避けられるリスクは避けるべきだね」
という事は電化製品の類は全部ダメだな。昭和の街並みを写真に収めたかったが、スマホにもお留守番していてもらおう。
「よし、それなら準備オーケーだ」
「じゃあ、《メモリーダイブ》しようか」
再び僕は紐なしバンジーをした。つまりは、
空に落ちたのだ。
目の前に広がっているのは見知らぬ街だった。
見上げるような高層ビルはどこにもない。代わりに目に映るのは、二階建てや平屋の木造家屋。傾いた瓦屋根の上に、銀色のはとが間抜けな顔をさらして座っている。
電線は空を何重にも走り、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
土煙舞う道路の真ん中を一両編成の電車が走り、おもちゃみたいに丸っこい三輪自動車がその脇を彩っている。
「ようこそ、昭和三十三年の東京へ」
振り向くと、そこにはノルンが立っていた。彼女は僕を除いて唯一、現代的な匂いを感じさせた。それがメイド服というのは若干気に食わないが。
「何度やっても慣れそうにないな」
「その内慣れるよ」
確かに、一度目の《メモリーダイブ》では視野が狭まっていたが、今回は少し慣れたようだった。その証拠に、僕の目には《鯨》一つない青空が映っている。
こんなにも透き通った空を見るのは何年ぶりだろう。青空バンザイ。Viva青空。
「さっそくだけど、観測任務を済ませてしまおうか」
「とは言っても、東京タワーなんて何もしないでも期日通り完成するんじゃないのか?」
「歴史には必ずイベントがあるものなんだよ」
何やら含みのある事を喋ったノルンは少し歩いたところにある道角で立ち止まった。
「ここで待とうか」
「何を待つんだ?」
「鈴木さんが無事遅刻するのを観測するんだよ」
「鈴木さんが遅刻だって?」
その人が遅刻するのが歴史的には重要な事だったりするのだろうか。事が落ち着いたらノルンに質問してみよう。
「来たようだね」
暫く待っていると、カバンを手にして慌てた様子の男性が走ってくるのが見えた。ノルンが言っているのはあの人の事だろう。
「あの人が鈴木さんか?」
「うん。たぶん、ここで何かトラブルが起こるはず」
しかしノルンの予想とは裏腹に、鈴木さんはそのまま走り去っていった。
「何も起こらなかったな?」
「おかしい……そんなはずはない。追ってみよう」
走り出した僕達は鈴木さんに気づかれないようにその後を追った。
しかし待てど暮せど鈴木さんはノルンが言うようなトラブルに見舞われるような素振りはなく、無事に職場らしい東京タワーへとたどり着いてしまった。
現在時刻は午前九時少し前だ。始業時間が九時であると仮定すれば、鈴木さんは遅刻しなかった事になる。
「どうやら遅刻しなかったようだぞ」
「どうして……どこで間違ったの……?」
ノルンは真剣そのものだった。その姿から、歴史が変わってしまったのだと察する。
「非常にマズイ状況みたいだな?」
「とてもマズイ。《メモリーダイブ》はよくあるタイムスリップじゃない。条件の限られた時間遡行なの。好き勝手、過去に行けるわけじゃない。だから、マズイ」
タイムスリップものの王道である、望む未来を手に入れるために何度でも同じ時間を繰り返す主人公。それが容易にできない。
にわかに緊張が湧き上がってきた。《メモリーダイブ》が何度も過去に行き来できるタイムスリップではないというのなら、一度の失敗の重要性が跳ね上がる。というか、
「そうすると、もう史実から外れてしまったという事になるんじゃないか?」
「そうなるね。これは一度、状況を整理する必要がありそうだ」
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