第4話
「本当によいのか?」
「ええ、きっちりかっちり仕舞ってくださいませ、お父様」
父の執務室で、ジェマイマは扉を開けた金庫の前にいて、父娘二人でしゃがみ込んでいた。
「もっと奥に、そうですわ、最奥にお願い致します」
「⋯⋯」
金庫の奥底に腕を伸ばして仕舞い込むあまり、父の身体は半分金庫の中に埋まりそうになっていた。
ジェマイマは、件のサファイアの指輪を今から嵌める気なんてさらさらない。侯爵邸に帰ってから、呪いの指輪のように薬指から引き抜くと、父に頼んで金庫の奥深くに仕舞ってもらうことにした。
父はそれに、初めこそ戸惑う様子を見せた。
贈り主は王太子であり王家である。
「嵌めといてもいいんじゃないか」
そんなことを言ったのを、一刀両断にしたのはジェマイマだった。
「殿下にはすでにお話しておりますの。学園を卒業するまで婚約相手が私であることを伏せてほしいと」
「そんなこと、陛下がお許しにはならないだろう。閣議を通った上でお前と決まったのに、宰相だって黙ってはいないのではないか?」
「そこを黙らすのが王太子のお力の見せどころではないですか?と申し上げました」
「誰に」
「ええ?殿下としかお話してはおりませんもの、殿下にですわ」
本来なら、二人の婚約は明日には公に発表されて、新聞なんて号外が出ても当然であるのに、ジェマイマは、そこに待ったを掛けた。
婚約した事実は流石に伏せてはおけないが、相手がどこの令嬢であるかは伏せてほしい。
学園は間もなく冬季休暇に入るのだし、休暇が明ければ卒業までわずかとなる。
「それくらいの間、情報統制できないものですかね」と言ったときに、ローレルの背後にいた近衛騎士が、ゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。
だがローレルは、ジェマイマの挑発的な物言いに、わずかに口角を上げただけだった。
彼は、「わかった」と言うと鷹揚にソファに背を預けて長い足を組んだ。
威圧とも挑発とも取れるポーズであったが、先に喧嘩を売るような発言をしたのはジェマイマである。そこは、感じの悪い態度だと文句は言えなかった。
「直ぐに君の名は漏れるだろうけどね」、とローレルは言ったのだが、ジェマイマは、
「殿下のお力を拝見させていただきます」と言って愁傷なふうに頭を下げて見せたのである。
そういうわけで、明日からも取り敢えず学園生活に影響は出ないと安堵した。
「お前、不敬だと侍従に止められなかったのか?」
ローレルとのやり取りを話すと、父がはっきりと困惑するのがわかった。
「お前が豪胆なのは、母上に似たのだな」
祖母は腹の据わった侯爵夫人であったらしい。
ジェマイマが生まれた頃にはすでに鬼籍に入っていたのだが、肖像画で見る祖母の姿は威風堂々としており、隣の祖父が小さく見えるから不思議である。
祖母がここにいたならきっと、ジェマイマと同じことを言ってくれたのではないだろうか。
呪いの指輪、ではなく、サファイアの指輪だって、本来なら未婚のうちは嵌める必要はないものである。
コレは「妃」が嵌めるものであらから、令嬢である自分が身につけるべきものではない。
ジェマイマは父の前でそんな屁理屈を並べて、結果、父の執務室にある金庫の奥底に仕舞うことを頼んだのである。
「宝物庫に収めたほうが安心なんだがな」
「我が家の宝でもないのにですか?コレは王家のお宝ですよ?」
コレ呼ばわりされる指輪に嵌められたサファイアは、多分国内でも有数の大きさであるだろう。確かに日常生活に支障をきたしそうな豪勢さがあった。
「お前たち、大丈夫なのか?」
父は金庫の鍵を閉めると、ローレルごと一括りにして「お前たち」呼ばわりをした。
「大丈夫もなにも、元より接点がございませんもの」
「それは、これから二人で育んでいくものだろう」
「それとはなんですの?お父様」
「思いやりとか敬意とか、諸々あるだろう」
父は育むものに「愛情」とは言わなかった。
自身は自由恋愛の末に婚姻を結んで、後妻にまで母の面影を見つけた愛妻家である。
その父が、ジェマイマとローレルの婚約には、「思いやり」であるとか「敬意」をあげるに留めた。
父の横顔には、娘が王太子と婚約したことへの喜びは見つけられなかった。本来であれば、今宵は親族を招いて宴を開いて然るべき、めでたい日であるだろう。
だが、晩餐はいつも通り家族だけで過ごすことになっている。
「お父様、親族と傘下の貴族たちにも、根回しをお願いいたしますわね」
親族の一部はすでに、ジェマイマが本日登城したことを知っている。
いくらローレルと父が箝口令を敷かせても、直ぐに広まってしまうだろう。
ジェマイマは、子供じみた悪あがきをしたに過ぎないのだが、ローレルはそれを跳ね除けることはしなかった。
ただ、
「妃教育は受けてもらわねばならない。それは君の務めであるからね」
と、ジェマイマに権利の主張ばかりではなく責任を果たすことを求めたのである。
妃教育は、学園の休日を充てて行われるのだという。ということは、冬季休暇に入ってしまえば、毎日登城しなければならない。
「はああぁ」
父と金庫の前でしゃがみ込んだまま、ジェマイマは大きな溜息をついてしまった。
夢で見た、繰り返しの人生らしきものはどれも鮮明なものだった。いっそのこと、夢の中で妃教育を思い出したい。
あれほど繰り返した人生ならば、もしも夢の中で思い出せたら、現実では教育を受けずとも構わないのではないだろうか。
そんな安直なことを考えた。
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