第2話

「こんにちは、鳴海翠なるみすい。」


「こん…にち、は。」


猫が、喋っている。私は周囲をぐるりと見渡す。やっぱり今ここには私とこの猫しか存在しない。喋るとするならばこの猫しか考えられない。


そして重大な問題がもう1つ。今この猫は鳴海翠という私の名前を口にしたのだ。


「貴方は……?」


恐る恐るそう尋ねる。驚く私とは対象に、猫は退屈そうに欠伸をしてみせた。


「もうそのリアクションには飽き飽きだよ。人間は何時だってすぐに正解を求めたがるよね。」


そこで気づく。どうやらこの猫は本当に喋っている訳ではなくテレパシーのような能力で私の脳に直接語りかけているようだった。


「喋る猫なんて見たこと無かったから…」


「これは仮の姿さ。今まで多くの生物の体を借りてきたけど、猫はいいよ。機動性も高いし何よりこの艶々の毛皮がたまらない。君も生まれ変わるなら猫にするといい。」


そこまで言って猫は「…おっと脱線してしまった。」とその猫背を正す。


「僕は君たちの言葉でいえば、神のような存在さ。」


それは以外にも驚愕ではなく、どちらかと言えば静かな納得へと繋がった。この猫に話しかけられた時点でその存在を薄々察していたのかもしれない。


「神様がどうして私なんかに?」


純粋な疑問だった。私にそんな特別な力はないし、物語の主人公になれるような立派な人生を送ってきた訳でもない。


「そんなの単純だよ、“君が願ったから“。」


「……願った?」


「一ノ瀬冬真に会いたいんだろ?」


突如として現れた彼の名前に一瞬呼吸が止まる。


「会え、るの…?」


喉から上手く声が出せない。心の中でもうひとりの私が「そんなの有り得るわけがない」と言っているのに、それでも私の体細胞の一つ一つがこの自分を神と名乗る猫の言葉に耳を傾け、奇跡を欲していた。


「君が望むなら、会えるよ」


張り詰めていた感情の糸がぷつりと音を立てて切れた。彼が嘘をついているかもしれないし、寧ろその可能性の方が高いというのに今私はこの猫の言葉に大いに救われてしまった。


「でも何事にも代償は付き物だ。」


“代償“という言葉に驚きはなかった。世界とは常に釣り合いを保って存在しているものだ。当然のことだろう、とすぐに腑に落ちた。


「どんな代償だって支払う。」


迷いはなかった。この運命を変えられるなら私はこの命だって惜しくない。


「君ならそう言うと思っていたよ」


すると何も無かったはずの目の前に、突如1枚の神と金色の羽ペンが現れた。


「契約書だよ。」


「神も契約書を結ぶんだね。」


「ノークレームノーリターンでやらせてもらってるからね。」


私は羽根ペンを手に取る。どんな内容が書かれていようが、この神と契約を結ぶ覚悟はできていた。


「僕からの条件はこうだ。


君の記憶と代償に、僕は君に過去に戻るチャンスを上げよう。」


「……記憶。」


その代償はあまりにも予想外なものだった。


「僕たちも腹が空くものでね。ただ人間と違うのは僕たちの主食は人間の記憶なんだ。


だから君の願いを叶える代わりに、僕に君の記憶を譲って欲しい。」


「分かった。」


私の返答に猫はその縦に細長い瞳を丸い満月のように見開いた。


「僕が出会ってきた人間の中でいちばんの即答だ。」


何だっていい。もう一度一ノ瀬くんに会えるなら…彼を救えるチャンスがあるならば、私はどんなことだってしてみせるとこの8年間ずっと思ってきた。


「ちなみに先に言っておくと、1度のループで戻れるのは過去のある起点から1週間のみだ。1週間が経てば君はまた今いるこの現在に戻ってくる。次にループする時には1度ループした起点より過去を選ぶことはできない。


そしてループ1回につき僕は君から何かしらの記憶を貰う。貰う記憶の内容については僕からの指定のみで君からは選択できない。


君にとっては中々不利な契約だと思うけど、それでも良いの?」


私は大きく頷く。


「もう後悔はしたくないの。」


鳴海翠と契約書に署名をする。君を救えるなら、私は全ての記憶をなくしてもぬけの殻になったとしても構わないのだから。


署名を終えた途端契約書が金色に輝いて、そのまま消失した。喋る猫に突如現れて消える契約書、今日は本当に見慣れないものばかりだ。


「契約成立だ。」









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