第15話 おバカ貴族と風の靴

 煙が充満する鉄板焼き専門店。

 カサルはナイフとフォークを使い分け、器用にホルモンを口に運んでいた。店主がジロジロとこちらを見てくるので、軽く親指を立てて応えると、店主は安堵した顔で更に追加の皿を焼き始める。


 隣の席をちらりと見やると、そこに座るのはベテランの風格を醸し出す炭鉱夫の老人だった。彼の靴は履き潰されボロボロだが、手入れが行き届いているのが分かる。


(彼ならばテストにちょうどいいだろう)


 カサルは食事を終え、水を飲む老人に、靴のテストをしてくれないか助力を頼んだ。


「風の靴? 俺には普通の靴に見えるがね」


「一見普通の靴だが、少し魔法がかかっている。もし感触が良ければ教えて欲しい」


 食事を済ませた二人は、店先へ出た。店主や他の客が観客となる中、老人は試着を開始する。ボロボロの靴を脱ぎ捨て、年季の入った足を『風の靴』に入れた。


「どうだ、感触は?」


「ふむ……」


 老人は靴を履いて店の前を数歩うろつき、次に自分の重いリュックサックを背負い、また歩いた。


「何か不具合でも?」


「ああ。……こいつは、俺たち炭鉱夫をダメにする」


老人は苦笑いを浮かべた。


「楽すぎるんだよ。こんなに足が軽けりゃ、俺たちゃ一日中休まず働かされちまう。人間をダメにする靴だ」


 老人は『風の靴』を脱ぐと、今度は別の若い炭鉱夫がそれを履いて試した。その機能性に、集まった全員が驚嘆の声を上げた。


「おお! こいつはすげえや! 足から風が吹いてくるみてえだ! まるで休日の朝に散歩してるみてえな爽快感だあ!」


「荷物も軽い!」


 ざわめきと共に炭鉱夫が集まり始め、テストは大きな賑わいとなり、店の前はちょっとした騒ぎとなった。


「お前たち、何をしている!」


 そこへ駆けつけた衛兵にカサルはいち早く気づくと、口元を「へ」の字に曲げ、素早く路地裏へ身を隠した。


(テストはまだ終わっていないというのに)


 彼は仕方なく『風の靴』をその場に放置すると、そのまま航空船へと逃げるように夜空の向こうへ消えていった。




翌日。


 今度はマリエ、ゾーイ、リヒャルトラインの三人とともに、カサルはエルドラゴに観光へやって来た。


 そんな宝石市を見て回る中で、カサルは自分が作った『風の靴』がセリにかけられているのを目撃する。


 カサルが急に立ち止まったため、後ろをついて歩いていたゾーイが彼の背中に顔をぶつけ、文句を言いながら彼の薄い背中をポカリと殴った。


「ちょっとー、急に止まらないでよー。どうしたのー? おトイレ?」


オレの作った靴が売られている」


 三人は「いつの間にそんなもの作ったの?」と顔を見合わせながら、その販売価格に視線をやった。高級な革靴と大差ない値段で売りに出されている。販売元らしき小汚い男が、声を高らかに叫んでいる。


「さあさあ見てらっしゃい! 俺が心血注いで作り上げた魔法の靴だ!」


 男の嘘八百に、カサルは「まあそうだろうな」と呟き、その場を去ろうとした。


 だがその時、男とカサルの目が偶然合ってしまう。昨夜、靴を試着させた老人から特徴を聞いていたのか、男はカサルを見るなり目を剥いた。


「あ゛! お前……!」


 男の視線につられて、民衆の目がカサルに集まる。

その瞬間、男は狡猾な笑みを浮かべた。


「そう、この靴のモデルになったのが、そこにいる麗しいお嬢さんなんでさぁ! 彼女も愛用している『風の靴』、どうだい!」


 男の機転により、民衆の興味は靴の性能よりも、カサルという美しい「広告塔」に釘付けになった。


「いくら? 」「お嬢さんが履いてるのと同じなのか?」「それ欲しい! 」


 ポツポツと声が上がり、道を過ぎる人々が一人、また一人と名乗りを上げた。

 客たちは靴ではなく、カサルというブランドを見て値段をつけ始めていた。


「皆さん、買い物をする時はどんな時も『保証』が欲しいようですね。特に美しい保証人がいるなら猶更に」


 リヒャルトラインの冷静な分析に、マリエとゾーイは笑っている。カサルは何も口にせず、その茶番を見守った。


 そうして競売が熱を帯び始めた頃。


「──その競売、少し待ってもらおうか」


 凛とした声が響き、沸く道の奥から群衆を二つに割るように、レッドカーペットが敷かれた。


 その上を、一人の長身の女が歩いてくる。


 輝くブロンドは竜巻のように天に向かって巻かれ、その屋台骨として様々な貴金属アクセサリーが髪の塔を支えていた。


 そして下に履いた白のロングパンツには、侯爵家の家紋が金糸銀糸で縫いこまれている。全身でこの領地を体現するような、豪奢で、どこか悪趣味な装いの貴族令嬢。


 彼女こそこの街を支配するシソーラ侯爵の令嬢、エディス・シソーラその人だった。


「不審な男が盗品を競売にかけていると通報があった。……貴様、古物商の許可証は持っているのか?」


 エディス侯爵令嬢は扇子で男を指し示すと、控えていた近衛兵たちが即座に男を取り囲んだ。

 男は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、あっという間に連行されていく。


「……ふん、ドブネズミの臭いがすると思ったが、やはり紛れ込んでいたか」


 それを見送ると、次の獲物は目立つ姿の美少年へと移った。侯爵令嬢はガツンガツンと高いヒールを鳴らしてカサルの前に立ちはだかり、体をクの字に曲げてしげしげと彼の顔を覗き込んだ。


「お前どこかで……」


 カサルは彼女を見上げ、目を細める。全身が宝石と貴金属に包まれたエディスは、太陽を反射しギラギラと輝いて見えた。


「よぉ。息災か、ミス・エディス」


 領地が龍災にあったばかりの貴族令嬢にかけるジョークにしては、特上のブラックだ。


「カサル……フフフ……そうか生きていたか。残念だ。残念で仕方ないが、……やはり運命の赤い糸というのは、首輪のように頑丈にできているらしい」


 エディスがカサルの首根っこを掴んで持ち上げた。

 まるで借りてきた猫のように軽々と持ち上げられたカサルは、宙ぶらりんのまま、バツの悪そうな笑みを返す。この女の膂力りょりょくは相変わらず人間離れしている。


「貴女は誰?」


 マリエの言葉に、エディスはカサルを一度地面に置くと、マリエと視線を合わせるように足を開いてしゃがみ込んだ。しかしそれでも、彼女は街の人々より遥かに高く、マリエを見下ろすように威圧していた。


「私はここの貴族令嬢だ。視察がてらこの辺りをうろついていたのだが……お前は逃亡中のマリエ・リーベだな。手配書の写真とそっくりだ」


 ピクリ、とマリエの眉が動く。


「カサルちゃんがお友達って言ってた人?」


「……まあ、友達でもあるし───」


 エディスは扇子を開き、万人に分かるように端的な言葉でカサルとの関係を言い表した。


「元許嫁だ」


 五歳の時に許嫁となり、お茶会事件の後に白紙となった”ただ”のお友達だった。

 まさかこんな気まずい状況でバラされるとは思わず、カサルは沈黙を保ったまま、その存在を限りなく『無』にしていた。


 だが、マリエの首がギギギと機械のように回転し、そのハイライトの消えた瞳はカサルに向けられた。


「……カサルちゃん?」


マリエの声から一切の感情が消え失せている。


カサルは冷や汗をかきつつも、平静を装った。


「ん?」


「『ん?』じゃないね。本当なの?」


「まあ……そう言う時期もあった」


 普段感情を適当に取り繕う彼女が、初めて見せる本気の不機嫌顔だった。

 それを見かねてか、あるいは別の意図があってか、エディスは二人の間に割って入った。


「この靴を作ったのはカサル、お前のようだな。話は邸で聞かせてもらおう。……それとマリエ・リーベ、お前には山ほど聞きたい話がある。衛兵、捕らえなさい!」


 エディスが手を振り上げ、衛兵に指示を飛ばしたその瞬間──マリエたちは脱兎の如く逃げ出し、群衆の中に紛れて消えた。


 カサルもその騒ぎに乗じて逃げようと一瞬思ったが、ここで逃げればシソーラ家に泥を塗ることになる。今後の関係(と食い扶持)を考えれば、ここは大人しく捕まるのが得策だ。彼はその場に留まることにした。


 そしてマリエ達三人が不安そうに屋根上から観察する中、カサルは両脇を衛兵に固められ、シソーラ侯爵令嬢の邸へ連行されていった。


「……あーあ。連れて行かれちゃったね」


 ゾーイが呑気に言うが、マリエは無言だった。

 その瞳は、カサルを連れ去る「金ピカの女」の背中に釘付けになっている。

 元許嫁。その言葉が、マリエの胸の中で黒い炎のように燻る。


「……ゾーイ、リリ」


 マリエが低く呟くと、二人はピシリと背筋を伸ばした。


「今夜の予定を変更するよ。お宝探しは中止」


「え、じゃあ何するの?」


 マリエはニヤリと笑った。それは宝石よりも美しく、ナイフよりも危険な「空賊」の笑みだった。


「決まってるでしょ? ──『お姫様カサルちゃん』の奪還作戦だよ」

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