第2話「計算外の執着」
入学式の翌日から、本格的な学園生活が始まった。
俺の破滅フラグ回避計画の第二段階は、「レオンハルトの視界に極力入らない」ことだ。
クラスは幸いにも別々だった。
俺はAクラス、レオンハルトは王族専用のSクラス。
これなら教室で顔を合わせることはない。
あとは移動教室や昼休み、放課後に彼の行動範囲を避けていれば、接触は最小限に抑えられるはずだ。
「エリアス様、次は実技の授業ですよ。訓練場へ向かいましょう」
声をかけてきたのは、侯爵家の次男であるカルヴァンだ。
彼はゲームではエリアスの取り巻きの一人だったが、今の俺にとっては単なるクラスメイト。
当たり障りのない関係を築いておくのに、ちょうどいい相手だった。
「ああ、そうだな」
俺はカルヴァンや他のクラスメイト数人と連れ立って、教室を出た。
一人でいると、あの男に捕捉されやすい。
集団に紛れるのが一番だ。
訓練場は広く、クラスごとに区切られて魔法の基礎訓練が行われる。
俺はちらりと周囲を見渡し、Sクラスが使う区画が一番遠い場所にあることを確認して、ほっと胸をなでおろした。
今日の授業は、基本的な防御魔法の構築。
俺は集中して魔力を練り上げ、目の前に淡い光の壁を作り出す。
悪役令息エリアスは、魔法の実力だけは本物だった。
公爵家の血筋は伊達じゃないらしく、俺の身体は面白いように魔力に反応してくれる。
これなら、いざという時に自分の身くらいは守れるかもしれない。
『よし、この調子で目立たず、騒がず、平穏に……』
そんなことを考えていた、その時だった。
「見事な魔力制御だ、エリアス」
すぐ側で、あの冷たい声が響いた。
びくりと肩を震わせて振り向くと、そこにはいるはずのないレオンハルトが立っていた。
Sクラスの訓練区画はあっちだろうが!
なぜここにいる!
「レオンハルト、殿下……どうしてここに」
「俺たちの授業はもう終わった。少し早く抜け出してきただけだ」
悪びれもせずにそう言うレオンハルトに、俺は言葉を失う。
周囲の生徒たちが、畏怖と好奇の入り混じった視線でこちらを遠巻きに見ているのがわかる。
やめろ、こっちを見るな。
「少し、二人で話がしたい。ついてこい」
有無を言わさぬ口調。
彼は俺の返事を待つことなく、訓練場の隅にある木陰へと歩き出す。
俺は周囲の視線に耐えきれず、舌打ちしたいのを堪えて、渋々その後を追った。
「……何のご用でしょうか、殿下」
二人きりになった途端、俺は警戒心を最大に引き上げて彼と向き合った。
レオンハルトは俺のそんな態度を気にも留めず、楽しむように目を細めた。
その表情は、原作のクールな彼からは想像もつかないものだった。
「そんなに俺を避けるな。寂しいだろう」
「滅相もございません。殿下のお時間を無駄にしないようにと、配慮しているだけで」
「配慮、ね。俺には、怯えた小動物が必死に逃げ道を探しているようにしか見えないが」
図星を突かれ、俺はぐっと唇を噛む。
この男、鋭すぎる。
レオンハルトは……いや、こいつは本当にゲームのレオンハルトなのか?
あの、恋愛以外には一切興味を示さず、ヒロインに話しかけられても塩対応を貫いていた皇太子と、同一人物だとは到底思えない。
「エリアス。放課後、時間はあるか」
「いえ、本日は生憎と……」
「そうか。なら、お前の予定に俺が合わせよう。どこへ行くんだ?」
話が通じない!
断っているのがわからないのか!
俺は焦りから、つい早口になってしまう。
「ですから、今日は公爵家での用事がありまして、すぐに帰宅しなければならないのです!」
「ほう。アルドリング公爵が、お前に学業以外の何の用事を?」
レオンハルトの青い瞳が、すっと細められる。
まるで、嘘をついていることを見抜いているかのような、鋭い視線。
もちろん、用事なんて真っ赤な嘘だ。
ただ、一刻も早くこいつから離れたいだけ。
「それは……家の内密な事柄ですので」
「そうか。ならば仕方ない」
意外にも、レオンハルトはあっさりと引き下がった。
俺は拍子抜けしながらも、内心で勝利のガッツポーズをする。
やった、逃げ切れた!
「では、私はこれで失礼いたします」
一礼して踵を返そうとした、その瞬間。
ぐい、と強く腕を掴まれた。
「なっ……!」
「嘘をつくのが下手だな、お前は」
耳元で囁かれた声に、ぞわりと鳥肌が立つ。
掴まれた腕が、彼の体温で焼けるように熱い。
振りほどこうとしても、レオンハルトの力は尋常ではなく、びくともしない。
「離して、ください……!」
「嫌だと言ったら?」
彼の瞳が、すぐ間近にあった。
氷のようだったはずの青が、今は暗い炎を宿して揺らめいている。
それは、明確な独占欲の色をしていた。
『なんでだ、なんで俺なんだ!』
原作では、彼はヒロインであるリナ・ベルにしかこんな顔を見せなかったはずだ。
それも、もっと物語が進んで、彼女への独占欲が芽生えてからの話だ。
俺はただの悪役令息で、彼の恋路を邪魔する障害物でしかないはずなのに。
「殿下、私は……」
「エリアス」
俺の言葉を遮り、レオンハルトは掴んだ俺の腕をゆっくりと引き寄せた。
二人の距離が、危険なほどに縮まる。
彼の吐息が、俺の頬にかかった。
「お前は、俺の婚約者だ。そのことを、ゆめ忘れるな」
それは、ただ事実を告げているだけのはずなのに、まるで呪いのように俺の耳に響いた。
婚約者。
その言葉が、俺を縛る鎖になるのだと、この時の俺はまだ理解していなかった。
レオンハルトは満足したように俺の腕を解放すると、「放課後、迎えに行く」という一方的な言葉を残して去っていった。
一人残された俺は、掴まれていた腕に残る熱を感じながら、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
計算が、狂い始めている。
いや、もうすでに、俺の知っているゲームのシナリオは崩壊しているのかもしれない。
得体の知れない恐怖が、じわじわと俺の心を侵食し始めていた。
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