BLゲームの悪役令息に転生!破滅フラグを回避したいのに、同じく転生者のヤンデレ皇太子が「やっと見つけた」と異常な執着で迫って来る。

藤宮かすみ

第1話「悪役令息の憂鬱な自覚」

 目の前の豪奢な鏡に映る自分を見て、俺は本日何度目かわからない深いため息をついた。


 白銀の絹糸のように滑らかな髪、アメジストを嵌め込んだかのように紫に輝く瞳。

 雪のように白い肌と、神が精魂込めて作り上げたとしか思えない完璧な顔立ち。

 公爵家の嫡男、エリアス・フォン・アルドリング。

 それが今の俺の名前であり、立場だった。


『……どうしてこうなった』


 ここは、俺が前世で熱中していたBLゲーム『聖グランヴェル魔導学園の恋詩(アリア)』の世界。

 そして俺は、メイン攻略対象である皇太子レオンハルト・フォン・ヴァイスフルトの婚約者でありながら、平民出身のヒロインに嫉妬し、数々の嫌がらせを行った末に断罪される……という、典型的な悪役令息に転生してしまっていた。


 この記憶が蘇ったのは、一週間前に高熱でうなされた夜のことだ。

 前世の俺は、どこにでもいる平凡な会社員で、このゲームのやりすぎで寝不足のまま階段から足を踏み外し、あっけなく死んだ。

 なんとも情けない死因だが、今はそんなことどうでもいい。


 問題は、このエリアスというキャラクターの行く末だ。

 ゲームの彼は、最終イベントである卒業パーティーで、皇太子レオンハルトその人から婚約破棄を突きつけられる。

 ヒロインへの数々の悪事が糾弾され、アルドリング公爵家は爵位を剥奪。

 一家離散という名の、破滅ルートが待っている。


 冗談じゃない。

 そんな未来は、絶対に回避しなければ。


「エリアス様、学園へ向かう時間でございます」


 扉の向こうから、執事セバスの声が聞こえる。

 俺は鏡の中の美貌の令息、つまり自分自身にもう一度ため息をつき、「今行く」と短く返事をした。


 幸い、まだゲームの物語は始まっていない。

 今日が、聖グランヴェル魔導学園の入学式。

 すなわち、全てのキャラクターが一堂に会する、運命の始まりの日だ。

 俺の目標はただ一つ。

 破滅フラグの元凶である皇太子レオンハルトと、原作ヒロインのリナ・ベルに絶対に関わらないこと。

 これに尽きる。


 彼らの恋愛の邪魔をするから、エリアスは断罪される。

 ならば、最初から舞台に上がらなければいい。

 俺は空気、石ころ、壁のシミ。

 そう自分に言い聞かせ、俺は公爵家の馬車に乗り込んだ。


 学園の大講堂は、新入生たちの熱気で満ちていた。

 貴族の子息令嬢たちが、きらびやかな制服に身を包み、これからの学園生活に胸を膨らませている。

 俺は家格に相応しい最前列の席に座りながらも、できる限り気配を消すことに集中した。

 頼むから、誰にも話しかけないでくれ。

 特に、あの男だけは。


 だが、そんな俺の願いは、いとも容易く打ち砕かれた。


「――エリアス」


 背後からかけられた、低く、それでいてよく通る声。

 聞き間違えるはずもない。

 このゲームで、幾度となく聞いた声だ。

 俺は心臓が凍り付くのを感じながら、ゆっくりと振り返った。


 そこに立っていたのは、陽光を弾くプラチナブロンドの髪と、全てを見透かすような氷の如き青い瞳を持つ青年。

 この国の皇太子、レオンハルト・フォン・ヴァイスフルト。

 俺の婚約者にして、俺を破滅させる男。

 ゲームのスチルから抜け出してきたかのような完璧な美貌に、周囲の令嬢たちがうっとりとため息を漏らすのが聞こえる。


『くそっ、なんでこっちに来るんだ!』


 俺は内心で悪態をつきながら、貴族の作法に則った完璧な笑みを顔に貼り付けた。


「これは、レオンハルト殿下。ご入学おめでとうございます」


「ああ。お前もな」


 レオンハルトはそう言うと、当然のように俺の隣の席に腰を下ろした。

 おい、そこは空席のはずだぞ。

 皇太子は来賓席じゃないのか。

 周囲がざわつくのがわかる。

 原作では、彼は誰とも慣れ合うことなく、常に一人でいたはずだ。

 こんな風に、自分から婚約者の隣に座ることなど、万に一つもなかった。


「殿下、なぜこちらに……」


「婚約者の隣に座って、何か問題でも?」


 冷たい声音でそう言われ、俺はぐっと言葉に詰まる。

 問題しかない。

 大問題だ。

 あんたが俺の隣にいるだけで、悪目立ちするだろうが。

 しかし、そんな本音を口にできるはずもなく、「いえ、滅相もございません」と引きつった笑顔で返すしかなかった。


 どうなっているんだ。

 まだゲームは始まってもいないのに、シナリオが微妙に、いや、かなりおかしい。

 レオンハルトはそれ以上何も言わず、まっすぐ前を向いている。

 だが、その横顔から注がれる視線が、チクチクと俺の頬に突き刺さるのを感じた。

 居心地が悪すぎる。


 やがて入学式が始まり、学園長や教師たちの退屈な挨拶が続く。

 俺は必死に意識を目の前の演台に集中させようとしたが、隣の男の存在感がそれを許さない。

 彼は時折、まるで俺の反応を確かめるかのように、ちらりと視線を寄越す。

 その度に、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。


 早く終われ。

 早くこの男から離れたい。

 そう願っていた時、新入生代表の挨拶で、一人の少女が壇上に上がった。


 亜麻色の髪を揺らし、緊張した面持ちで立つその姿。

 リナ・ベル。

 原作ヒロインの登場だ。

 平民でありながら、類稀なる魔力の才能を認められて特待生として入学した少女。

 ゲームでは、この健気で心優しいヒロインに、レオンハルトが次第に惹かれていくことになる。


『よし、これでレオンハルトの興味も彼女に移るはずだ』


 俺は安堵のため息を漏らしそうになるのをこらえ、隣のレオンハルトを盗み見た。

 原作通りなら、彼はここで初めてヒロインの存在を認識し、彼女の持つ特別な光に興味を抱くはずなのだ。


 だが、レオンハルトは壇上のリナを一瞥しただけで、すぐに興味を失ったかのように視線を逸らした。

 そして、あろうことか、再び俺の方へとその青い瞳を向けたのだ。


 その瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えた。

 いや、違う。

 その氷のような瞳の奥に、何か得体の知れない熱のようなものが揺らめいている。

 まるで、獲物を見つけた捕食者のような、粘着質な光。


「……?」


 俺がその視線に戸惑っていると、レオンハルトの唇が微かに動いた。

 声にはなっていない。

 だが、その形ははっきりと読み取れた。


 ――みつけた。


 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。

 何だ、今のは。

 何を見つけたというんだ。

 俺は混乱する頭で必死に考えるが、答えは見つからない。

 確かなのは、目の前の皇太子が、俺の知っているゲームのキャラクターとは何かが決定的に違うということだけだった。


 破滅フラグ回避計画は、開始初日にして、暗雲が立ち込めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る