第13話
勘違いラブレターと果たし状
ある日の放課後。
昇降口の下駄箱前で、二つの影が動いていた。
一人は、早乙女蘭。
彼女は顔を真っ赤にして、ピンク色の封筒を握りしめていた。
(……今日こそ渡すの! 佐藤くんへの愛の告白!)
中身は、徹夜で書いたポエム満載のラブレターだ。
もう一人は、隣のクラスの番長・牛頭(ごず)。
彼は顔を青筋で引きつらせ、血塗られた(ようなデザインの)白い封筒を握りしめていた。
(……今日こそシメる! 生意気な佐藤への果たし状!)
中身は、「殺す」「死ね」と書かれた直球の脅迫状だ。
二人は同時に、佐藤健義の下駄箱(出席番号1番)に近づいた。
だが、運命の悪戯か、それとも老朽化した下駄箱のせいか。
「1番」のプレートが剥がれかけ、隣の「2番(牛頭の下駄箱)」との境界が曖昧になっていた。
極度の緊張状態の蘭は、震える手で間違えて「2番(牛頭)」の下駄箱にラブレターを突っ込んだ。
殺気立った牛頭は、正確に「1番(佐藤)」の下駄箱に果たし状を叩き込んだ。
そして、二人は走り去った。
悲劇的な「取り違え」が起きたことも知らずに。
◇
数分後。
佐藤が下駄箱を開けた。
バサッ。白い封筒が落ちる。
「……ん? 手紙?」
佐藤は眉をひそめ、中身を取り出した。
そこには、達筆な筆文字(筆ペン)でこう書かれていた。
『今日の夕暮れ、河川敷に来い。命(タマ)の取り合いをしよう。覚悟しておけ。――牛頭』
普通なら恐怖で震え上がる文面だ。
だが、佐藤の「法曹脳」と「鈍感力」は、これを斜め上に解釈した。
(……『牛頭(ごず)』? 古風なペンネームだな。女性か?)
(『命(タマ)の取り合い』……つまり、魂(ソウル)のぶつかり合い。熱烈なディベートの申し込みか? それとも……)
佐藤の顔が少し赤くなる。
(『覚悟しておけ』……これは、結婚を前提とした交際を意味するプロポーズ!? 昭和の女性はこれほど情熱的かつ、古風な表現を使うのか!)
佐藤は眼鏡を光らせた。
「……いいだろう。逃げるのは男の恥だ。この『愛の法廷闘争』、受けて立つ!」
◇
一方、その頃。
牛頭が自分の下駄箱を開けた。
バサッ。ピンクの封筒が落ちる。ハートのシール付きだ。
「……あぁん?」
牛頭は訝しげに中身を開いた。
そこには、丸文字でこう書かれていた。
『ずっと見ていました……。あなたのその、真っ直ぐな瞳が好きです。今日の夕暮れ、河川敷で待っています。――蘭』
牛頭の時が止まった。
「……ら、蘭? まさか、あのスケバンの早乙女蘭か!?」
牛頭の脳内で、蘭が自分をボコボコにした時の記憶(トラウマ)が、恋のフィルターで書き換えられていく。
『あの時の蹴りは、愛のムチだったのか……!?』
『真っ直ぐな瞳って、俺がメンチ切ってた時のことか!?』
ドクン。
牛頭の顔が茹でダコのように赤くなる。
「……マジかよ。俺に春が来た……!」
◇
夕暮れの河川敷。
土手の上から、堂羅デューラと桜田リベラが、ポップコーン片手に見下ろしていた。
「……佐藤の奴、花束なんぞ持って何をしているんだ」
「喜助からの情報だと、果たし状をもらったそうですわよ? なのに、なぜあんなに髪型を整えているのかしら」
「理解不能だ。……お、相手が来たぞ」
河川敷に現れたのは、牛頭だ。彼はリーゼントをガチガチに固め、なぜか口に一輪のバラを咥えていた。
佐藤と牛頭。
二人の男が対峙する。
「……来たな、牛頭君」
佐藤がキザに眼鏡を押し上げる。
「待っていたぜ……この時をよぉ」
牛頭がモジモジしながらバラを取る。
会話が噛み合わないまま、奇跡的なセッションが始まる。
佐藤:「君の手紙、読ませてもらった。……非常に情熱的で、荒々しい文体だったね」
牛頭:「(蘭の手紙のことか?)へ、へへ……照れるぜ。俺のハートをぶつけたからな」
佐藤:「『命(タマ)の取り合い』という表現には驚いたが……僕も覚悟は決めている」
牛頭:「(命がけの恋!?)マ、マジかよ……アンタも本気ってことか?」
佐藤が一歩近づく。
「ああ。だが、いきなり『結合(結婚)』は早いと思うんだ。まずは清らかな交際(議論)から始めないか?」
牛頭が目を丸くする。
「け、結婚!? おま……気が早ぇよ! でも……悪くねぇ!」
牛頭は感極まって、佐藤の手を握ろうとした。
その時。
「ちょっと待ったぁぁぁ!!」
土手の草むらから、早乙女蘭が飛び出した。
彼女はてっきり、佐藤が自分の手紙を読んで待ってくれていると思い、隠れて見ていたのだ。しかし、現れたのはゴリラのような男(牛頭)で、しかも佐藤といい雰囲気になっている!
「な、なによこれ!? BL展開なの!? 佐藤くん、そっちの趣味があったの!?」
蘭の叫びに、佐藤と牛頭が振り返る。
「……蘭!?」
牛頭が顔を輝かせる。「来てくれたのか! 俺の手紙を読んで!」
「はぁ? アンタ誰よ! 私は佐藤くんに……」
ここでようやく、牛頭の脳内処理が追いついた。
「……あ? 佐藤? 手紙? ……おい、俺の下駄箱に入ってた手紙、宛名がねぇけど……これ誰宛だ?」
蘭がそのピンクの封筒を見て、顔面蒼白になる。
「ああっ! それ! 間違えて隣に入れた私のラブレター!! 返してよバカァ!」
牛頭が凍りつく。
「……は? じゃあ、俺の果たし状は?」
佐藤が懐から白い封筒を出す。
「これか? 『命の取り合い』云々の」
沈黙。
河川敷に冷たい風が吹く。
牛頭の顔が、赤から青、そして漆黒の絶望へと変わっていく。
「……俺の……俺の春は……?」
「ないわよそんなもの! さっさと消えて!」
蘭が鎖をチャリチャリ鳴らす。
牛頭は空を仰いだ。
「ウオオオオオッ!! 紛らわしいことしてんじゃねえええ!!」
牛頭は泣きながら、佐藤に殴りかかった。失恋の八つ当たりである。
「死ねぇぇ! 佐藤ぉぉ!」
「おっと、暴力はいかん」
佐藤は冷静に、持っていた花束を牛頭の顔面に突き出した。
「……君には、この花がお似合いだ(供花として)」
視界を花で塞がれた牛頭の背後から、堂羅が降りてきた。
「……茶番は終わりだ。失恋の傷は、俺が介錯してやる」
ドガッ!!
堂羅の飛び蹴りが牛頭を川に沈めた。
◇
騒動の後。
佐藤は、手元のピンクの封筒(牛頭から回収した蘭の手紙)を見つめていた。
「……つまり、これは蘭君が僕に書いたものか?」
「う、うん……」
蘭はゆでダコ状態でうつむいている。
佐藤は手紙を開こうとして、止めた。
「……今は、読まないでおこう」
「え?」
「君は間違えて投函したと言った。つまり、『意思表示の錯誤(民法95条)』により、この手紙の効力は無効だ」
佐藤は少しだけ優しく微笑み、手紙を蘭に返した。
「……本当に渡したい時に、もう一度、正しい手続きで渡してくれ。その時は、受理を検討する」
蘭は手紙を受け取り、瞳を潤ませた。
「……うん! 絶対、また渡すから! 覚悟しててよね!」
土手の上。
リベラがマカロンを食べながら呟く。
「……あらあら。朴念仁なりに、粋な断り方(キープ)をしますわね」
「フン。青春だな」
堂羅がコーヒーを飲み干した。
川の中では、牛頭が「俺の純情返せよぉぉ!」と叫んでいたが、誰も聞いていなかった。
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