第11話

激走! ママチャリ通学と道路交通法

 新学期。獄門高校の朝が変わった。

 かつては爆音と排ガスが支配していた校門前の坂道(通称:地獄坂)から、エンジンの音が消えたのだ。

 代わりに響くのは、キコキコという錆びついたチェーンの音と、元ヤンキーたちの荒い息遣いだけ。

「ハァ……ハァ……! なんで俺たちが、こんなママチャリ漕がなきゃなんねぇんだよぉ!」

「バイク登校禁止とか、マジで殺生だぜ……!」

 リーゼントの不良たちが、必死の形相でペダルを漕いでいる。

 彼らが乗っているのは、カゴ付きのシティサイクル、通称「ママチャリ」。

 ただし、ハンドルを極端に高く上げたり(カマキリハンドル)、荷台を極彩色に塗ったりと、無駄な抵抗(改造)の跡が見られる。

 そんな彼らの前に、一人の男が立ちはだかった。

 生徒会長の腕章を巻き、手にはなぜか「スピードガン」を持った佐藤健義である。

「ピピッ! ……そこの君、速度超過だ。校内制限速度は時速15キロ。君は20キロ出ている」

 佐藤は冷徹に告げた。

 手には黄色い切符(イエローカード)の束。

「あぁ? 会長、チャリに速度制限なんて……」

「あるに決まっているだろう! 道路交通法第70条、安全運転の義務。そして校則第8条『登校時の徐行』。……減点1だ。あと2点で免停(徒歩通学)だぞ」

「ひぃぃ! すんません!」

 佐藤は内ポケットからタバスコを取り出し、一滴舐めた。

 動体視力が極限まで強化される。

「……おい、そこの二人! 第19条、並進の禁止だ。仲良く並んで走るな、一列になれ!」

「……そっちの君! 第71条、携帯電話等の使用(に準ずる行為)だ。ウォークマンを聴きながら運転するな! 外部の音が聞こえない状態での運転は違反だ!」

 佐藤の厳格すぎる取り締まりにより、校門前は大渋滞を起こしていた。

 ◇

 そこへ、地響きのような音が近づいてきた。

 ドッドッドッドッ……!

「お、おい見ろ! なんかスゲェのが来たぞ!」

 坂の下から現れたのは、応援団長・堂羅デューラだった。

 彼が乗っているのは、もはや自転車と呼べる代物ではなかった。

 デコトラのように電飾と旗で飾り立てられ、総重量は50キロを超えそうな鉄の塊。

 だが、堂羅はそれを座ったまま、凄まじい脚力で漕ぎ上がってきた。

 太ももの筋肉が、制服のズボンを破らんばかりに膨れ上がっている。

「ぬぅん! 気合だぁぁぁ!!」

 グングン加速する堂羅号。

 佐藤がスピードガンを向ける。

「ピピッ! ……時速40キロ!? 原付並みだぞ!」

 佐藤が笛を吹く。

「止まれ堂羅! 第63条の9、自転車の制動装置(ブレーキ)は機能しているのか!?」

 堂羅は止まらない。いや、止まれない。

「ブレーキだと? ……俺の辞書に『減速』の文字はない! この坂は俺のトレーニングジムだ!」

「暴走行為だ! 逮捕する!」

 堂羅はそのまま、校門のバリケード(佐藤が設置したカラーコーン)を粉砕して突っ切っていった。

 ◇

 砂煙が舞う中、今度は涼やかな風が吹いた。

 チリリン♪ と優雅なベルの音。

「ごきげんよう、皆様。朝から汗臭くて大変ですわね」

 桜田リベラが、汗ひとつかかずに坂道を登ってきた。

 彼女の自転車は、見た目は普通の白い通学用自転車。

 だが、ペダルを漕ぐ足があまりにも軽やかすぎる。重力という概念を無視しているかのようだ。

 佐藤が目を細める。

「……リベラ。おかしいな。この急勾配を、座ったまま、しかも紅茶を飲みながら登れるはずがない」

「あら、日頃の行いが良いからですわ」

「嘘をつけ。……車両検査を行う」

 佐藤が自転車を調べようとすると、チェーンカバーの奥から「ウィィィン……」という微かなモーター音が聞こえた。

 80年代にはまだ普及していないはずのオーパーツ、『電動アシスト機能』だ。

「……これはなんだ。バッテリーが積んであるぞ」

「ただの重りですわ」

「モーターがついている」

「ダイナモライト(発電機)の大型版ですわ」

「……製作者は?」

「購買部のラーメン屋(喜助)ですわ」

 やはりか。

 佐藤が「整備不良および不正改造」で切符を切ろうとした瞬間、リベラが囁いた。

「佐藤さん? ……今ここで私を止めたら、今日のお昼の『プレミアム・メロンパン』、あなたの分はありませんわよ?」

「……!」

 佐藤の手が止まった。

 今日の学食はパン祭り。そのメロンパンは限定品だ。

「……今回だけは『試験走行』として認めよう。行きたまえ」

「物分かりが良くて助かりますわ」

 リベラは涼しい顔で校門を通過した。

 これが資本主義(賄賂)の力である。

 ◇

 ――キーンコーンカーンコーン。

 予鈴が鳴った。

 だが、校門の外にはまだ、佐藤の検問に引っかかった生徒たちが100人以上並んでいた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ会長! 遅刻になる!」

「知らん。反射器材(リフレクター)の汚れを拭き取るまで通さん」

 そこへ、校長室から井上白長が飛び出してきた。

「さ、佐藤くぅぅん!!」

 井上校長は、顔面蒼白で佐藤にタックルした。

「頼む! もう許してやってくれ! 全校生徒の3割が遅刻なんてことになったら、また教育委員会から電話が来るんだぁぁ!」

「しかし校長、法(ルール)は厳守されなければ……」

「私が悪かった! 私が後で全員の自転車を磨くから! お願いだから通してぇぇ!」

 校長が地面に這いつくばり、生徒たちに向かって土下座した。

「みんな、すまん! 通ってくれ! ……あ、スピードは出しすぎないようにな!」

 生徒たちは、涙ながらに土下座する校長と、鬼の形相の生徒会長を見て、思った。

 (……バイクの方がマシだったかもしれない)

 ◇

 昼休み。

 屋上でパンをかじる三人。

「……ひどい目にあった。校長の懇願により、厳格な法適用が妨害された」

 佐藤がタバスコをパンにかける。

「お前の取り締まりが厳しすぎるんだ。……だが、自転車も悪くない。太ももがパンプアップされた」

 堂羅がプロテイン(当時は珍しい粉末)を飲む。

「ふふ、文明の利器は快適でしたわ。……はい、約束のメロンパン」

 リベラが佐藤にパンを渡す。

 平和な昼下がり。

 だが彼らはまだ知らない。

 次なる試練、『期末テスト』という名の知的格闘技が迫っていることを。

「……そういえば、赤点を取ったら『留年』だったな」

「……現代に帰るのが一年遅れる、ということか?」

「……勉強、教えた方がよろしくて?」

 三人の顔が曇った。

 彼らにとって、不良との喧嘩よりも恐ろしい「補習地獄」が始まろうとしていた。

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