花韮のラブレター

板垣鳳音

 まだ午前だというのに予報外れの鉛色の空に陽光がさえぎられ、後にバケツをひっくり返したような雨に変わった。ザーっと鳴る音に、せわしなく動き回る警察や、傘を差した野次馬の声、ある男の悲痛な叫び声がかき消されていた。閑静な住宅街の中に建てられているマンション入り口の花壇の隣には、女性だったものが激しい雨音とは対照的に静かに横たわっており、アスファルトにはまだ新しい鮮血が降り注ぐ雨水と交わり、排水口に向かって激流を作り出している。

 その女性は私の妻である。しかし、今だ目の前の現実を受け入れられない私は、悲しみや怒りや罪悪感や将来の不安感といった複雑な感情がぐるぐると循環し、心の整理がつかない状態で声を上げて泣くことしかできなかった。

 目の前の現実に立っていることも出来ずにその場に膝をつき、座り込んだ男に警察が近付き男の横にしゃがむと、慰めるように背中を撫でながら傘を頭上に掲げている。目障りな野次馬は相手に耳打ちするように自分が考えた事の経緯や理由を物語のように作り上げ、妄想を語り合っているように見えて腹立たしい。


 篠つく雨が降る今日、最愛の妻が自殺した。

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