第三節「ザ・スカイ・セッド、"ラブ・ユア・ネイバー"」
彼女の口にした愛、その愛は一体何処から出てきたものなのだろうか、また、ブラックホールの愛が黒いとするならばその黒さとは何なのか。まず彼女の愛についてだが、彼女は原始的求愛の一種、女を見初めた男がその女の気持ちを何も考慮せずに行き成り彼女を抱きすくめ自分の物にしてしまう形式、愛を育む過程と言う通過儀礼も無く行き成り愛の関係を築いてしまう至極直接的至極男性主観的な形式によってこの世界に立たされている、彼女のこの世界における重要な役割に、自分の隣に置く事でその役割に属する彼女が太陽光のように輝く事を見出した空が行き成り彼女を抱きすくめ自分の物にしようとしている、状況下に彼女は立たされている。そして、彼女は、立っているのだ、立たされているだけではない立っているのだ。何故彼女は立つか、それは彼女が空のあからさまに見せつける愛が非透明愛、相手の目線相手の仕草相手の言葉を発する時と食事をする時の唇の使い方の差異等に見え隠れする、相手は果して私という性的愛対象にどの程度の理解欲求を備えているのか、またその理解欲求とは天秤にかけた場合に肉体的理解欲に傾くのか精神的理解欲に傾くのか、と言った事を識別する時の嗅ぎ分けの邪魔をする無臭ながら無味ではない(性的愛対象と共にする食事の時、各々には必ず潜在的に相手を口に運んでいる心理が有る。相手という繊細な歯ざわりの野菜を噛み砕き相手という柔らかな温もりの肉汁を啜り相手という甘い甘い口内麻薬としてのデザートと舌を絡めている透明な幻想が、ふたりの空間を淡く彩るテーブルの真ん中の蝋燭の炎の中で情熱的にとろけている)透明ならざる愛、つまり、もしかして相手は私を好きなのではないか、と言う部分さえ越えて、つまり可能性を考えている部分もしかしてを越えて、もしかしなくても相手は私を好きなのに違いない、と言う限り無く無根拠に近い幻想が拒否しがたい圧力と引力とで以って識別者を被識別者のパブロフの犬にしてしまう、非透明愛(真理的総合的否定の形容客観否定の形容、不ではない、ただその人による道理的道徳的(勿論道理道徳は真理的総合的なものではない。民族間で既に差異があるような物を真理や総合とは呼べない)否定の形容主観否定の形容、非で正しい。不透明愛なんて物は存在しない、愛は透明だからだ、目に見えるわけが無いからだ、が、識別者がもし、限り無く無根拠に近い幻想が愛に見えてしまったなら、その時点でもう愛は透明ではない、その人にとって透明にあらざる物即ち非透明愛だ)、それとして見えているからだ。端的に言えば、男性器を受け入れた時にそこに愛が有ろうが無かろうが流れ出る確かな女性器の愛液が、ふたりの周りを支配して浮かんでいる、精神の目を捉えるものとしてそこに存在し識別者を被識別者の色香に惑わせていると言うような状況だ。非透明愛は、もうその人にとっては愛なので本当に追求しなくてはならない透明愛の追求をそこで止めさせる、相手の目線に映っているのが蝋燭の中の、ふたりがあたかも愛し合っているかのような幻想でしかなくても、相手の仕草が別に自分の事を気遣っているから優美なのでは無くても、相手の喋る時にその読唇だけをしていると私はこれこれこうゆう事を喋っているけどそれもこれもみんな貴方に色んな角度色んな方向性色んな(無根拠な(この部分は、見えない。非透明愛は根拠で成立している訳ではない))幻想で愛を伝える為なのよ、肉が美味しいわね(あなたって美味しそうね)、この野菜は何処で取れるのかしら(貴方が何処から来たのか、なんて事はどちらでもいいの、貴方がここにこうして居てくれてる事が重要なのよ、じゃなきゃこれから貴方が私と別れて何処かへ行ってしまうというとき、貴方の心に私を残せないでしょう?)、ねえ、このデザートあたし達にも作れないかしら(あたし達も早く愛を作らない?)、こう言った風に全てが変換されてしまう、見えてしまう愛は、それ程に強烈だ、動物は基本的に愛と言うか、性欲に弱いが人間は性欲に弱くない振りができる生き物だ、動物と違い性処理の文化を異様に肥大化させてきたから性欲に弱くないかのような自分を社会にさらけ出す事が出来るが、本当はもの凄く弱い、愛と性欲がイコールなのに愛と性欲がイコールじゃないような事を言わないといけない動物的な部分の自分は、もの凄く弱いのだ。だがここで一つ言わなければならないのは、彼女は見える愛に感動をしても、見える愛液に感動する(感動はするだろうが、それは見える愛液の中に見える愛への感動である筈だ、性行為の主体目的はそれ自体ではなく愛の確かめ合いの方である筈だ、女性は性行為で支配する側ではなく、支配される側なのだから)存在ではないと言う事だ、彼女は女なのだ。つまり、おもしろい事に状況が逆なのだ、普通色香で男を惑わすのは女であるのに、この状況では男が色香を振りまいていてそれに彼女が引き寄せられているのだ。それが彼女の言う、ブラック・ラブだ。それは見える愛だ、しかし、黒いのだ、禍々しいのだ、間違っているのだ、彼女は、自分に確かな愛という素敵な物を見せてくれた空に、その愛は黒じゃいけないよ、本来の透明に戻さないといけないよ、と教えに行こうとしているのだ。この彼女の感情は非透明なのだろうか、不透明なのだろうか。勿論先の論理で行けば感情とは統一的に透明だ、もしくは傍観者の主観狂気を交えて非透明だ。だがここで言っているのは、彼女はこの非透明な愛に包まれている中で、この唯一確かと思える通常な感情を、状況に対し持っている(不透明)のか、状況に持たされている(非透明)のか、と言う事だ、ここに確かに存在はする、と言う意味で透明でないこの感情、それが不なのか非なのか、彼女はそれを知りたくて、ずっと歩みを続けている。地上に戻る事の出来ない、という痛すぎる不透明に包まれた、一歩一歩の、無気味なほど透明な道を行く翼無き飛翔を。そう、彼女は透明な存在、天使ではない、何処までも不透明な存在、人、なのだ。
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