第二節「ブラックホール・スカイ」

 少女が空中で寝転がっている。つまり、寝ている彼女の足をそのまま地上に持っていったら地上に立ち上がっている格好になっている。だが、彼女は間違い無く、寝転がっている。そして空を見上げる、その見上げている空も地上で見る時には見ることの無い角度からの空、側面の空だ。いつも彼女は真正面を、つまり地上で見上げる普通の空をいつでも見飽きるほどに眼前に据えている筈なのに、何故わざわざ異様な光景でしかない側面の空に空を求めてしまうのか。それは、真正面に位置する空が、異常だからだった。青が一色も無いのだ、もしも今ブラックホールを肉眼映像で捉えた前経験が有ったとすればこれもその一種だと判断出来るのではないかと思わざるを得ないような光景、白い渦巻きが全天を支配しているのだ。勿論この世にブラックホールは渦巻き形として存在するのだろう、だがそれを肉眼で果たして人が良く連想するような渦巻き形として捉える事が出来るのか、と言うとこれは定かではない。超々望遠のレンズを通してみればブラックホールは渦巻き形だろう、だがそんな事は知識の中であるだけで超々望遠による映像など真のリアリティであるとは言えない、脳内部の概念映像としてブラックホールは渦巻きである、という心象をインプットしたとしても肉眼で視覚しなくては、外部組織体目によって事象に対し覚めなくてはそれの具体像を得ることは出来ない、地球は青かった、と言う言葉を言ったとしても宇宙に出て実際にそれを目撃した者でないと何の意味も無いのと同じだ、それを見るまで、自分の肉眼を用いて地球世界の構造を、内部からではなく外部から、切り離された位置から見るのでなければ、その人にとっての地球の青は、過去形にはならない、未来形のそれも弱推量にしかならない、~に違いないという形は使えない、どの青なのか分からないからだ、(地球上から見える)海の青なのか空の青なのか、それともクレヨンの中の原色の青なのか。青、と一言で言うのは簡単だが、地球色の青、は地球を本当に目撃した物でなくては言う立場には立ち得ないのだ(勿論ビデオ映像の地球の青、紙面の地球の青はビデオ映像の青、紙面の青でしかない)。同様、ブラックホールは渦巻き形だった、も何の視覚改造装置も無しに確認しないと発言しても意味が無い、ブラックホールの渦巻き形は、潮の渦か、雲の渦か、それとも生活廃水が流れ込んでいく流しの渦か(また同内容的な事を繰り返すが、ビデオ映像や紙面のブラックホールは直径1mも無いのだ)、それらから連想する想像者本人達それぞれの渦にしかならない、もし各々ブラックホールの渦を肉眼で確認しているので有ればそこにはある一つの共通形が存在する筈だが、そんな状況を獲得した人間などいるわけが無いので潮の渦の様にうねり雲の渦の様に巻いて生活廃水のようにどす黒いという様な雑多な想念にその人の心に有るこれもまた観念的な宇宙を添えてその人は黒い渦、ブラックホールを想像する事が出来るだけだ。だが、彼女はそれにもう一つ、他の人間が肉眼で確認している筈の無い渦巻き形のリアリティ・イメージを想像ブラックホール製作の際の想念材料として、得た、目の前にある白い渦、異常な白く渦巻く空がそれだ。だから彼女の作る想像ブラックホールには他の人間より幾分か説得力の強度が増している。そして彼女自身もまた、彼女の持つ想像ブラックホールによって強く納得させられているのだ、潮の渦よりも圧倒的に規模が大きく、雲の渦よりも圧倒的に扱っている物理要素が多く、生活廃水の渦よりも圧倒的に二度と見たくない、この世に有るべきではない地獄絵図に惚れた青空が自分が青だった事を捨ててまで求婚し今正にその性行為に及んでいる姿を彼女は延々と見せられていたのだから。この禍々しさは、彼女にこの神の物理なのかそれとも非物理の極なのか判断しかねる映像を、彼女の心の中ではいまだ未知の禍々しさと絡む色、黒の存在である、ブラックホールと名づけるに足る最大根拠だった。アイ・ラブ・ユー・ブラックホール、バット・アイ・ドント・ライク・ユア・ブラック・ラブ、私は貴方を愛しているわ、だけど黒塗れの恋は終わりにしましょう、そう呟いて、彼女は最愛の天上世界に向き直ると、今までよりもちょっとだけ強いストライドで、歪んだ空で確かすぎるほど真っ直ぐに、跳んだ。

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