第3話 Relay Day

 微弱な信号は、風の揺れと一緒に通路を漂ってくるようだった。


 規則的なのに頼りなく、けれど確かに生きたリズムを刻んでいる。


 サーの胸部ユニットがそのたび青白く点滅する。


 古い通信モジュールは負荷に弱く、時折かすかにうなるような音を立てていた。


『信号強度、わずかに増加。距離が縮まっています』


「この先に……なにかあるのね」


『はい。地図データ上、病院区画──“新生児保護ユニット”が最寄です』


 新生児保護ユニット。


 生まれたばかりの子どもたちを短時間安置し、状態を監視するための病室。


 最新の技術と古くからの“人間の習慣”が同居する場所。


 ミレイは無意識に歩みを速めていた。


「サー、ここ……覚えている?」


『はい。

 勤務記録から推定すると、あなたは生態維持局の技術者として、この区画の設備メンテナンスに関わっていました』


「そっか……」


 記憶の奥で、微かな灯りが揺れる。


 だが、それを掴む前に通路は大きく曲がり、地下に続く階段へと変わる。


 扉の前に立つと、サーが状況を確認した。


『システムは停止しています。

 手動での開閉を試みます』


 重い金属音。


 サーの力で扉がわずかにずれ、隙間が生まれる。


 そこから流れ込んだ空気は、消毒薬と微弱な電流のにおいが混ざった、どこか懐かしい“医療の匂い”だった。


『ミレイ、危険はありません。入れます』


「ありがとう。……行こう」


 ふたりで隙間をすり抜けると、病室の薄明かりが迎えた。


 壁には古い端末、壊れたカーテン、点滅し続けるモニタ。


 だが、その中央だけは違う。


 透明パネルの保護ケースがふたつ、並んでいた。


 片方は青白い光を、


 もう片方はごく微かな温度を、


 それぞれ静かに放っている。


『……信号源、特定しました』


「……赤ちゃんだ」


 ミレイは一歩、自然に前へ出ていた。


 ケースの中には、ふたつの小さな生命が眠っている。


 寄り添っているのではない。


 同じ日に生まれた、別々の赤子が、偶然同じ部屋に並んで眠っていただけ。


 それなのに──


 ふたりの呼吸は、まるで呼び合うようにそろっていた。


 ミレイは透明パネルに手を添え、そっと息を吸う。


「まだ……生きてる」


『はい。

 ただし、生命維持装置は稼働限界です。

 内部の栄養供給ユニットは寿命を超過しています』


「つまり、このままだと──」


『数十時間以内に停止します』


 サーの言葉は機械的で、揺らぎはない。


 それでもミレイには、どこか“ためらい”を含んでいるように聞こえた。


「サー……この保護ケースの仕様、覚えてる?」


『はい。

 本来は外部から“有機エネルギー”を受け取ることで、長期育成を可能にする設計です』


 ミレイはぐっと唇を噛む。


「有機……って、生きた誰かの……」


『生命エネルギーを微量抽出し、換算して新生児へ供給します』


 病室全体が静かだった。


 静かすぎて、ふたりの呼吸さえ響いてしまうほど。


 ミレイはケースのふたつの小さな影を見る。


 目を閉じたままの子どもたち。


 同時期に生まれたというだけの、別々の存在。


 なのに、ここでは世界の“第二の始まり”のように並んでいる。


「……サー」


『はい』


「この子たち……なんで二人とも残っていたんだろう」


『推測します。

 小惑星衝突時、この病室は構造的に保護されました。

 緊急自動ロックが作動し、外部からの侵入が遮断されたため、生存率が最大化されました』


「それで……二人とも、助かった?」


『はい。

 別々の母体、別々の出生記録。

 しかし、同じ日に生まれた“二つの新しい生命”が、ここに残されました』


 ミレイは息を呑んだ。


 人類が滅びた都市で、


 同じ誕生日の赤子がふたり並んで眠っている。


 そんな光景を“偶然”と呼べるだろうか。


 サーが小さく首を傾ける。


『ミレイ。

 私は、こうした状況を……どう扱えばよいのでしょう』


「どうって……?」


『“正しい判断”が分かりません。

 しかし、あなたの表情を解析すると──

 この状況は“良いもの”に分類されると予測できます』


「まあ……悪いって感じじゃないかな。

 希望って言うと大げさだけど……そういう匂いは、ある」


『希望……』


 サーはその言葉を、どこか不器用に繰り返した。


 病室の光がふたりの影を少しずつ伸ばしていく。


「サー」


『はい』


「難しいことは後でもいいよ。

 今は、この子たちを助ける方法を探そう」


『……了解。

 あなたの判断を優先します』


 その言い方は淡々としている。


 でも、ミレイには分かった。


 “従う”のではなく、“寄り添う”に近い温度があった。


 ふたりの前で、新生児保護ケースが静かに脈動する。


 小さな命が「ここにいるよ」と言っているように。


 ──呼び声は、確かに手渡された。

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