底辺クラスの宰相様 ―元悪徳政治家、いじめの学園で笑う―
aiko3
第1章 断罪と再生 第1節 灰の冠
燃える都を、見下ろしていた。
高台にそびえる政庁の塔。その最上階から、ヴァルネス・クラウ=ロウは、崩れ落ちていく街並みを無言で見つめていた。
屋根瓦が砕け、石畳を割って炎が走る。叫び声は遠く、もう届かない。聞こえるのは、風が吹き抜ける音だけだ。
それでも、彼の顔には微笑があった。
――仕方のないことだ。
民衆というものは、常に感情で動く。
理ではなく、憎悪と憤りで世界を転がす。
ならば、賢者は滅びる運命にある。
自分の運命を、彼は理解していた。
ヴァルネスは帝国最年少の宰相にして、最悪の悪政を敷いた男だった。
成果主義、徴税強化、反乱鎮圧。数字でしか世界を見ない官僚の極致。
彼にとって、人の命は「効率の単位」だった。
だが――。
「宰相ヴァルネス・クラウ=ロウ。神聖帝国の名において、汝を断罪する。」
背後の扉が開き、十数人の騎士が入ってくる。鎧の擦れる音が、冷たい石壁に反響する。
先頭に立つのは、かつての部下。反乱軍の将、リディア・アストリア。
銀の鎧をまとい、かつては忠誠を誓った彼女の眼が、今は怒りと悲哀に燃えていた。
「……そうか。お前が来たか。」
ヴァルネスは静かに振り返る。燃え盛る炎が、その金の瞳を照らす。
「リディア、私はお前を育てた。今、私を討つのは、お前の正義か?」
「違う。これは、あなたが殺した者たちの意志です。」
「殺した? 彼らはこの国を動かす歯車にすぎない。私はただ、より良い体制を――」
「黙れ。」
その一言が、冷たい刃のように響いた。
リディアは剣を抜き、彼の前に立つ。背後では、反乱軍の旗が翻っている。
その旗の模様――赤い翼が広がる。それはかつて、彼自身が掲げた「自由と秩序の象徴」だった。
彼は苦笑した。
「見事だ。私の理想を、お前が壊すとは。」
「理想? あなたの理想は人を踏み台にした。あなたの国には、幸福な民がひとりもいなかった。」
「幸福など、統計に存在しない概念だ。」
「だから、あなたは人間を失った。」
剣が振り下ろされる。
首筋をかすめた刃の冷たさに、ヴァルネスはほんの少し、安堵を覚えた。
炎と血の中で、誰かの声が聞こえた。
――お前の罪は、魂に刻まれた。
それが神の声だったのか、リディアの嘆きだったのか、彼にはもうわからない。
視界が暗転し、瓦礫の中へと身体が崩れ落ちる。
最後に見たのは、自ら築いた塔が崩れ落ちていく光景だった。
* * *
耳鳴り。
重たいまぶたをこじ開けると、光が刺す。
灰色の天井。チカチカと点滅する蛍光灯。
――ここは……?
口の中が乾いていた。金属の味がする。
ゆっくりと上体を起こすと、見慣れぬ机と椅子。周囲には紙の山、黒い箱のような機械。
視界の端に、白い文字が浮かんでいた。
〈3年B組〉
黒板。
学校。
子供たちの声。
「おい、寝てたぞ、鷹栖!」
誰かが笑いながら肩を叩いた。
ふりむくと、見知らぬ少年。茶髪、ピアス、制服のボタンは外れたまま。
数人の生徒がクスクス笑っている。
黒板の前には教師。無表情で出席をとっていた。
――これは……夢か?
手を見た。
白く、細い指。かつてのしなやかな官僚の手ではない。少年の手だ。
机の上には、教科書とノート。そこに記された名前。
〈鷹栖 慧〉(たかす けい)
教室のざわめきが戻ってくる。
「マジ寝落ちしてやんの、鷹栖ー」
「またかよ、落ちこぼれー」
「進学校に来る意味ねーだろ、こいつ」
笑い声。軽蔑。無関心。
ヴァルネス――いや、鷹栖慧はゆっくりと息を吸った。
どこかで、懐かしい匂いがした。敗北と軽蔑の匂い。
それは、彼が何よりも嫌っていた人間の感情だった。
だが、次の瞬間、口の端がわずかに上がった。
――なるほど。
これは、罰か。
神よ、実に皮肉な舞台を用意してくれたものだ。
彼の脳裏に、前世の記憶が洪水のように流れ込む。
政争。裏切り。断罪。そして――再生。
「……この国は、教育の名のもとに人を分類する社会か。」
小さく呟いた言葉は、誰にも聞こえなかった。
ただ、その眼だけが異質だった。
冷たく、研ぎ澄まされ、すべてを見通す宰相の眼。
チャイムが鳴る。
教師が出ていくと、教室の空気が一気にゆるむ。
机を蹴る音。ペットボトルのふたが飛んでくる。
「おい、鷹栖ー、昨日も補習サボったろ?」
「スマホ持ってんだろ? 出せよー」
取り囲む笑い声。
慧は顔を上げ、ゆっくりと笑った。
「……なるほど。君たちは、私を支配したいのだな。」
「は? 何言ってんのこいつ。」
慧は立ち上がる。背筋を伸ばし、まるで壇上の演説者のように。
「支配とは、構造の産物だ。君たちはこのクラスという小国の特権層。
教師という上級権力の庇護のもと、弱者を娯楽として搾取している。」
沈黙。
クラス全体が、ぽかんと彼を見ていた。
慧は、唇の端をゆっくりと吊り上げた。
「だが――どんな体制にも腐敗はある。」
その声には、確かな冷たさがあった。
いじめっ子たちは笑い飛ばそうとしたが、その目に一瞬、何かを感じ取って固まった。
「おい……何だよ、こいつ……」
慧はただ静かに席に戻る。
手の中のペンをくるりと回しながら、黒板の隅に目をやった。
そこには「青嶺高校」と書かれている。
――青嶺。
この世界の頂に立つ者たちの名か。ならば、私はここで見せてやろう。
「……宰相のやり方を。」
呟いた声は誰にも届かなかった。
だが、その瞬間、灰の中から再び立ち上がった悪徳官僚の魂が、現代日本という新しい舞台で息を吹き返していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます