可愛い後輩に彼氏がいると勘違いして距離を置いたら、実はずっと俺が好きだったらしくて、この後めちゃくちゃイチャイチャした

ジャムシロップ

前編

 俺、水谷弘次が「片想いなんてやめよう」と決めたのは、先週の金曜日だった。


 放課後、職員室にプリントを出しに行く途中で、中庭の端に人影が見えた。なんとなく目をやると、そこにいたのは一年の星野めぐると、三年の河村先輩だった。


 二人はベンチに並んで座っていた。

 めぐるは膝の上で手をぎゅっと組んで、何か一生懸命話している。

 河村先輩は、静かにうなずきながら、その話を聞いていた。


 楽しそう、というより、真剣そう。

 けれど、ときどきめぐるの口元に小さな笑顔が浮かぶ。

 そのたびに、先輩も少しだけ表情をやわらげる。


 その距離の近さだけで、俺には十分だった。


「……ああ、そういうことか」


 胸の奥が、すーっと冷たくなる。


 星野めぐる。

 入学式の日、校門の前で書類をばらまいて、半泣きになっていた一年生。


『だ、大丈夫? ほら、飛んでってる』

『ひゃっ……! す、すみません、ありがとうございます!』


 あの日、思わず拾い集めてやっただけのつもりだったのに、それ以来めぐるは、ずっと俺のあとをついてくるようになった。


「水谷先輩、おはようございます!」

「先輩、帰り一緒でもいいですか?」

「今日も助けてもらってもいいですか?」


 小さな子犬みたいに、まっすぐで、距離感がおかしくて。

 騒がしくて、でもそれが当たり前になっていった。


 気づけば、星野めぐるは、俺の一日の中でいちばんよく笑う子になっていた。


 だからこそ、中庭の光景は効いた。


 俺なんかじゃなくて、ちゃんとした先輩を好きになるのは、当然だ。

 河村先輩はサッカー部のキャプテンで、女子からモテモテのイケメンで、頭も良くて、誰からも頼られている。

 そんな人の隣にいるめぐるは、いつもより少し大人に見えた。


「はぁ……」


 プリントを握りしめたまま、俺はその場を離れた。


 その日を境に、俺はめぐるを避けるようになった。


◆◆◆


 月曜日。


 昇降口で靴を履き替えていると、いつものように「水谷先輩〜!」という声が聞こえた。

 条件反射で顔を上げそうになって、ぐっとこらえる。


 視線を落としたまま、靴ひもを結ぶふりをする。

 少し離れたところで足音が止まり、しばらく俺のほうをうかがっている気配がしたけれど、やがて遠ざかっていった。


 放課後、一緒に帰ろうと誘われても、「今日、用事ある」と断った。

 休み時間に教室へ来ても、「悪い、今このプリント終わらせたい」と教科書を開いたまま顔を上げなかった。


 自分でも、わざとらしいと思う。

 それでも、あの中庭の光景を思い出すと、前みたいに笑えなかった。


(邪魔したくないんだよ)


 めぐるには、めぐるの世界がある。

 俺はそこに入り込む立場じゃない。

 そう決めたほうが、きっと楽だ。


 ──そう思い込もうとしていた。


◆◆◆


「……やっぱり、おかしいです」


 その「おかしいです」が、はっきり言葉になったのは、月曜日の昼休みだった。


 教室で弁当のふたを開けたところで、机の前に人影が落ちる。

 顔を上げると、星野めぐるがいた。


 いつものように笑ってはいるけれど、その笑顔はどこか引きつっている。


「先輩、私のこと避けてますよね」


 いきなり核心だった。


「べ、別に避けてないよ。普通だろ」


「普通じゃないです!」


 きっぱりと言われて、さすがに言葉が詰まる。


「朝、一緒に行ってくれないし、廊下ですれ違ってもすぐ行っちゃうし、放課後も『用事ある』って。先輩、そういうときでも一言くらい話してくれる人だったのに」


「……そうだったか?」


「そうでした」


 めぐるはぐいっと身を乗り出してきて、俺の目をまっすぐのぞき込んだ。


 シャンプーの甘い匂いが、ふわっと漂う。

 前ならそれだけでドキッとしていたのに、今はそれに罪悪感みたいなものが混じって、心臓が変な動きをする。


「何かあったなら……言ってください。私、知らないままなの、ヤです……」


 不安と怒りと心配が混ざったような声だった。


 めぐるに、ここまで言わせてしまったことが、胸に刺さる。


「別に……大したことじゃない。ただ、ちょっと……」


 言いながら、つい視線が横へそれた。

 窓の外。中庭。金曜日の記憶。


 そこで、口が勝手に動く。


「めぐるはさ、先輩との時間、大事にしろよ」


「……先輩?」


 めぐるの表情が固まる。


「この前の金曜。河村先輩と話してただろ。いい感じだったし……そういうことなんだろ?」


 自分で言っておきながら、胸がずきっと痛んだ。


「付き合ってるならさ、あんまり俺なんか構ってないで──」


「待ってください!」


 めぐるが、俺の言葉を遮った。


 さっきまで不安そうだった顔が、今度は真っ赤になっていく。


「な、何勝手に決めつけてるんですか!」


「え……?」


「つ、付き合ってません! 河村先輩とは全然そんなのじゃないです!」


 思わず教室が静かになるくらいの声だった。

 周りも、痴話喧嘩か何かと、俺たちを密かに見ている。


「じゃあ、あれは……?」


 問いかけると、めぐるは一瞬うつむいて、ぎゅっとスカートのすそを握りしめた。


「……恋愛相談してただけです」


「恋愛、相談?」


「そうです。好きな人がいて、その人にどうやったら女の子として意識してもらえるか、聞いてました」


 好きな人。

 やっぱりいるんだな、と。

 安堵も束の間、胸のどこかが冷える。


 けれど、その次の言葉は、まるでそこに熱湯を流し込むみたいだった。


「その好きな人、って──」


 めぐるは顔を上げた。

 目の縁が少し赤くて、それでもまっすぐだった。


「水谷先輩ですっ!」


 時間が止まった、と思った。


「……え?」


「私が好きなのは、水谷先輩です。入学式の日に助けてもらってから、ずっと。だから河村先輩に、『先輩にちゃんと女の子として見てもらうにはどうしたらいいですか』って相談してたんです。河村先輩、そういうの詳しいって聞いたんで」


 めぐるの声は震えていたけど、一言一言、はっきりしていた。


「なのに、先輩が急に冷たくなって……。嫌われちゃったのかなって、そればっかり考えてて……」


 最後のほうは、かすれるような声になっていく。


 それでも、俺から目をそらさなかった。


 胸が締めつけられる。

 こんなふうに言わせてしまった自分にも、勝手に諦めた自分にも、全部に。


「めぐる……ごめん」


 椅子から立ち上がって、俺は小さく息を吸った。


「めぐるが、河村先輩のこと好きなんだって勝手に思って、勝手にへこんで、勝手に距離置いてた。話も聞かないで」


「……」


「めぐるの気持ち、ちゃんと聞くのが先だったのに。ほんとに、ごめん」


 謝りながら、自分の中の何かが音を立てて壊れていくのを感じる。


 諦めようとしていたふりをやめたら、胸の奥にあった気持ちが、そのまま口まで上がってきた。


「俺も、めぐるのことが好きだ」


 静かに、でもはっきりと言った。


「先輩……?」


「入学式の日から。よく笑うところとか、すぐ人を頼るくせにテストはちゃんと頑張ってるところとか、くだらないことで笑わせようとしてくるところとか。全部」


 言い終えたあと、教室がやけに静かだった。

 周りの視線がこちらに向いているのは分かるけど、不思議とどうでもよくなっていた。


 めぐるは目をぱちぱちさせて、それから、ぽろりと涙をこぼした。


「……うそじゃないですよね」


「うそついてまで、こんな恥ずかしいこと言わない」


 そう返すと、めぐるはふっと笑った。

 泣き笑い、という言葉がぴったりな顔だった。


「先輩、バカです」


「知ってる」


「もっと早く言ってくれたら、私、こんなにぐるぐるしなかったのに」


「そ、それは……マジごめん」


「ふふ、でも……うれしいです」


 小さく、そうつぶやいて、めぐるは目元を指でぬぐった。


 チャイムが鳴る。

 もうすぐ午後の授業が始まる。


「とりあえずさ」


 周りの空気に、少し現実を思い出しながら、俺は言った。


「周りの視線がスゴいから、続きはあとでちゃんと話そう」


「……はいっ!」


 めぐるはこくりとうなずいた。


 その日、午後の授業で何をやったのか、正直あまり覚えていない。

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