第21話・罪の形
部屋の片隅にある本棚を動かすと、大きな魔法陣の
描かれた石の壁が現れた。クローケが掌を翳すと、
魔法陣がぼんやり光り、壁が重い音を立てながら
下がる。そこに、地下へ続く階段が現れた。先を行く
クローケの背中は、穏やかで静かだった。あれほど
執着と憤怒に満ちていた姿が、今はただの落ち着いた
人間に見える。彼は出血の続く右肩を抑えながら、
無言のまま階段を降りた。湿った空気と鉄の匂いが
鼻を刺した。
「恐らくあなたは、ここを見れば私に対する赦しの心
は失せるでしょう。ですが、それで結構です」
錆び付いた金属の擦れる音と共に、小さな鉄の扉
が開かれた。
中は想像以上に広かった。不揃いなむき出しの
石壁はこの空間が無理やり作られた事を示している。
おそらく研究所、実験室として使われる前から屋敷の
主であるマルトによって"ある目的のため"に用意
された物なのだろう。……詳しく考えたくもない。
長い机の上には乾いた薬瓶と壊れた器具、分厚い
革装丁の本や走り書きの草紙が散乱している。空気
は淀み古い血と薬品が混ざったような匂いが喉を
刺した。奥には、子どもたちが収められた金属製の
牢がある。小さな人影がいくつかそこに縮こまり、
静かに息を潜めていた。
……想像以上に、受け入れ難い。
「さて、あなたはこれを見て、一体どんな裁きを
与えますかね?ある意味あなたは唯一、私やマルト
を罰する立場にいる。当然この場にあなたのお父上や
お母上がいれば、その私刑も有効です」
そうか……肝心な事を失念していた。この世界の
仕組み上、前世のように国家公務員の警察組織の
ような仕組みは整備されていない土地がほとんどだ。
大きな王都のような場所以外、基本的には被害者
身内による加害者の特定、追跡、処罰が主となり、
第三者が事件に立ち入ることはあまり無い。もし
この場の子供たちがエディ以外身内を持たないので
あれば、クローケやマルトに処罰を与える場合エディ
の家族である僕らか、あるいは囚われた子供たち
本人。おそらくハディマルの人々も、黙ってはいない
だろうが。
なるほど。クローケが妙に潔い理由がわかった。
前世の社会では、何かしらの犯罪者への裁きは、国の
管理する法的なものにかけられて初めて成立する。
つまり、犯人側からの思考はあくまで"警察に捕まら
ないようにしよう"であり、一般人からの直接報復を
意識しなければならない状況自体皆無なのだ。
だがここでは違う。関係者に追跡され、確保された
時点で、確実に実刑は免れない。クローケが僕に
負けるという事は、前世では警察に逮捕されたと
状況としては変わらないのだ。……この辺りの感覚の
ズレは未だに修正できていない。というか、あまり
修正をしたくない。
……ちょっと待て……そうするともう1人、立場の
難しい人が居るじゃないか。ジークさんは、この
考え方において極めて解決の難しい位置にいる。
エディや孤児たちの連れ去りを行っていたスコイル
という集団に参加している事から加害者でもあり、
エディ救出の協力者でもある。さらには友人である
フォルトさん等の友人を屍人として利用された事から
被害者でもある。……これは、当たり前ながら、僕
1人で決められる事ではない。
「どうするか……それは一旦保留させてください。
まずは、子供達の解放を要求します」
僕にはそう言うのが精一杯だった。
「承知致しました。ですが、良いのでしょうか?
あなたの弟は良いとして、他の孤児は、行く先など
無いのですよ?ここは確かに環境としては良いとは
言えませんが、雨風を凌げ、食事も十分に与え
られる。解放とはつまり、今まで通りの明日をどう
生きるか悩む環境に放り出す事に他ならない」
……そこなんだ。セリカが既にその議題を提示して
いる。彼女の天秤の理屈は納得し兼ねるが、問題の
本質としては正しい。孤児の生活は、それその物が
リスクの塊なのだ。本人がどう考えるかという疑問が
残るにしても、命を救われてる事は事実だ。
「……とにかくここは空気が悪いです。一旦子供達を
陽の当たる所へ」
クローケと共に奥に向かう。
「兄ちゃん!!」
連れ去られた時と変わらぬエディの姿が、そこに
あった。まる1日以上待たせてしまった事に責任を
感じる。
「エディ、良かった。大丈夫か?何かされてないか?」
クローケが牢を解錠すると、エディはそのまま
僕に抱きついた。異臭漂う研究室の中で、エディの
髪の毛に残る"いつもの匂い"に少し心が落ち着いた。
「待たせてごめんな、エディ」
「大丈夫だよ!ぼく全然怖くなかったもん!」
……それは、嘘だ。目の端に残る涙の跡、やや
掠れ気味の声からは、大きく泣きじゃくった事が
手に取るようにわかる。本当は、怖くて仕方なかった
はずだ。僕はエディの頭を撫で、言った。
「そうだな、エディは勇気があるもんな」
エディに聞こえないとわかっているダガーが、
直接クローケへと声を届かせる。
『お主、こやつにはまだ何もしとらんじゃろうな?』
「ええ。流石に1日で神経の特定をし、取り出して
移植するなど、私には無理な芸当ですよ」
『……マルトは?』
その問いかけに、僕は背筋が凍った。たしかに
見た目は変わらない。だが、それが何もされていない
根拠にはなり得ない。
「……ご安心を。あの豚はああ見えて小心者です。
対象が状況を理解し、完全に依存してくるまで、
手は出しません」
『……そうか』
ダガーは短く、そう答えた。他の子供達も恐る恐る
牢を出てきた。クローケの姿に極度に脅えている。
当然だ。この子達からすれば、この場で見る大人は
従わざるを得ないが恐怖そのものという、人の形を
した不条理そのものなのだから。
「みんな、少し外に出ましょう」
僕は、この子達の将来を何も保証できぬまま、
無責任に明るい声で言った。どうしていいか判断
できない自分の無力な影を必死に隠しながら。
・
・
・
改めて数えると、孤児の数は全部で6人。皆エディ
と大差ない歳頃に見える。衣服に関してはそれなりに
整ったものを与えられているが、3人の身体に大きな
傷跡のようなものがある。これがおそらく、クローケ
の実験痕なのだろう。
彼が使っていた魔法は、全部で4つ。屍人の製造
及び操作、マルトに張った薄膜、黒い爪、そして今回
最も恐ろしく機能していた転移。これは体術と併せて
の習熟度が段違いだった。おそらく最近手に入れた
ものではないはず。となるとマルトの屋敷に流れ着く
前に手に入れた物だろう。一体どれだけの被害者が
いたのかは把握できないが、それにしては使っていた
術の数が少ない。……ひょっとして、確実に移植が
成功するわけではないのか?だとすると、身体を
切られたにもかかわらず何も残らない実験もあった
のかもしれない……少なくとも、やり方の再検討が
必要なのは十分わかった。
「エディ……そういえばお前、火を使って反撃とか
したのかい?」
何気なく気になった疑問を口にする。そして僕は
この直後に、自分の質問を恥じた。
「ううん、だって、父ちゃんが、人は燃やすなって」
僕の中で、力があっても暴力で解決するのは短絡的
な行為だと思っていた。にも関わらず、僕は今エディ
に「なぜ暴力で解決しなかったのか」と聞いた。己の
未熟さに気づきつつ、この世界では剣を納める事で
自分の身に降りかかる火の粉を払えないという現実
も考え、悩む。……今の僕には、この問に明確な答え
を出せない。
天井にぶら下がるマルトの下を通る時、子供たちは
不思議そうに見上げる者と、顔を赤くして下を見る者
に別れた。その反応の差に改めて言い表せない
おぞましさを覚えた。
そして、屋敷突入時に立ち塞がってくれたジーク
さんのことも気になる。仮に交戦中だとしても、
この場にいるクローケの姿を見れば、スコイル
の連中も止まるはずだ。エディと手を繋いだまま、
屋敷の玄関を抜けると朝の眩しい陽に目が眩んだ。
「……なんだ……これ……」
地に伏すスコイルの面々。だがそれはジークさん
対青年団全員で争ったようには見えない。2つの
陣営に別れ固まり、全員が倒れている。そして
その近くには、ハディマルの村人たち。父さんと
母さんの姿は見えなかったが、父さんの治療で出発が
一足遅れているはずなので仕方ない。……何より目を
疑ったのは、そこにあるはずのない姿。
『すまんデニス。見えて、話してもおったが、お前の
気を散らしたくなかったんじゃ』
倒れた青年の1人を椅子にして座るセリカの背中が、
そこにあった。
「おはよう、デニス君。用事は済んだかしら?」
「セリカ……さん?これは一体……」
座った臀部を軸にぐるりとこちらに向き直り、
足を組みなおしたセリカは、満足そうに頬杖をつく。
「これ?デニス君が言ったことよ?村の人間の"身の
安全"。なにか間違ったかしら?」
いや、確かにそうは言った。言いはしたが、何が
どうなってこうなったのかが全く分からない。混乱
し続ける僕の前で、ジークさんがむくりと起き
上がった。
「おーい、グナエ、ヴェスパー、カザット、お前ら
生きてるかー」
ジークさんが声をかけたと思われる数人が、倒れた
まま無言でサムズアップした。これは、ひょっとして
あの場にいたスコイルのメンバー数人は、ジーク
さんについた、ということか……?
「おう、デニス。待ってたぜ……はは、ちょっと、
かっこ悪ぃけどな」
ジークさんが立ち上がる。身体中に打撲痕という
激しい抵抗の跡が残っている。ジークさんを追う
ように、3人も立ち上がった。倒れたままの者たちは
体のどこかしらに複数の刺傷がある。これはおそらく
セリカによるものだろう。
村の人達は各々ガヤガヤとしており、ここで起きた
事を把握しきってはいない様子だ。ジークさんが
体を引き摺るように近づいてきた。
「……まさか、セリカが加勢してくるとは思わな
かった。オレらだけで御しきれなかった連中は
全滅だ。……たぶん、生きてはいるだろうけどな」
セリカが"椅子"から立ち上がる。
「加勢?何を言ってるの、村人の身の安全を約束
したのよ?まぁ、門で全員止めても良かったけど、
もし聞き分けのない人間がいたら、私だって言葉
"以外"に棘が生えちゃうからね」
肝心な事を忘れていた。村の人の中にセリカの顔を
知るものは"1人もいない"んだ。僕とジークさんが
いない時点で、彼女が危険人物のセリカである事に
気づく者は誰もいない。門で止まらず強行突破を
試みれば、確かに無事では済まない。
「それに、あんな人数がぞろぞろ自由に町中に散った
ら、どうなると思う?血の気の多いお馬鹿さんは、
あなた達だけじゃないでしょ?ねぇ、ジーク」
「……返す言葉もねぇ」
「で、ここまで誘導したら身内同士で殴りあってるの。
ほんと馬鹿らしい。何してるのよ、あなた達。
ウザったいからつい刺しちゃったわ」
ジークさんの肩に立ち上がったメンバーが腕を
かける。どうやら一部がジークさんについたという
予想は間違っていなかったらしい。そしてセリカの
"約束"に対する遂行度が僕の認識をはるかに超えて
いた。村の人達に手を出さないでほしいというつもり
で言った言葉が、ここまでの効果に繋がるとは。
「じゃ、私もう行くから。じゃーね、デニス君。
気が向いたら会いに行くわ」
そう言うと、セリカはまた棘を使い一瞬で街の
どこかへ跳び去った。残されたのは無傷の村人、
ボロボロのスコイル、もっとボロボロのスコイル。
今屋敷から出てきた僕らを加えれば、より一層
カオスな状態だ。
「デニス君。結局、この場をどう片付ける気ですか?
君のお手並みを拝見できるのですか?」
クローケの言葉で、考えなければならない問題
を思い出した。まずは……どうしたらいいんだ。
頭が回らない。
大勢の前で僕がぐずぐずしていると、村人の間を
縫って、父さんと母さんが現れた。
「デニス!エディ!無事か!!」
父さんの獣のような大声に、張り詰めていた緊張が
プツンと切れた気がした。エディごと僕ら2人を
抱擁する父さん。腕に過度な力が入っており、
痛いくらいだ。
「父ちゃんの回復が遅れて、だいぶ馬車を待たせて
しまった。すまない」
「父さん、もう大丈夫なの……?」
「おお!毒のせいでだいぶ治癒が効きにくかった
みたいだがな。もう何も問題無い!お前が先行した
と聞いた時は、生きた心地がしなかったぞ」
「……ごめんなさい、父さん。でも……」
反射的に謝る僕の言葉を遮るように、大きな手が
頭をガシガシと乱雑に撫でる。
「デニス。……ここはな、"どうだ、見たか!"って
言うんだよ。覚えておきなさい」
蓄積を重ねた責任感と気を張り続けたストレスから
鼻の奥がツンと痛む。1人の責任ある者として、自分
の尊敬する人から認められた気がした。
「ありがとう、デニス。苦労をかけた」
父さんの言葉に、僕はみっともなく涙を流して
しまった。視界が滲む。抑えきれない感情が涙腺から
溢れ出す。僕は父さんの太い胴を抱き返し、顔を埋め
た。何かを成し遂げた感涙?それだけじゃない。自分
の理屈で割り切れない不条理に対する無力感、怪我の
痛み、緊張、戦いの恐ろしさ。それらが混ざりあった
処理しきれない感情が理性のダムを決壊させた。
父さんが周囲に目をやって言う。
「……さあ、後処理を始めようか」
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