第9話・棘尖《きょくせん》の魔女

 紅く燃える夕日を背に、その女性は立っていた。

以前会った時とは別人のように歪な笑みをその顔に

貼り付け、タイトな黒い服を纏っている。


「セリカ……さん?」


 くきり、と首を傾げ、やけにわざとらしい口調で

さも楽しげに彼女は言った。


「あらぁデニス君。名前覚えててくれたの?お姉さん

嬉しいわぁ」


 ケヒッという嫌な笑い声。視線に刺されたように

体が動かない。野生の獣とは違う明確な悪意に、

僕は完全に縫い付けられていた。僕にそんなものを

向ける理由はよく分からない。だが、隠そうとも

しない敵意は本物だ。


『小僧!抜けい!まだジークは生きておる!』


 声に促され、僕はダガーを鞘から抜く。震える手を

左手で押さえつけ切っ先を悪意の主に向ける。


「怯えちゃって。かーわいい」


 どうする。構えたものの、頭が回らない。突然

動き始めた事態に対し完全についていけていない。


『ヤツ以外の方向にワシが全力で叫ぶ。誰かしら

声に気がつくやもしれん。一旦この家からヤツを

引き離せ。ジークが巻き込まれる』


 キビキビと指示をするダガー。『厩舎で人が倒れて

おる!』と叫ぶ声を聞きつつ、僕は眼前の"敵"から

目を離さず横に足を進めた。この家の裏手、つまり

セリカの後方には小川があった。河原の方が目立つし

動きやすい。そこまで誘導を試みる。


「あーあ、ジーク、可哀想に。こんなに綺麗になって」


 セリカが倒れるジークさんに視線を落とした。

僕は自らの足元に《滑れ》と念じ、狼に使った滑走

移動を始めた。


『ヤツの速さは異常じゃ!ワシの見える範囲から

瞬く間に厩舎まで移動した!気をつけよ!』


 気をつけろも何も、僕はまだ相手が危険である

ということしかわかっていない。セリカを中心に

半円を描いて滑走で回り込むくらいしか思いつかな

かった。


「んー?逃げるの?ツレないわね」


 意外なことにセリカは僕の逃走を悠長に目で

追っている。植木や柵にぶつかりながら、僕は

可能な限り速く河原を目指す。少し先に川が見えた。


「それがジークの言ってた"滑らせる力"ね。イイ

じゃない。悪くないわ。お姉さん興奮してきた」


 そう言って右手を少し上げると掌の中心に黒い

球状の塊が形成された。彼女はそのままその手を

厩舎の柱に押しつけ、次の瞬間、……眼前に

セリカの顔があった。


「え」


 凄まじい勢いで僕の頭が吹き飛ぶ。首の筋が

限界まで伸びて引き千切れそうな感覚。額の激痛が

遅れてやってきて、初めて頭突きを食らったのだ

と気づいた。


『小僧!』


 ダガーの声に首の皮一枚で意識を保つ。僕の

体はゴロゴロと吹っ飛び、河原の砂利に削られた。


 何が起きた?少なくとも僕はセリカから目は

離していない。ずっと視界に捉えていたはずなのに、

かなり距離があったはずなのに、次の瞬間には

息の触れ合う距離に顔があった。


「セリカさん。あなたはなんなんですか。何故あの日

うちに顔を出し、何故あんな物騒な棘を置き土産に

したんですか」


「ふふ。自分がなんで襲われてるかわかんないんだ」


 分かるはずないだろ。なんなんだこの女は。

歩いて距離を詰めてくる足音に気づき、僕は

飛び退いて再び距離をあけた。


「分かりませんよ。僕はてっきり、あなたとジーク

さんは仲間だと思ってたんですけどね。それが

あんな事になってる。こんな訳わかんない状態で、

更に自分が襲われる理由なんかわかるはずない

じゃないですか」


 なおも歩いてくる敵に合わせ、僕もジリジリと

後退する。いつまたあの変な移動で近寄られるか

わかったものではない。


「ジークが言ってたでしょ?"同業者"って。

まぁ仲間といえば仲間だけど、彼、ほら、なんか

脆いところあるじゃない?だからなんかもう良い

かなーって」


 要領を得ない回答に苛立つ。僕はセリカの足元に

向け《滑れ》と念じた。狼では不発になったことも

あったが、この速度感なら狙いは外さない。


「ふふふ、私を滑らせるの?いいわよ。やってみな

さい?私が転んで無様な姿を晒すところ、見たい

んでしょ?もう、はしたない子」


 滑らない。何事もなく確実に1歩1歩近づいてくる。

本当になんなんだこいつは。


『小僧。無駄じゃ。ヤツの足元を見てみろ』


 ダガーの助言を受けて、足元を注意深く見る。

太ももから足先までを覆う黒いブーツ。その

底面に、おかしなものが見えた。


「……棘?」


 黒く長い棘が無数に、靴の底から伸びており、

歩く度にそれが地面に深く突き刺さる。ちょうど

スポーツ選手のスパイクと同じ。滑るという

事に対してこれ以上ない対策だ。さっきジークさん

を貫いた棘といい変な移動といい、なんて物騒な

才能を持っているんだ。


「よくできましたー。ふふ、ご褒美に何が欲しい?

デニス君の目玉?それともデニス君の心臓?ケヒッ

何されるかわかってりゃなんも問題ねぇんだよ!」


 気色悪い存在に圧倒される。次はいつ来るのかと

不安になる。頭がどんどん白くなる。


『小僧、落ち着け!おそらくここではヤツは

さっきの移動は出来ん。あれは掌から棘を伸ばす

勢いで跳んだだけじゃ。ここなら壁になるような

物は無い!』


 言われてチラリと厩舎を見る。先程セリカが手を

触れた柱はバラバラに砕けていた。なるほど、原理は

わかった。が、ならどうする?頼みの綱の滑らせる

力はスパイクのせいで機能しない。


 視線を一瞬外した隙に、地面から生えた棘が僕の

右腕を掠めた。驚きのあまり身体が後ろに飛び

退いた。痛い。転んだりぶつけたりする痛みとは

違う。あまりに怪我を負うのが早すぎて、痛みが

遅れて襲ってくる。改めて見ると、その棘はだいたい

前世基準で言えば電柱程の高さまで伸びている。

一気に総毛立った。


「ねぇ、逃げるだけなの?つまらないんだけど」


 一体こいつの情緒はどうなっているのか。先程

までの気味の悪い笑顔から即座に不機嫌を露わに

する。そして変わらず歩いて近づいてくる余裕が

なんとも気持ち悪い。僕は自分の周りの少し大きめな

石を標的に向かい蹴り滑らせてみた。案の定、石は

あっけなく棘によって砕かれた。


(これ、打つ手無しなのでは……)


『そうかもしれんのう』


 『じゃが』とダガーは続けた。


『どうやらヤツは、棘を出せる範囲がそこまで広く

ないと見える』


 言われてみればそうだ。もしもっと遠くまで棘を

生成できるなら、僕の真下に生やして終了だ。でも

彼女はさっきから距離をとる度にわざわざ近づいて

くる。棘の生成範囲は、僕が滑らせる事ができる範囲

よりだいぶ狭いはずだ。


「……という事は」


 僕は足を滑らせ、後ろに大きく距離をとる。

逃げるが勝ち。棘による跳躍が使えないここなら

大きく距離をとり続けるのが安全。セリカの表情が、

一層不機嫌に歪む。


「ねぇ、あなた。……ほんとにつまんない」


 掌に黒い球。棘の、移動!?


「だって、壁は……!」


 セリカがバレリーナの様にその場でくるりと回ると

背後に一際大きな棘が天に向かって生える。それに

手を触れ、棘を壁とし弾丸のように突撃してた。

……そうか、最初から舐められていたんだ。侮られて

いたからわざわざ歩いて近づいてきた。その気に

なれば僕なんかいつでも仕留められたんだ。


 身体を捻ってギリギリ突撃を躱す。すれ違いざま

にセリカの右肘から生えた小さな棘が、ダガーを

弾き飛ばした。


「ちいっ!」


 慌てて転がったダガーを拾い構え直す。が、地面に

黒い球体がいくつもあることに気づきゾクリとする。

セリカとの距離が近い。棘が来る。前に飛びながら

身体に《滑れ》と念じた。


「ケヒヒッ」


 すぐ後ろからの耳を劈く笑い声と共に地面から

数本の棘が伸びる。真上に向かって生え揃った

黒い棘は何ヶ所か僕の身体を掠め血の雫を散らした。

棘を滑らせて最低限ダメージを避けようとしたが、

大して効果はなかったかもしれない。着地と共に

身体が地面を滑って少し距離が取れた。だが、

おそらくまだ棘の範囲からは出ていない。急いで

飛び退かねば、……と思った瞬間、手にチクリと

痛みを感じ、そして息が止まる程の激痛となって

腕を走った。ダガーが、手に刺さった……?


『小僧!?ああ!ワシの鍔から!』


 ダガーの鍔から細い棘が伸びており、それは

親指の付け根を貫通している。あまりの痛みに僕は

言葉にならない叫びをあげた。思わず手を離して

しまう。グズリという音と共に棘が抜けた。


『すまん小僧!迂闊じゃった!』


(いいえ、僕の力不足です。とはいえ……)


 全く勝ち筋が見えない。無茶苦茶だ。才能が

個人によってまちまちなのは理解してるが、こんな

危ない人間にこんな危険な才能を与えていいのか。

いや、こんな才能だからこんな人間になったのか。


 ダガーを拾い直し僕が後ずさると、また首を

くきりと傾げるセリカ。糸の切れた操り人形の様に、

不自然な姿勢で歩いてくる。


「ケヒ。ね。どう?棘の味。痛い?苦しい?

しんどいわよね?つらいわよね?」


 確信した。こいつは異常だ。人が傷つくのを見て

嗤っている。傷つけることで悦んでいる。話を

聞く所ではない。家族になんの用かなんて聞く

隙間すらない。どうであれまずはこの狂人を

止めなければお話にならない。


 怪我を負った右手からダガーを左手に持ち替える。

慣れない左手で必死に切っ先を敵に向ける。しかし、

また武器を弾き飛ばされる。地面から突立つその棘を

見ながらダガーを拾い、僕はあることに気づいた。


(……ダガー聞いてください。おかげで気づきました。

ひとつ考えがあります)


 耳打ちするように心の中で作戦を伝える。彼女は

あまり乗る気でないようだが、やるしかない。

少し距離を置いてから、自分の足に《滑れ》と

念じる。大きめ石を蹴り、反作用でセリカに

突進した。


「なぁに?私の真似?ケヒヒッ似てる似てるー。

クソだせぇところ以外はな!」


 僕が何をするのかを探る目。なおもそのまま

直進を続ける。特攻、確かにそうでしかない。

この女に対し僕の能力も身体の性能も無力だ。

……当たって砕けろ。


「馬鹿正直に正面突破?頭悪ぃにも程があるだろう

がよぉ!!」


 セリカが地面に視線を落とす。地面に黒い球が

いくつも発生し……一段と大きな棘が天を衝く。

体のあちこちに肉が削れた感覚が走った。


『小僧っ!!』


 自分の意思と関係なく「がはっ」というおぞましい

声が漏れる。意識が飛びかける。左手のダガーが

宙に投げ出されるのが視界の端に映った。ガランと

音を立て、僕の武器は地に伏した。


「デニスくーん。ダメよ、ヤケになっちゃ。そんな

やぶれかぶれな行動じゃダメなの。自暴自棄に

なってる子をぶっ刺しても気持ちよくないのよ。

もっとしっかり考えて、工夫して、頑張って、

限界まで足掻いて……それでもどうにもならず、

絶望に歪む顔、恐怖に砕ける心。それらが

何より何より美しいの。私をガッカリさせた罪は

重いわよ」


 セリカは地面に転がるダガーを手に取った。

棘に全身を縫い止められ、それにもたれ掛かる

ように項垂れる僕の体。痛いと熱いに全身の神経が

支配されている。


「やっぱり……だ……」


「やっぱダメだったわねぇ。諦めから起こす行動は

ろくな事にならないわ。そんな後ろ向きな気持ちで

挑むから、こんな事になるの」


 セリカが大きくダガーを振り上げる。


「さよなら、可愛くてつまらない、デニス君」


 やっぱりだ。やっぱりあなたはそうした。あなたは

常に僕の自尊心から傷つけようとしてた。滑る能力を

封じ、速さで絶望を与え、武器を弾き飛ばす。常に

「お前は下だ」と刷り込むように行動する。意図的に

せよ無意識にせよ、それがあなたの性質だ。


 だから僕がすぐ近くで武器を落とせば、とどめは

それで刺しに来ると思っていた。わかっていた。

僕は、消えかける気力を振り絞り、叫んだ。


「重くなれっ!!ダガーーッ!!」


 落石が直撃したような激しく重い音と共に

セリカの肩関節が外れ、そのままの勢いで右半身が

傾き、姿勢が崩れて地面に叩きつけられた。

僕の能力は知られている。でも、ダガーの能力は

ジークさんにも見せていない。もちろんこいつにも。


「な、に」


 何が起きたか把握できないセリカ。僕はパチリと

ホルダーから鞘を外す。地に倒れた姿勢でセリカは

一層笑顔を歪ませる。


「ケヒッ!何コレ素敵っ!なんなのこの剣!!

最ッ高じゃないっ!!!」


 僕は落ち着いて、鞘を頭上にかざす。セリカは

能力を使う時、必ず棘を生やす部分を目視・・して

いた。掌に生成する時は掌を、地面に生やす時には

下を見ていた。河原での跳躍の時にその場でくるりと

回ったのも、自分の背後に棘を出現させる為に目視

する必要があったからだ。つまり有効範囲の他に、

目視により照準を定めなければならない。もしそれ

が必要ないなら、ダガーの鍔でなく柄から生やして

僕の手を穴だらけにできたはずだ。握っている柄は、

僕の手で見えない・・・・から。


 そして、あなたはこれも知らないはずだ。


「……父さんの鞘は、鏡のように美しいんだ」


 真っ赤に染まり強烈な光を放つ夕日を、鞘に反射

させてセリカの目を焼く。一瞬でいい。僅かに

目を使えなければ、反撃はできない。


「目が……!け、ケケけ、けヒャア゛ァ゛ア゛!!」


 獣のように叫ぶセリカの額に、僕は全体重をかけて

鞘の先端を叩き込んだ。ゴリッという鈍い音と共に、

全身の糸が切れたように、セリカは動かなくなった。

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