第8話・深紅の夕日を背に
朝の空気は少しひんやりしていた。村はまだ静か
で、朝露が草の葉を濡らし、遠くの鳥の声に混じり
朝の早い家庭の生活音が微かに響いている。
僕は父さんと並んで歩いている。腰には真新しい
鞘に納まったダガーが揺れ、軽い金属音が時折響く。
父さんの手伝う工房とジークさんの家はかなり近所
なので、せっかくならと同行する流れになった。
「仕事をする時は、如何に客を満足させるかを
考えろ。客は物を買う事自体に金を使うわけ
じゃねぇ。自分の求めてる事に対してどれだけ
点数が高いかで価値を判断して金を出すんだ」
豪快な声で意外と心裡を突く事を言う父さん。
鍛冶屋の朝は早いようで、遠くに見える工房の煙突
から既に薄い煙が上がっているのが見えた。
「点数、か。うん。わかる気がする」
「例えば俺の場合は鍛冶屋な訳だが、客がその道具
に対し何を求めてるのかを考える。強度なのか、
軽さなのか、鋭さなのか、携行性なのか。何に使い
どう運用するつもりなのか。ソイツをガツンと
ぶち込めば、仕事としちゃ上等よ」
父さんの言葉に僕は少し頷いた。彼の作である
ダガーの鞘は、まるで元から一揃の物だったかの
ように違和感なく調和している。子を思う父の
気持ちと、物としての完成度が、その逞しい腕に
よって叩き込まれた逸品なのだろう。腰に提げた
鞘にそっと触れ、ダガーに話しかける。
(大丈夫ですか?揺れません?)
『問題ない。藁紐からの大出世じゃ』
据わりの良さからかやや上機嫌な声が返ってきた。
「ジークさんの家って工房のすぐ近くだよね。
やっぱりよく会うの?」
「おう。頻繁にな。工房に鉄や石、その他の素材を
運んでくれたりもする。うちから武器や道具を別の
街に運んでくれたりもするんだ」
なるほど、普段から関わりがあるわけだ。
「遠くにいる誰かが俺の鍛えた剣でドラゴンの鱗でも
斬りつけてるかもしれねぇ、そう考えると浪漫が
ある。だろ?」
『たまげたな。ここはそんな遠方まで名の轟く
有名な工房なのか?』
「ちょっとよく分からないけど、そうなのかもね」
2人の言葉に対し、同じ言葉で答えた。
(ジークさん、もし自分がいない時はザッカーさんに
声をかけろって言ってましたよね)
『1番よいのはジークひとりが家にいる状態じゃ。
じゃが、そう言うという事は、理想は期待できそうに
ないのう。ジークとザッカーがいるか、ザッカーしか
いないかの2択じゃろうて』
「……父さん。ザッカーさんって常に家にいるの?」
「だいたいの遠出は倅がしてるみてぇだからな。
家の倉庫で運び先ごとに荷物まとめたり、運び込ま
れた細かい荷物を各家に持ってったりしてるから、
ほぼほぼ居るといえば居るな」
「そっか。じゃ誰もいないってことはほとんど無い
んだね」
今日の第一目標は、仕事の見学……ではなく、
ジークさんと話をすること。この前連れてきた
セリカさんは少し不気味だ。実際にはどういう
関係なのかを聞いておきたい。
「着いたぞ。かっこいいだろ?」
「うん……毎度ながら、すごい」
工房の周りは少し温度が高い気がした。壁面は
何ヶ所か解放されており、奥にはびっしりと鉄製の
工具が並んでいる。そこかしこにある天板の抜けた
樽には無造作に剣や斧が突っ込まれている。ひときわ
目を引くのは巨大な赤熱した炉。その隣に設置された
ふいごのような装置のハンドルをぐるぐると回す老人
が見えた。名前はフーじいさん。工房の主だ。
「じゃ、頑張れよデニス」
父さんが肩を叩いた。少し重い手が、なんだか
心強かった。
「うん。父さんも、行ってらっしゃい」
こちらを向きながら手を振りつつ、父さんは
工房に入っていった。肩をぐるぐると回し気合い
を入れるような仕草をしながら、ふいごの老人
の方へと歩いていった。
『さて、ワシらも行くか』
はい、と返事して、工房を背にした。斜向かいに
あるその家は、大きめの倉庫と厩舎、それといくつか
の荷車が目印だ。木の門をくぐると、馬の鼻を鳴らす
音が聞こえた。
「おー、デニス君。いつ来るかと思ってたよ」
門の向こうで、ザッカーさんが笑顔で手をあげた。
当たり前だがジークさんと血の繋がりを強く感じる
系統の顔に深い皺が刻まれており、年齢から受ける
印象よりしっかりと締まった体格。髪は少し白が
見え、声は嗄れている。
「こんにちは、ザッカーさん。すみません、
お誘い頂いてから少し経ってしまいました。
お世話になります」
「気にすんな。どーせ年寄りが道楽でやってる
よーな仕事だ。最近はほとんどバカ息子に
任せてっから、おいらはいつでも居るんだからよ。
いつ来たって問題ねーさ」
とても気さくなこのおじさんは、「仕事の前にまずは
入りな」と家に招き入れてくれた。家の中は木と革の
匂いが混ざった落ち着く空間だった。嫌な意味で
なく、他人の家の匂いがする。ザッカーさんは
テーブルに水差しを置きながら、椅子に座った。
「遠慮しないで座ってくれ」
「はい、失礼します」
「はは、いやぁ、あいつからデニス君に仕事の
話したって聞いて嬉しくてなぁ。あれだろ?
なんか、こう、すぃーーっと、できるんだって?」
少し大袈裟気味に掌を地面と水平に動かして
滑らせる事を表すザッカーさん。
ザッカーさんに限らず、村の人は大抵知人だ。
ただ、前世で住んでいた所のように人口密度の高い
地域と違い、このハディマルはひとつひとつの家の
敷地が広く、あまりにも広大な土地に民家が点在
するような土地である。立地関係によっては会う
ことが稀の人も多く、数ヶ月単位で顔を見ない事も
ざらにある。ひけらかしている訳では無いので、僕の
能力を直接目にした事のない人も実はそこそこ
いたりする。
「息子は今ちょっと出ててな。まー夕方くらい
には帰ってくるんじゃねーかな」
「あ、そうなんですね」
ジークさんの帰り時間を聞いて、ダガーが
やや残念がる。
『うーむ、まぁ仕方ないのう。もし日が暮れるよう
なら明日改めて、じゃな』
(そうですね。……ところで、ザッカーさんは)
『この男はワシと波長が合わん。声は届かんよ』
声が届くと説明が必要。聞こえない方が面倒が
なくていい。簡単な確認をダガーと済ませ、出して
もらった水を頂く。
「この前は災難だったみたいだな。狼の群れに襲われ
たっつって、息子がピーピー喚いてたぜ。なんも役
にたってねーっつーから説教しておいたわ。
……ありがとな、デニス君。あいつ、根は明るくて
良いんだがどーにも要領が悪くてな」
「いえ、僕も大したことはできてないです」
「まぁ、馬に傷がつかんかったのがおいら達にとって
は不幸中の幸いだった。馬は大事な商売道具兼家族
だからなー」
そう言うと、ザッカーさんは手を組んでテーブル
に肘をつき、背を丸めた。
「なぁ、デニス君。馬は好きか?」
「可愛くて力強くて、素敵ですよね。でも、そんなに
馬と触れ合う事は多くなかったので、分からない事は
多いかもしれません」
「はっはっは、別に構わんさ。嫌いだったり苦手
だったりすんならうちの仕事はキッついだろうがな。
でも慣れると、あいつらが何を言いたいのかわかる
よーになってくるんだ。不思議なことに」
前世で、テレビだかネットだかで見た覚えがある。
馬は乗る者の不安や心の状態を敏感に読み取り影響
される生き物だとか、表情、鼻、耳など至る所で
感情を伝えてくる動物だとか。確かに狼が近づいて
来る時、誰よりも先に反応を示していた気がする。
「さて、じゃそろそろ案内するかね」
そう言ってザッカーさんは席を立った。
・
・
・
「だいたい手伝ってほしい仕事はこれで全部だ。
どーだい。やれそうかい?」
「は、はい、……何とか」
厩舎の掃除と倉庫内の荷物の仕分けを教わり、
それだけでお昼を回った。どちらにせよ体力仕事
だが、仕分けに関しては一部滑らせる力で効率化
をすることが出来た。届け先の町ごとに荷物を
まとめる作業で、大きさや重さの違う物を移動させ
積み上げる。ザッカーさんは僕の能力を見て、
「便利なもんだなぁ」と舌を巻いた。
途中、父さんが様子を見に来た。体力を使い切り
馬の唾液でベタベタな僕を見ると「もう少し鍛えろ」
とだけアドバイスして笑いながら工房に戻って
行った。その後、ザッカーさんは村の中の配達がある
らしく、留守番を僕に任せて、人力の荷車に小包を
積んで出ていった。
(随分静かでしたね、ダガー)
『こう見えてワシは刃物じゃからな。斬る事以外には
向いとらんのじゃよ』
こういう所は少し子供っぽい気がする。多分少し
飽きてきたのだろう。僕が午後の仕事を教わる間も
ダガーは少し暇そうにしていたが、日が傾き始めた
頃、態度が少し変わった。
『……帰ってきたようじゃな』
遠くから馬車の音が聞こえた。ジークさんが配達
から戻ってきたようだ。馬車が近づいてくる。程なく
して馬車は到着した。
表に出て厩舎に向かうと、馬から荷車を外して
いるジークさんの後ろ姿が見えた。
「ジークさん、お邪魔してます」
僕の声を聞きジークさんはゆっくりと振り返った。
「ああ、デニス君。来てたんだね」
相変わらずの笑顔だが、どこか違和感を覚える。
目の下に僅かな疲れが見え、姿勢にも覇気が少ない。
よくよく見ると表情は、"そういう形の仮面"を
つけているかのように、張り付いたものだった。
何かがおかしい。
「オレの親父は?」
端的な質問。その声にも張りがなく、前回家で
話をした時とは雰囲気が違う。
「残りの小包を届けに行きました」
「そうか、うん。手伝いに来てくれてありがとう」
少しタイミングが悪い。でも、「じゃ僕はこれで」
と去るのは看過されない空気感だ。僕は呼吸を整え、
言った。
「ジークさん。話があります」
「んー?なんだい?」
「この前の、セリカさんの事です」
セリカ、の名にジークさんはぴくりと反応した。
僕はひとつひとつ、聞きたいことを頭の中で整理して
話した。
「あの人は同業者と仰ってましたが、本当にそう
ですか?」
ジークさんは黙っている。
「おふたりが帰ったあと、うちに妙な棘が残って
いました。なにか心当たりはありませんか?」
「うーん、どうだろう。まぁ、床がささくれる事
くらい、よくあるんじゃないか?」
『小僧。……こやつアホじゃぞ』
「……僕は"床"なんて、一言も言ってませんよ」
簡単な自白は取れた。次はジークさんのことだ。
「……ジークさん。僕は今日馬と触れ合って、少し
思い出したことがあります。馬は人間の本質を
繊細に読み取る性質があります。馬は、多分あなたを
警戒している」
"馬に乗るのが下手"そうザッカーさんに言われた
事は、ジークさん本人の口から明かされている。馬は
ジークさんの内面に潜む何かしらの不安を読み取って
いたのではないだろうか。
「覚えてますか?僕たちが狼に襲われた時、ベティは
耳をパタパタさせて警戒を示していました。距離が
近づくと耳を後ろに伏せて不快感を顕にした。そして
そのベティが他にも警戒を示した時がありました」
「あー、……オレが話しかけた時、だろ」
自覚はあったのか。初めて来た僕ですら唾液まみれ
にするほど人懐っこいはずの馬たちが、飼い主である
ジークさんを警戒するのは違和感がある。
「そういう性質なのかもなぁ。オレ、ひょっとして
臭いのかもな」
変におちゃらけて言うジークさんの姿は、妙に
芝居がかって見えた。まだ押すには要素が少ない。
「僕らをリサイドに送ってくれた日、確かジークさん
は仕事のついでに乗せてくれたんですよね。だと
すると、なぜ、行きと帰りで積荷が変化して無かった
んですか?運ぶものがポケットに入るくらい小さ
かった?違いますね。手紙などの届け物は担当が
違うとあなた自身が言っていました。なら馬を貸し
た?それも違う。すぐに厩舎に預けてたし、帰りも
変わらずベティだった」
言葉を1度切り、呼吸を整える。そして最後に僕は
こう言った。
「あなたはあの日、実際には
あったんですか?」
ジークさんは少し俯いていたが、引きつった笑顔
でこちらを真っ直ぐ見た。
『小僧、気をつけろ!』
ダガーの声が鋭く頭に響く。咄嗟に腰の短刀に
手を当てる。厩舎の奥の日は真っ赤に染まり、
逆光を背にジークさんは言った。
「デニス君……ごめんな。ま……」
グシャっという嫌な音がした。今まで真っ直ぐ
立っていたジークさんのシルエットは、ところどころ
妙な方向に曲がった。周りから何本もの大きな黒い
棘が突き刺さり、夕日と同じ真っ赤な血が水打ちの
ように飛び散った。
「な……」
声が出なかった。彼の体はカタカタと震え、
次の瞬間棘が霧散した事により支えを失って倒れた。
聞き覚えはあるのにまるで雰囲気の違う声がする。
「……あーあ。言わんこっちゃなぁい。だからあの時
ブッ刺しておけば良かったのよぉ」
カツカツと靴音を響かせ厩舎の影から現れた声の主
は、案の定、セリカさんだった。
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