第33話
幼かった頃、自分の感情をどうしても伝えることが出来なかった。
だから今も、大人になりきれない自分は、何も言えず、唇を噛み締めて、ただ見つめることしか出来ない。振り向かない背中を、
時の向こう側には、背中を丸め、其処から一歩も動こうとしない、幼いままの自分がいる。
子供の時間は、とっくの昔に
―― 母さんは、どうして僕を生んだの?
―― 自分は、どうして生まれたんだろうって、考えたことある?
泣き続ける時の中で、同じ場所に立ち
それは子供の頃の利人と彩加だった。
ずっと長い間、彩加はひとりぼっちで、そして今も、沙希の手を離してしまった彩加の傍には、誰もいない。今、この瞬間も ―― 。
ハンガーからコートを
「たしか、此処のはず……」
ひとりごちて郵便受けの表札を一件一件確認していく。
二階の一番奥に「早坂」の名前を見つけ、階段を駆け上がりインターフォンを鳴らす。返事はない。けれど、キッチンと思える
「彩加?」
呼んで、ドアを叩いた。
「彩加!」
消せない不安はやがて現実となり、利人の
何度かドアを叩いて、それでも開かれないドアに、利人は大家の連絡先を訊こうと思いたち、隣の部屋のインターフォンを押そうとした。その指先が、カチャリという音に止まる。振り返ると、彩加の部屋のドアが、ゆらりと開いた。
「彩加っ!」
慌てて駆け寄り、引き開けたドアの向こうに、小さくうずくまった彩加がいた。
「彩加? どうした? 大丈夫か?」
答えはない。パジャマのまま、彩加は小刻みに震えながら、胸の辺りの布をぎゅっと握り締めている。
声も出せずにいる彩加の横をすり抜け部屋に上がり、救急車を呼ぶ。足元に散らばる破片はグラスだろうか。しゃがんでその欠片を隅に寄せようとしたとき、テーブルの下に落ちていた白い診察券を見つけ、利人はそのプラスチックのカードを拾い上げる。
立ち上がり見渡す部屋の惨状に、眉を顰める。
布団が捲くれ上がったベッドは、シーツにも枕カバーにも黄色い液体が染み付いて、何度も吐いたらしい状況がわかった。クローゼットの脇にかけてあったコートを取って、玄関先でうずくまったままの彩加を包み込む。
キッチンまで抱き上げて横にした時、開けられたままのユニットバスに目がいく。流されないまま其処にあった汚物を流して、もう一度彩加の手を取った。力ない冷たい指先を握り締めて、利人は彩加の震える身体を抱きしめた。
コートで包み込んで抱き上げたとき、彩加の紅くなった
「……おかあ、……さん……」
彩加の小さな呼びかけに、利人の
平気だと、ひとりきりでも平気だと繰り返しながら、望むようなぬくもりを返してくれない何もかもに
その
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