第29話

「あのね、歳食としくっちゃうとさ、嘘や見栄みえ上手うまくなるんだよ。悩んでてもね、悩んでないように見せようって頑張っちゃうんだ。でも、中身は全然変わってない。むしろ余計よけいなことを知った分、臆病おくびょうになったようにも思うね」


「そうなの?」


 本当に意外そうに言う沙希に、利人が苦笑する。


「がっかりした? でも、そんなもんだよ」


 また考え込むように俯いてしまった沙希をそれとなくうかがいながら、利人は煙草に火をつける。ゆっくりと紫煙を吐き出す利人に、沙希がまた、ポツリと問いかける。


「マスターは、彩加のこと、どう思ってる?」


 その声音は、ひどく弱々しい。


「どうって、……なんて答えればいいのかな?」


 問い返された言葉に、沙希が唇を噛む。少しの沈黙の後、観念かんねんしたように口を開いた。


「彩加のこと、好き?」


 直球すぎる質問は、そらしたはずの利人の視線を引き戻す。視線が重なる。笑って、軽口かるくちでかわしてしまいたい問いが、重く利人の胸に響く。笑うことは出来なかった。沙希の瞳は真剣そのもので、いい加減かげんな返事は出来なかった。


「好きだよ」


 沙希が息を呑む。


「でもそれは、沙希ちゃんに対しても一緒だよ」


 重ねて言うと、沙希が一度詰めた息を細く吐き出した。


「沙希ちゃんのことも、彩加のことも、同じように好きだよ」


 沙希の眉が、怪訝けげんそうにひそめられる。


「ココは色んな人が来るからね。正直、嫌なヤツもいるよ。でも、二人は僕にとって気が合う友人ゆうじんに近い存在かな?」


「本当に?」

「本当だよ」

「特別じゃない?」

「二人とも、特別だよ」


 その言葉に、沙希の瞳が大きく揺れた。涙が零れるんじゃないかと思った。けれど涙は零れなかった。潤んだ瞳はそのままの状態で留まり、ただじっと、利人に向けられていた。


 窓の外は、もうすっかり夜の色に変わり、窓硝子が鏡のようにふたりを映し出していた。ゆらりと揺れた沙希の影が、レジの前へと移動する。


「これから彩加のトコ行くの?」


 御釣おつりを渡す利人を見上げる、子犬のような瞳に問いかけた。


「……いかない」


 ぽつんと返される言葉が、寂しい。


「喧嘩でもしたの?」


 その寂しさをなぐさめるように明るく問うと、沙希は微かに笑って首を振った。そのままドアに向かっていく沙希が、ふと、立ち止まる。


「マスターは、知ってる?」


 問いながら、ゆっくりと振り返る。


「マスターは、私が彩加のこと、ちゃんと好きでいるって、……知ってる?」


 哀しそうに言って、ふっと笑った沙希は、利人の答えを待つことをしないで、ドアの向こうへ消えていった。

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