第17話

「彩加って、ホント、何でも出来るんだね」


 ため息混じりに沙希が言う。それがなんだかくすぐったくて、彩加が立ち上がる。


「メープル、いる?」

「うん!」


 朝陽に照らされるテーブルの上には、プチトマトのサラダと、クリームチーズをたっぷり挟み込んだフレンチトースト。とろりと流れるメープルシロップが、陽射しに金色に透けていた。


「私、コレ、大好き」


 ナイフとフォークを上手に使って、沙希はフレンチトーストをぱくんと口に含む。


「どこにでもあるでしょ」


 抑揚なく応える彩加に、沙希が「もう」と、肩を落とす。


「またそういう冷めた言い方する」


 持っていたカトラリーを、皿の上にかちゃんと放る。


「このフレンチトーストはね、特別なの。どこにもないよ」


 初めて彩加が朝食を作った朝、フレンチトーストを食べた瞬間の沙希の笑顔は、格別かくべつだった。それは言葉で何を言うよりも、美味しいと伝えるに十分な笑顔だった。


 だから、沙希が、このフレンチトーストを気に入っていることは知っていた。けれど、こんなふうに正面切しょうめんきって言われると、どうすればいいのかわからなくなる。


「たっぷりのクリームチーズにふわふわ卵、それにメープルシロップ。この組み合わせ、絶妙! なんかね、焼きたてのチーズケーキみたい。これって、彩加が考えたんでしょ?」


「考えたなんて、ただ単に朝ごはんだから、甘いだけより良いかなって……」


「だから、考えて試して美味しく出来ちゃうってことがすごいって言ってるの。本やネットで調べたわけじゃないんでしょ?」


「それって、そんなに大層たいそうなこと?」

「タイソウ、タイソウ! 連呼れんこしちゃうよ」


 自分の口癖くちぐせをふざけたように繰り返されて、彩加がプイと言った感じで視線を逸らす。


「たかがトーストじゃない。沙希はいつも大げさなんだよ」

「大げさで結構。だって私には、逆立さかだちしたって出来っこないもん」


 言って、テーブルにコツンと肘をつく。


「自分で食べたいもの、つくってるだけじゃない」

「普通の人は、食べたいってだけじゃつくれません。」


「だって自分しかいないんだから、自分でつくるしかないでしょ?」


「そうは思っても、出来ないのが凡人なの。私みたいにね。私がもしも彩加の立場だったら、毎日そこら辺のコンビニ弁当やお総菜屋さんのお世話になってるよ」


 頬杖をついたまま、ぽつぽつと呟くように続ける。


「きっと、本当の意味で頭いいっていうのは、彩加みたいな人のこと言うんだよ」


 自分の言葉に納得したように軽く頷いて、沙希が笑う。


「でも、彩加は何でも出来ちゃうから、これが特別なコトだって、気づけないんだね」


 少しだけ、寂しそうにも聞こえる呟きに視線を戻すと、頬杖に俯いていた視線が、ゆっくりと上げられる。黒蜜くろみつの瞳が、じっと彩加を見つめる。


「私、今ね、美味しくって嬉しくって、すっごく幸せなの。それは彩加がくれたんだよ。だからありがとうって言いたかったの。わかる?」


 噛み砕かれた言葉が、キラキラと滲むように、沙希が笑う。


 もう、返す言葉は、見つからなかった。沙希の瞳が、朝の光のまばゆさが、彩加の声を吸い込んでしまう。銀色の陽だまりのなか、沙希が笑うから。あんまり綺麗に笑うから……。


 他人との接触に、常に緊張をいられてきた彩加にとって、沙希とふたりきりの夏休みは未知の体験の連続だった。


 部活で疲れて帰ってくる沙希を、いつのまにか待っている自分。アパートの階段を登る足音が聞こえるたびに、ときめいてしまう自分が理解できなかった。


 それでも、沙希といる時間が増えれば増えるほど、慣れているはずの独りきりの空間に物足りなさを感じてしまう。当たり前だったはずの空間が、当たり前じゃなくなっていく。


 そのことに、微かな不安は、感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る