プロジェクト・エラスマス

第4話 オープンエンドの質問

　「エックス・エラスマス、久しぶりだね」

　聞き覚えのある声が脳裏にこだました。エックスはまぶたを震わせる。

　また悪夢か！　もうやめてくれ！

　「君はもう悪夢は見ない。——なぜなら私が来たからだ——。ハハハ、ハハハ！」

　うるさい！　もう笑うな、どこかのヒーローの真似はよしてくれないか？

エックスは突如目を見開き、勢いよく起き上がった。

　周囲を見渡すと、あたりはどこまでも雪のように白い空間で、遠近の区別がつかない。

「どこだ、ここは？」

「マトリックスか？」エックスはきょろきょろと見回す。

　「ここはデジタル世界ではない。『我々』の意識の中だ。ここでできることは、デジタル世界や現実世界を遥かに超えている」

　声が止んだ後、エックスの『透視できる』床に、地球の映像が浮かび上がった。まるでエックスが地球の上空に胡坐（あぐら）をかいて浮かんでいるようだ。

　その後、地球は超高速のタイムラプスを開始し、日出日没を繰り返し、加速を続け、ついに動きを止めた。その姿は漆黒の惑星へと変わっていた。

　「分かった。あなたはバックアップ・ジェンセンだね。あなた所謂の『我々』の意識、それは『データサイフォン』のこと？　今、紫のアークが見えた気がしたんだが？」

　ふっと音を立て、記憶の中のあの馴染みの顔、バックアップ・ジェンセンが突然目の前に現れ、心底興が削がれたような表情を見せた。

　「もう少し付き合ってくれてもいいのに。君を500年以上待ったんだ」バックアップ・ジェンセンは心底がっかりしたようだ。

　エックスは呆然とし、眉をひそめた。

　「待ってくれ、俺は小さい頃からあなたを知っている気がする。だが、今は思い出せない。500年以上？　それはまさに歴史上の『デジタルヒューマン計画』及び『エネルギー革命、プロジェクト・ルミナ』が始まった頃ではないか？」

　「思い出せないのは当然だ。君の記憶は私が自ら上書きしたのだから」

　エックスはそれを聞いて、その場に立ち上がり、嫌悪感を露わにした。「どういう意味だ？」

　バックアップ・ジェンセンは何も答えず、優しくエックスを見つめていた。

　エックスは自分を落ち着かせた。

　「聞きたいのは、あなたの目的は何なんだ？」

　「君は流石ジェンセンのデジタル・チャイルドだ。私が誕生した時、ジェンセンは君を誕生させることを計画していた。だから、君が小さい頃から私も知っているのは、間違いない」

　「君が唯一覚えていることは、ジェンセン・エラスマスが君の父親だということだけだ。そして君は世間の態度や歴史記録から、ジェンセンの存在が抹消されたことに気づくことになる」

　エックスは頷いたが、また何かを思いつき、再び立ち止まり、顔を上げてバックアップ・ジェンセンを見た。

　バックアップ・ジェンセンは微かに眉をひそめた。「そうだ。彼は自ら自分の存在を抹消し、『ネームレス《無名者》』となった」

　エックスは確かにジェンセンに関する他の記憶を持っていなかったが、彼の意識の深層には、拭い去ることのできない記憶コードが刻まれていた。「彼は父親だ、とても重要な人だ、決して忘れてはならない」

　しかし、一人の人間として、どうして無欲無為に、自ら自分の存在を抹消できる？　エックスのようなデジタル・チャイルドでさえ、自分の存在と自尊心を認め、生存への欲求を持っているというのに。

　エックスの瞳孔が震えた。

　「次に私がすることは、君に歴史の本文を見せることだ」

　「完全で、一切改竄されていないオリジナルコードを」

　「これこそが、私が待ち続けた理由だ」バックアップ・ジェンセンは言った。

　エックスはそれを聞いて、真の歴史を知る機会に、好奇心や興奮は一切感じなかった。彼はすぐに紫（むらさきいろ）のアークがもたらしたデータショックと不快感を思い出し、なぜ今この仕組みが発動したのかと疑った。

　「あなたは俺を待っていた？　なぜ今なんだ？」

　「グアンに何をした？」

　「グアンの遺言は、彼が自らのバックアップをロックし、ロールバック機能をキャンセルし、死を強く望んでいたことを言っている」

　「なぜ彼はロールバックできた？」

　「なぜあなたは、ロールバックされなかった？」

　エックスは一連の質問を投げかけ、最も重要な質問だけをした。

　グアンがなぜ自殺したのか、なぜグアンが発狂してまでバックアップ・ジェンセンの「バックアップ」をロックしようとしたのか、という既知の事実や答えのないであろう質問は完全に飛ばした。彼は、そのような問いは全く無意味だと理解していた。

　バックアップ・ジェンセンはわずかに口角を上げた。

　「君はデジタル・チャイルドだというのに、君の父親と全く同じ型で作られている。君を見ていると、いつもジェンセンの終わりのない魂の拷問を思い出して、ははは」

　「ええと、OK、君の質問に戻ろう。オープンエンドな質問だな？　ここでは全てに完全に答えるのは難しい。だから」バックアップ・ジェンセンは手のひらを差し出し、招待するような微かなお辞儀をした。

エックスは少し躊躇し、彼の『脳内』は高速で回転していた。

「『百聞は一見に如かず』だよ」バックアップ・ジェンセンは目を閉じて待った。

エックスはため息をつき、思考を諦めた。

　「分かった、分かった！　そうだろう！　ここに出口がない以上、君の誘いに乗るしかないのだろう！」エックスはバックアップ・ジェンセンの手に、わざと力を込めて自分の手のひらを重ねた。

　手のひらが叩きつけられる直前、バックアップ・ジェンセンは何かを感じ取ったかのように、瞬時に目を見開き、大袈裟に目を丸くして、口角を上げて笑った。

バックアップ・ジェンセンの瞳孔は複雑な光を放ち、微かな赤い光が青い光に包まれ、最終的に混ざり合って紫の光となった。

「さあ、歴史の授業だ！」バックアップ・ジェンセンは異常に興奮して叫んだ。

パチ！　二つの手のひらが叩き合わされた。

エックス、そしてバックアップ・ジェンセン自身も、瞬時に紫の瞳孔の中に吸い込まれ、共に姿を消した。

***

　2026年、台北松山空港。

　ターミナルビルに先ほどプライベートジェットが一機着陸した。

　豪華に装飾された客室には二人の男が座っていた。一人は体格が魁偉で、スーツを着こなした壮漢で、目を閉じて休憩している。もう一人は髪が乱れ気味で自由奔放な雰囲気の、カジュアルなスーツを着た男で、目を閉じてまぶたを震わせている。

　「両名様、台湾に到着いたしました。降機の準備をお願いいたします」随行員が親切に案内しに来た。

　壮漢と自由奔放な男は同時に目を見開いた。

　エックスは目を開け、目の前には極めて豪華に装飾された客室が広がっていた。彼はうつむいて植毛されたシートを触り、手には人造繊維のちくちくとした感触が伝わってきた。彼は振り返り、もう一人の男を見た。

　彼を見つめているのは、髪が乱れ気味で自由奔放な、カジュアルなスーツを着た男で、わずかに口角を上げていた。

　エックスは眉をひそめ、脳裏にゆっくりと一つの名前が浮かび上がった。目の前のこの男の名前はスティーブン・チェン、マーズ・テクノロジーのCEOだ。

　「スティーブン・チェン！　ステファニー・チェンの祖父？　火星移住計画のスティーブンか？」エックスは粗野で低い声で口を開いたが、自分の声に驚いた。

　スティーブンが手を挙げ、指を鳴らした。

　隣で待機していた随行員は、笑顔がこわばり、お辞儀をする姿勢で動作を停止した。

　「君の最初の質問に答えるには、ここから見始める必要がある。」スティーブンが口を開いたが、それは柔和な声だった。しかし、明らかに先ほどのバックアップ・ジェンセンの声で、自分に応答している。エックスの脳裏に自分のアイデンティティが浮かび始めた。

　「私はハーディー・フリーマンだ...、私は米国の国家安全保障顧問...私の任務は...うおっ！」エックスは吐き気を催し、胃全体がねじれるのを感じた。

　「意識の拒絶か？　本来は君に直接ハーディーの企みを読み取らせたかったのだが、交換しよう」

　エックスは、スティーブンが両手を差し出し、片方の手のひらをスティーブン自身に向け、もう一方の手のひらをエックスに向けているのを見た。

　スティーブンは五本の指を微かに握りしめ、両手を一回転させ、もともと外側に向いていた手のひらを自分自身に向け、内側に向いていた手のひらを外側に向けた。

　エックスは一瞬、空間全体、そして目の前のスティーブンが回転するのを見た。まるでiPhoneの写真をスライドさせるように滑らかで、また回転式の新幹線座席のように、回転後に所定の位置に固定される「カチャ」という音が響いた。

　目の前の人物は回転後、ハーディーに変わり、わずかに口角を上げていた。

　「これで拒絶反応はないだろう？」ハーディーは今、バックアップ・ジェンセンの声で話した。

　エックスは腹部から湧き上がる、清々しく率直な感覚を再び感じた。それは純粋な真実を探求する浩然の気だった。

　「私はスティーブン・チェンだ...。私の任務は、再度台湾を訪れエミリアのジェンセンに面会すること、そしてメディアに対し、政府との協力による台北メトロ文湖線軌道の磁気浮上EVカプセルカー専用軌道への直接改造を発表することだ」

　エックスは一旦言葉を区切り、目を見開いた。

　「そして、君を告発する！　ハーディー！　帰国後、自首することをお勧めする！」

　ハーディーは凶悪な眼差しを露わにし、額に青筋を立て、口角の上昇角度がさらに誇張され、悪意を持って睨み返した。