第10話 奥底に眠る物

「岐美さんは…さ、UMAだったりするの?」

 口にするつもりはなかった。する理由も特にはなかった。

 準備していた考えや、想定される脅威から遥か遠く。岐美さんの心の奥から出た言葉。

 それのせいだ。恐らくあてられたのだ、僕は。

 祈るように岐美さんの言葉を待つ。取り繕う事の叶わない言葉をどうにかいい方向に解釈してくれやしないかと。

 だが、僕の予想に反して岐美さんは…どこまでも岐美さんだった。

「す…すいません…その…冗談…か何かでしょうか?」

 こちらを見上げて困惑したように目線を泳がせる彼女がそこには居た。僕を引き留めるべく伸ばされた両手から力が抜けていく。今の言葉を忘れてくれと言い残し、立ち去ることは恐らく容易だ。

 だが僕は出来ない。出来る筈もない。

 予想に反した彼女の反応に鼓動は痛いぐらいに高まって、それでいて恐ろしくて。

 だから足は動かない。ただ岐美葉子、紛れもない僕のクラスメイトの姿をそこに捉える事しかできなかった。

「い…井形さんは…どうして、そう…思ったのですか?」

「え…?」

「私が薄気味悪いと…そういう事でしょうか?」

「ちがっ…!」

 そこまで言いかけて言葉は止まる。

 嘘はつきたくない。岐美さんに不義理だから?いや、そんなんじゃない。

 僕が…僕自身が、負い目を抱えてしまう。あの時、真っすぐに語る岐美さんに嘘で相対したという事実が、僕を生き辛くさせるから。そう…考えてしまうから。

「確かに…そうなのかもしれません」

「え…?」

「内面が分からない。考えていることが分からない…と、よく言われます。確かに…UMAみたいな物ですね、私は…!きっと、井形さんにとっても…同じように」

 固く強張った表情筋を無理やりに吊り上げる岐美さんは疑う余地が無いほどに苦しそうで。どこか人間である彼女が遠くへ行ってしまいそうだった。

「僕はっ…!さ…苦手なんだ」

 違う。違うんだ僕は。何も傷つけたかったわけじゃない。

「分からないことが…怖いんだ…」

 絞り出すように出た言葉は宙を漂い、僕自身の心を刺す。語った言葉は自らに理解を促した。

 人との関りにおける恐怖心。答えのないやり取りに対する不安とそれが続く閉塞感。それに対して嫌気を感じ、僕はいつからか無意識に人を遠ざけるようになったんだ。

 「だから…岐美さんはっ…!」

 またしても言葉は続かない。僕は岐美さんを見ていたから。普段の岐美さんを見ていたから。

 今までにないほどに大きく見開かれた岐美さんの瞳。元より底の見えなかった暗い瞳には一層影が落ちている。唇は微かに震えていて、僕はそこに声にならない声があるような気がした。

「あっ…!」

 岐美さんを見下ろしていた僕は床に伸びた一つの影を見逃さなかった。声のする方に目をやるとそこには僕の無二の親友、隠木光の姿。

「隠木…!」

「あ、まだ…居たんだな、二人共…」

「あ、あぁ…うん。修学旅行の行先をちょっと…話し合ってて」

「グループの件、悪かったな…俊哉。俺も気付かなくてさ…はは」

 その薄い笑いでは僕は救われない。隠木は底抜けに明るいが、気が回らないわけではないから。その場に滞留していた嫌な空気を感じ取りでもしたのだろう。らしくない笑い方だった。

 隠木は僕と岐美さんを交互に見て、申し訳なさそうに口にする。

「もしかして…何か、邪魔しちゃったか?」

「いえ!」

 僕が反応するより先、岐美さんが声を上げる。ガタっと立ち上がった岐美さんに動揺して危うく転びそうだった。

「あの…内密な話はもう済ませてしまいましたので」

 岐美さんは隠木の方へ振り向いて口にする。

 声色からは動揺は感じられない。いつも通りの真っすぐな声に歪んだ姿勢。紛れもない岐美さんだ。僕の知る、UMAのような岐美さん。

「それではこれにて失礼します。また…明日」

 岐美さんは鞄を手に取って隠木の横をすり抜けるように廊下へと出ていった。

 教室には隠木と僕。二人の影。

「俺、テキスト取りに戻って来ただけだから…」

「あ…俺も帰るよ」

「そっか…じゃ…帰るか」

 横並びになって僕らは歩く。会話は特にない。発した音と言えば靴を履き替える際に少し漏れた息遣い。それくらい。

 その静寂に妙な気まずさを感じていたのは僕だけだろうか。隠木もそうなのだろうか。分からない。一体自分が何をしたいのかも。

 夕焼けが頬を撫でる。語らずとも自然と歩ける決まりきった僕らの帰り道。心地いい。これは僕が知っているから、理解しているからだ。この道が正しいのだと。

「俊哉…はさ。自分の存在に疑問を持った事ってあるか?」

「え…どうした急に…」

「あぁ…!いや、無いならいいんだ」

 隠木の問いかけの意図は分からなかったけれど、やるべきことだけははっきりしていた。

 隠木には嘘をつかない。真実を語るべきだと。

 仲の良かった友人が離れていくのは酷く悲しい事だ。それだけは確かなはずだから。

「隠木、歩きながらでいい…聞いてくれるか?」

「あぁ」

 言うべき言葉を今度は違えない。今だけは気持ちに従え井形俊哉。

「俺、隠木に言えてなかったことがあってさ…」

「うん」

「俺、岐美さんの事をUMA…人間じゃないバケモノだって…そう思ってる。あの人の正体を暴きたくて…色々悩んでた」

「岐美さんが!?いやいや…俊哉…大丈夫か…?」

「ははっ…ヤバいよな…」

「いや、でも…そうか…そうなのか…?」

「時折、人間だとは思えない岐美さんを見てさ…話せなかった。木透にも隠木にも」

「俊哉…」

「俺にとって隠木とか木透ってさ!身の丈に合わないくらい良い友達なんだよ。だから…絶対に遠ざけたかった。もし、そうだったら…って考えたら」

 内心を呟く度、胸の奥が不条理なほどに軽くなる。軽くなりすぎて余計な物も吐き出してしまわないだろうか。それが心配だった。

「確かに岐美さんは変だけど…何がそう思わせたんだ?」

「強迫観念…なのかな。色んな奇行が理由ではあるんだけど…岐美さんの妹さんからの証言や木透の豹変。岐美さんがバケモノだって考えれば考えるほどに辻褄が合っていって…」

 隠木の足が止まる。僕の足も止まった。

「でも分からなくなった」

「え…?」

「岐美さんの事だよ。俺は一体、あの人をどうしたいんだろうって…」

「どうしたいか?」

「正直さ…!どうでもいいじゃん。岐美さんがUMAであろうとなかろうと…さ。でも、俺は必死だった。どうでもいい事だって割り切ろうとしてるけど今も…まだ気になってる」

 隠木は空を仰いだ。それは気恥ずかしさからくる物だったのかもしれない。その後に口にする言葉は少しだけ震えていたから。

「俊哉はさ…俺と頭の出来が違うからきっといろんなことを考えてる。俺は…考えるのが嫌になって自分と向き合う事から逃げてるんだ。ずっと」

「隠木…」

「俺にはない物をたくさん持ってる俊哉が好きだ。自分の中の納得を追い求める真っすぐなお前が好きだ。でも…同じくらいに生き辛そうだ…」

 これまでの僕らが上っ面だけの僕らだとは思わない。心からそう思える。

 でも、本当にそうだったのかと不安になるくらいには隠木の言葉は意外だった。

「いいじゃん。気になってるで」

「え…?」

「俊哉は岐美さんの事が好きなんだろ?だから、そんな風に悩むんだ」

「お、俺が…!?岐美さんの事をっ!?」

「そうなんじゃないのか?じゃなきゃ悩まねぇよ多分」

 隠木は飄々と口にして道路脇のガードレールに寄りかかる。

「そ、そうなのか…!?う、うぅん…」

「あぁ…別に異性としてってんじゃないと思う。じゃなかったら怯えたりしねぇし」

「じゃあ一体…?」

「“人として好き”なんじゃないのか?岐美さんの事。分かるよ、あの子おもしれーもん」

「いや…面白いって…隠木、さっきも言ったが岐美さんはUMAなのかもしれなくてだな…」

「それだよ俊哉」

「は?」

「お前は人として信じたいんだ岐美さんの事。受け入れたいんだ岐美さんを。一人の人間として」

 さも当然と言った様子で堂々と口にする隠木。語られた僕の内心を咀嚼するには時間がかかった。

 自然と僕は隠木の隣に腰掛ける。

「改めて聞くけどよ、俊哉。UMA…なんだよな?宇宙人的な…何かってことだよな…?」

「あ、あぁ…」

「そっか。ならそうなんだろうな」

「信じてくれるのか…?こんな荒唐無稽な話…」

「信じるさ。そうだと思ってる俊哉を信じる。それでいいと俺は思ってる」

「たとえ岐美さんがUMAじゃなかったとしても別にいい。そん時は岐美さんに二人で謝って、後から馬鹿だったなぁ俺達って反省会すりゃいいんだ。それだけの事だよ」

 こんな言葉で終わらせてしまうのが憚られる。けれど間違いなく隠木はイケメンだと言えた。

「信じてくれないってのは辛いからな。分かるよ、俺も」

 話疲れたのか隠木は鞄から水筒を取り出して口へと運ぶ。僕は横目でそれを捉えていた。

「ぷはっ…で、どうすんだ?修学旅行、一緒だろ?岐美さんと」

「突き止めるしかないよ。岐美さんの正体を」

「岐美さんが本当にUMAだったら?どうすんだ?」

「正直…分からない。UMAだったら…岐美さんとはもう…居られないかもな」

 そう口にして遠くの空に視線を移す。気づけば茜色だった空に黒が滲んでいた。

「そっか。まっ!岐美さんはただの人間だって思ってるぜ。根拠はないけどな!」

 爽やかに笑いかける隠木。バス停横に立つ街灯がそれを照らす。

「ありがとう隠木。決心がついた」

「ん、そりゃよかった。そろそろ帰るか!腹も減ってきたし」

「ラーメンでも食べに行くか?奢るよ」

「マジ!?お前が!?」

「感謝の気持ちだよ。どこ行きたい?」

「うっわーっ…迷うなぁ。いや…!まずは母ちゃんに連絡を…」

 隣でスマホを取り出して子供のようにはしゃぐ隠木。それを見て思わず笑みがこぼれた。

 キリっとした眉と切れ長の瞳からは想像の出来ない純粋さがそこには表れていたから。見た目から内面を推し量る事なんて出来やしない。それはたとえ彼女であっても。

「バカだなぁ…俺…」

「ん?何か言ったか?」

「いや、何でもない」

 日が沈むのに合わせて月が昇る。そんな毎日、そんな当たり前と同じように。

 岐美葉子は人間だと。その事実を当たり前にして見せる。 

 僕はそう胸に誓った。 

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