第7話 岐美さんはやはりおかしい

「ようこそお越しくださいました。井形君」

 粘着弾を放つピストルに、スタンガンを携帯した僕。下には防弾ベストを着こみ、催涙スプレーまで用意したというのに。

 僕はつくづく岐美さんという人を見誤っていたようだった。

「小豆にきな粉、抹茶にチョコレート。どの味にいたしましょう?」

 三角巾とエプロンを身に着けた岐美さん。その両手には杵が握られていて僕は即座に理解する。

「なるほど!餅ね!!」

 自分の耳元まで強く響いていた鼓動の音が次第に鎮まりかえっていくのが分かった。

「えぇ、何を想像されていたので?」

「な、何って…そりゃあ…」

 命を取られる想像を…なんて言える筈もない。

「お、お餅つき…ですけど…」

「ほう、そうですか…やはり、やりますね井形君は」

 何が何だか分からないまま僕は何かを褒められた。

「さっそく、ついていきましょう。取り敢えず上がってください」

 岐美さんは玄関の扉を開け、家の中へスタスタと入っていく。

 見た目は思ったより普通の家。昨今の近代建築ブームに則った平坦なデザインの白黒家屋。塀の内に小さな庭があるのが少し物珍しいくらいだ。

「どうしたのです、まさかここにきて物怖じを?」

 床に杵を置いて、こちらを見る岐美さんの姿。死体を喰らうゾンビのような姿勢の悪さだ。

「い、いや大丈夫。つくよ俺」

 僕は玄関に踏み入る。

「お、おじゃましまー…す」

 廊下の奥がハッキリと見えない暗闇。真っ昼間だというのにどういう訳か光が上手く差し込んでいないようだ。

 僕は扉を閉め鍵を掛ける。そのまま靴を脱ぐ為しゃがみ込む。その時だった。

 ダッダッダッ!

 後ろから早い足音。地面に伝わる振動は瞬時に僕の危機感を煽り立てる。

「なっ…!?」

 振り返った僕の視界の横に白い細腕。岐美さんが伸ばした腕だ。

「ふぅ、これで安心です」

 チェーンをかける岐美さんの腕を下から見上げる。

「ご、ごめん…チェーン…マズかった?」

「…ま、美味しくはないでしょうね」

「い、いや…そう意味ではなく…」

 岐美さんは僕の顔を横からのぞき込む。完全にキマッているようなその瞳に僕は震えて立ち上がる事さえままならない。

「ど、どうか…した?」

「井形さん、お疲れですか?目の下にクマちゃんが出来ていますが」

「それくらい可愛ければいいんだけどね…」

「もしかして負担でしたか?今日のおつきあい」

 それは岐美さんらしからぬ物言いだった。こういう人間味が妙にあるせいで僕も本心から彼女を疑えやしないのだ。

「ううん、気にしないで。僕夜型だから…ちょくちょく眠れなくなるんだよ…今日が偶々そうだっただけで…」

 突如、岐美さんの両手が僕の肩に置かれる。それは押さえつけるように、立ち上がらせないように力が込められていて。僕の背を冷汗が伝う。

「井形さん…」

「は、はい…な、なんでしょう…」

「夜にしますか…?おつきあい…」

「うん、近所迷惑だ!それは!」

 思わず大きな声が出てしまう。あまりにも岐美さんの常識が欠けていたから。

「では室内ではどうでしょう。両親も交えて臼を皆で囲むのです。つく係とこねる係で交互に並んでですね…」

「なんの儀式だよ!!というか、あの…食い下がらないで。勝算ないよ、どこにも」

「折れるのは簡単で、挑み続けることは得てして難しい。だが、その壁を越えてこそ意味がある。だからギャンブルに励め」

「…誰の言葉?」

「岐美亮吾…」

「お父さん…!批判し辛いよ…同級生の家族は…!てか、餅をつこうよ!その為に準備してたんでしょ?」

「そうですね、ここは一時休戦という事で…」

 そう言うと岐美さんは、廊下に立てかけられた杵を片手で持ち上げそそくさと居間の奥へと消えていく。 

「休戦て…おおげさな…」

 僕は懐に忍ばせた種々の道具の事を思い出す。

「ま、休戦か…そうだな…」

 それらすべてを取り外し、肩から掛けていたポーチに詰め込んだ。

「結局…僕の取り越し苦労か…」

 思えば岐美さんが僕に実害を加えたことは一度としてない。仮に岐美さんがUMAだとして、だとして…どうなんだ。

「僕は…岐美さんをどうしたいんだ…」

「井形さん!事件ですか事故ですか!?」

 居間の奥から聞こえてくる意味不明な問いに僕は堪らず笑ってしまう。

「ははははっ!そうだな…自己…かな!」

「もっ…餅っ!乾いてしまうっ…!井形さんっ…!もちっ…!井形さんっ!」

「ごめんごめん!冗談だよ!」

 取り乱した様子の声に突き動かされ、僕は居間へと上がり込む。そこに広がっていたのは普通と奇妙が入り混じるなんとも言えない内装だった。

 一見するとアンティーク調の家具で統一されたモデルルームのような内装。けれど目を凝らしてみれば壁掛けや戸棚の横には確かな生活感があった。

 可愛らしい何かのキャラクターのぬいぐるみに、よくわからないブロックの置物。額縁には謎の一万円札とその横にレシート。

「あまりジロジロ見られては…その…」

 キッチンに立つ岐美さんは恥ずかしそうに俯いていた。それを見て僕の中に妙な感情が芽生えた。

 岐美さんは思いの外、可愛いのではないかと。

 何を考えているか分からない闇のような瞳に、触手のように蠢く黒髪。とはいえ、見た目で言えばそれくらいだ。他はちょっと陰気な女子と何ら変わらない。むしろ容姿は整っている方だと言えるだろう。口角が絶望的に上がっていない点は僕だって同じだし、別に何ら気にはならない。

「井形さん?」

 こちらへ目を向ける岐美さんの瞳には光がさしていた。

 いやいや!!何を考えている僕!そうやって油断したところを狙い撃つ!それが彼女の目的だ!

「一応、男の子を家に招いているので…その…なんといいますか…猫に小判と言いますか…もはや猫と言いますか。腕をこう…クイッと」

 ジトっとした目で手をこまねく岐美さんに妙なトキメキ。

 畜生…!何言ってるかも全然わかんねぇ!でも…なんか、妙に可愛らしい!!クソッ!!!

「あ、あの…井形さん」

「は、はい…!何でしょう?」

「餅がカピてしまいますが…もうつきますか?」

「あ、あぁ!そうだな、つこう!突き合おう!」

「お、おぉ…」

 岐美さんの妙な反応に目もくれず、僕は鞄をソファの横に立てかけた。今日はもう必要のない物だから。

「では…準備をして中庭へ…」

「何を準備したらいいかな」

「ビニール手袋と頭巾とエプロン…後はまごころを。全部キッチンに置いてありますので」

「わ、分かった…ん?まごころも?」

「まごころは置いてないです。培っていただければ」

「そ、そうだよね…!」

 狂った調子は簡単には戻らない。今まで岐美さんを化け物だと認識していた分だけの反動が押し寄せていた。

 考えてみれば今までにないシチュエーション。同級生の家に上がり込み、共に共同作業をするだなんて。僕の体は強張っていく。これもある種の呪いだと思えた。

 そうして、僕と岐美さんは中庭で餅をつく。

「ハイっ!」

「いいえ」

「ハイっ!」

「No」

「ハイッ!」

아니요 アニヨ

「ごめんやり辛い!何なの、その合いの手は!」

「ツーとカー、阿と吽、イェスにはノーでは?」

「にしても多言語である必要はないよね…?」

「ふふ…そうですね」

 いつにない表情で穏やかに笑う岐美さん。相変わらず岐美さんは訳が分からないけれど、それを見て僕の武装は内も外も完全に解けていた。

 自分でついた餅は美味しくて、晩御飯が食べれなくなることも考えずにいろんな味を頬張った。曰く岐美さんは小食らしいけれど、フードロスだのとなんだのと言って頑張って食べていた。

「大丈夫?岐美さん」

「限界です…も、もう…」

「持って帰って食べるって言ったのに…」

「片づけを…しなければ…バ…シュババババ…」

 がっくりと床に這いつくばる岐美さん。

「はははっ!口に体が追いついてないじゃない。僕も手伝うよ」

「いえ、今日ばかりはゆっくりしていてください。あと…もう少しですので」

 そう言うと岐美さんはノソノソと気怠そうに席を立つ。手で動作を制されたので僕もそのまま動かない。

「そ、そう?じゃあ、お言葉に甘えるけど…」

 残業疲れのリーマンのような動作で岐美さんはキッチンへと向かっていった。

 うっ…尿意が…ジュース飲みすぎたな…

「岐美さん、トイレってどこかな?」

「玄関横です」

「お、オッケー…」

 僕ものそのそと立ち上がり廊下へと出る。

「ここか…?ぷっ…!」

 その看板にはTOILTEトイルテと書かれていた。間違いなくミスである。

「まったく…岐美さんの家って感じだな…」

 呆れ半分、嬉々とした気持ち半分で僕はトイレのノブに手を掛ける。

 ガタッ…ガタガタッ!

 隣のクローゼットから発される物音。それが僕の手を止めた。

「な、なんだ…!?」

 シンと静まり返る廊下。聞こえるのは僕の息遣いだけ。気のせいではないかと僕は廊下で立ち尽くす。

 ガタガタッ!

「うっ…!?」

 クローゼットから距離を取る。中に何かがいる。間違いない生き物である何か。

 駄目だ…開くと良くないことが起きる気がする。クローゼットに伸ばした手は宙に浮く。

 その浮いた手を動かしたのは未知への興味。

 でも…駄目だ…気になる!

 ごくりと唾を飲み、そのクローゼットの取っ手を握る。僕は意を決して扉を引いた。

「んん…あ…」

 中には人の姿。両手両足を縛られ、身動きが取れない状態の女性の姿。

「うっ…っ…!?」

 人はあまりに驚くと声が出ない。頭では理解していたが、実際にそうなると何もできない絶望感で満ち満ちる。

「あ…ども、岐美のぞみです。これ、解いてもらえますか?」

 ブロンドのショートボブは暗い廊下で際立った。

「なっ…!?一体何が…」

 岐美さんの親族!?どうして、こんな場所に…?どうしてこんな状態で?いつから…?

「あ、もしかして井形さんです?私、岐美葉子の妹です。この紐はここ、蝶々結びと同様にここを引っ張るとですね…」

「大丈夫…分かる。い、今ほどくね…」

 聞かずとも分かる事実。だが、どうしてか僕は彼女に尋ねた。

「これは自分で結んだの?」

 僕がそう聞くと彼女はさっきまでの表情とは打って変わった物に変化した。

 重々しい何かを抱えた人の顔。そんな印象だった。

「…あなたになら、話してもいいかな」

 彼女の両手両足を縛る紐を僕が解くなり、彼女は僕の手を取って走り出す。

「ちょっと来て…!」

「えっ!?」

 連れられるまま僕は2階へと駆け上がる。そのまま階段を上がった先の一番奥の部屋に連れ込まれ、僕は訳も分からずベッドに突き飛ばされた。

 ガチャリ、と鍵の閉まる音を背に感じ。振り返るとそこには警戒した様子の妹さんの姿。

「な、何がどうなってるの…?」

「うん、今なら話しても大丈夫そう…」

 妹さんが僕の方へ歩みを進める。そのクリクリとした大きな瞳は岐美さんとは大違い。

「な、なんだ…!?」

 彼女は僕の耳元で小さく囁く。

「あまり、狼狽えないで聞いて欲しい」

「え…?」

「私のお姉ちゃんに取りついたナニかの正体を突き詰めて欲しいんだ、お兄さんに」

 取りついた…?ナニか…?この人は何を言っている…

「な、何か…って何…」

「あれは…お姉ちゃんじゃない。元のお姉ちゃんはもっと私みたいに快活だったの…」

 暗く沈むような声で口にする彼女。確かに岐美さんと目の前の彼女は見た目も性格も対極。血のつながりなど見た目からは微塵も感じられないが。

「アイツはお姉ちゃんのふりを続けてる。これまでどうやっても心を開かないアイツが唯一、お兄さんにだけは心を開いてる。だから…このパスワードをなんとか聞き出せるんじゃないかって…」

 そう言って、彼女は僕の懐に角ばった何かを押し当てる。見下ろすとそれは金属製の箱両手で抱えられるサイズの重厚な金庫だった。

「な…何だこれは…」

「お姉ちゃんの部屋にあった信じられないくらいに硬い箱…ここにその秘密が詰まってる…多分ね」

「力づくで開けようとは…したのか」

「うん、駄目だった…」

 全くもって荒唐無稽な話だが、その口調と雰囲気から真っ赤な嘘だとは思えない。今の岐美さんがバケモノに乗っ取られているという事実を。

「お姉ちゃんの人格を呼び覚ませばきっと…このパスワードがわかる筈…そして、お姉ちゃんの身になに何があったかも…!」

「どうやって呼び覚ます…?」

「…」

「お、おい…!」

「あー、そう…確かお姉ちゃん恋愛映画にハマってた…!」

「は?」

「き、きっとお姉ちゃんをドキドキさせるシチュエーションを利用すれば口を割るはず…!」

「おい、冗談だろ!?得体の知れない化け物を相手に壁ドンでもしろと!?」

 流石は岐美さんの親族と言った所か。ポンコツ具合はバケモノの人格に関係がなく遺伝しているように思えてならない。

「これ…!私の連絡先…!何かあったら逐一教えて…!」

 彼女はくしゃくしゃになった紙きれを僕のポケットにさりげなく忍ばせる。

「お、俺は…結局どうしたら!?君は…!?」

 彼女は扉の方を指さす。

「行って…私は、大丈夫だから…!」

 俯いてそう言う彼女に心の中でエールを送る。

「うっ…尿意が…!」

 そうだ、トイレにまだ行けていない…!

 僕は焦るようにトイレの扉を開く。そこには暗い中、便座に座る岐美さんの姿があった。

「う、うわぁあああ!?!?」

「うわぁああああああ!!!143831!!」

「またトイレかよ!!」

 僕はとてつもない勢いで眼前のバケモノから目を背け、扉を閉めた。

 何かと岐美さんとはトイレに縁がある。もはや作為的な物を感じるレベルだ。あの日の放課後もトイレ、カフェでもトイレ、ここでもトイレ。

 なんなんだ…これは。彼女は一体何なんだ!

 僕は想いの丈を扉越しにぶつける。

「は、はぁっ…!ご、ごめんっ…!で、でも!何で電気つけてないのっ!?」

「く…暗い方が落ち着くので…つい…」

「と、とにかく…僕は何も見てないからっ…!今日はありがとう…!帰るよ!」

「お、お疲れ様でした…!ごめんなさいぃ…」

 消え入るような岐美さんの声に背を向けて僕はリビングに置かれたままの鞄をさっと手に取る。

 そして、そのまま逃げるように岐美さん邸を後にした。

 143。思いもよらない速度でのミッションコンプリートに未だ動悸は止まらない。

 急転直下の展開に帰路につく僕はちょびっとだけお漏らしをしていることに気が付いた。

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