第8話

その夜――

エプシアール家が静寂に沈む頃、屋敷の裏手にひそやかに忍び寄る影があった。


黒衣の男が勝手口の鍵穴に細工を施すとカチリと軽い音がして、扉はあっさり開く。


「……部屋はどこだ。」


「たぶん奥の方だろ。」


囁き合いながら侵入者たちは暗い廊下へと踏み込んだ。


その瞬間――


「いえ。そちらに向かわれる必要はございませんよ。」


声音は穏やかでありながら、闇を切り裂くほど冷たかった。


「なっ……!」


いつからそこにいたのか。

廊下の中央。月光の差す場所に、エプシアール家執事――シグマが立っていた。


「さて――お引き取り願えますか?」


その優雅な一言に、侵入者が舌打ちを漏らす。


「んな事言われて退くかよ。こっちは仕事だ。」


「……はぁ。左様でございますか。」


シグマは軽く首を傾け、ため息とともに地を払うように一歩踏み出す。


「では……力ずくでお帰りいただくしかございませんね。」


ス、と構えたその姿は無駄のない刃。

軽率に近づけば触れた途端に切り裂かれそうな気配が走る。


侵入者の背筋が震えた。


(……この構え、隙がねぇ……っ)


「ちっ……やるぞ……!」


刹那。

廊下を裂く静寂が生まれた。


◆ ◆ ◆


数分後。


床に伸びる侵入者三名。

その上に影を落とし、シグマは冷え冷えと笑った。


「ふん。ルヴェーグ様を襲うならまだしも……

フィサ様の安眠を妨げるとは、愚かにも程がありますね。」


静かに足音が近づく。

屋敷の使用人がひとり、恭しく頭を下げて立った。


「良いところに来ました。――この者たちへの“おもてなし”を、よろしくお願いします。」


使用人は淡々と頷く。


「さて……フィサ様に気付かれていないと良いのですが。様子を伺いに参りましょうか。では、後を頼みましたよ。」


シグマは滑るように廊下を去った。


◆ ◆ ◆


シグマが静かに扉を押し開け、寝室に足を踏み入れた瞬間――

ルヴェーグの低い声が飛んできた。


「……シグマ。客人か?」


寝ているはずの男とは思えぬ即応。

シグマは驚きもせず、一礼した。


「おや。お気づきでしたか。」


声はフィサを起こさぬよう抑えられている。


「それで?」


ルヴェーグは腕の中で眠るフィサを抱き寄せたまま、短く問う。


「ご安心ください。

丁重に“おもてなし”するよう手配しております。」


「そうか。」


ルヴェーグはフィサの髪を撫で、額にそっと口づけた。


「……フィサ。お前は気付かなくていいからな……。」


小さなキスの音が静かな空気へ溶ける。


シグマは肩をわずかに揺らし、皮肉めいた声を漏らした。


「……お熱いことで。」


しかしその瞳はどこか満足げだった。


「では――ごゆっくりおやすみください。」


完璧な礼をして、シグマは静かにその場を離れていった。

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