第7話

ルヴェーグを寝かせてどれほど経っただろう。

静まり返った寝室に、ふいに微かな吐息が混じった。


「……う……っ」


ベッドの上で、長い睫毛がかすかに震える。

フィサは弾かれたように顔を上げた。


「っ! レーベ……! ご、ごめんなさい……ほんとうに……!」


涙で滲む声に、ルヴェーグはぼんやりと目を開く。

まだ意識が浮上しきらないのか、弱く笑いながらフィサを見つめた。


「……はは。いいんだよ……。何か君の様子が変だとは思っていたけど……。深く聞かなかった僕にも非がある。」


「で、でも……シグマさんが居なかったら、今頃……っ!」


声は震え、胸の奥の後悔が堰を切ったように滲み出る。


ルヴェーグはゆっくりと首を振った。


「いいんだ。……どうせあいつも、僕がこうなるのを“いい気味だ”とか思ってただろうしね。」


「そ、そんなこと……っ!」


必死の否定が掠れた、その時――

部屋の扉が音もなく開いた。


「……チッ。ごきげんよう、ルヴェーグ様。

お元気になられたようで、何よりでございます。もう少しお休みになっていてもよろしいのでは?」


シグマが静かに入ってくる。

言葉は丁寧なのに、その眼差しは驚くほど冷たい。


ルヴェーグは苦笑しながら肩を揺らす。


「……はは。相変わらずだな。主がこんな状態でも、心配の色すら出さないとは。」


するとフィサが慌てて振り返り、必死に言った。


「で、でも……シグマさんが助けてくださったんです!」


「それはきっと……」


ルヴェーグは微笑みながら、フィサへ手を伸ばす。

フィサも震える指でそっと触れた。


「助けを求めたのが君だったから……じゃないかな。」


「ぼ、僕だったから……?」

フィサは驚いたようにシグマを見る。


「……はァ。えぇ、まあ。」


気怠げなため息を洩らしながら、シグマはあっさりと肯定した。


ルヴェーグは皮肉を含んだ柔らかな声で続ける。


「こいつは君のことが好きなんだよ。」


「好き、というのは少々語弊があります。」


シグマは眉ひとつ動かさず言った。


「フィサ様は非常に……お美しい。私が惚れ込むのも、無理はないかと。」


その優しい視線に、ルヴェーグは鼻で笑う。


「ふん。だけど……いくらお前でも、フィサを渡す気はないさ。」


声は低く穏やかだが、

その奥には揺るぎない独占欲がはっきり滲んでいた。


シグマは静かに目を伏せ、一礼する。


「えぇ、存じておりますとも。……では、大変残念ながら“お元気”のようなので、私は仕事に戻らせていただきます。何かございましたら、お呼びください。」


フィサへ丁寧に礼をすると、音もなく部屋から消えていった。



ルヴェーグはゆっくりと身体を起こし、ベッド脇で涙をこぼし続けるフィサをそっと見つめる。


「それよりフィサ。君に怪我は無いかい?」


「ぼ、僕は大丈夫です……!でも、レーベは……っ!」


ぼろぼろと涙が溢れ、声が震える。

その必死さに、ルヴェーグは困ったように微笑んだ。


「僕は本当に大丈夫だよ。そんな顔、しないでおくれ。」


「……っ!その……シグマさんに聞いたんです……。ぜんぶ……っ、全部僕が騙されてただけだって……!僕が……僕がレーベを……売ろうとして……っ!」


言葉にした瞬間、フィサの膝が崩れた。

座り込んだまま両手で顔を覆い、肩が細かく震える。


ルヴェーグはその姿を優しく見下ろし、手を伸ばしてフィサの頬の涙をそっと指で払った。


「大丈夫だってば。確かに薬は盛られたけど、すぐ抜けるさ。それに……どうやらシグマが全部“処理”してくれたみたいだしね。」


「レーベ……っ!もっと怒ってよ!僕だけ、こんな……し、死んじゃいそうで……馬鹿みたいなのに……!」


その叫びは、ひどく悲しく、ひどく優しかった。


ルヴェーグはふっと小さく微笑む。


「怒る?……どうして?最初からフィサを疑ってなんていないよ。君の優しさは、弱さに見えることもあるけど……。僕にとっては、いちばん美しいところだ。」


そう言って、そっと腕を広げた。


「……ほら。こっちへおいで。きっと君も疲れてる。少し……休もう。」


フィサは泣きじゃくりながら、ゆっくりとルヴェーグの胸へ身を預けた。


「……っ、ぼ、僕が……ぁ……」


嗚咽混じりの声が、胸元へ吸い込まれていく。


ルヴェーグはその背を抱きしめ、髪へ指を滑らせながら囁いた。


「……大丈夫。ゆっくりおやすみ。もう全部、終わったから。」


その優しい声に包まれて、フィサの呼吸は徐々に深く、穏やかになっていく。


やがて――

フィサは涙の跡を胸元に残したまま、静かに眠りに落ちた。


ルヴェーグは目を細め、胸に眠るフィサの頭をゆっくり撫で続けた。


「……フィサ……」


その声は、誰も知らないほど優しくて、胸の奥を静かに溶かしていく響きだった。


彼はそっと息を吐き、フィサの涙の跡が残る胸元へ視線を落としたまま低く、誰にも届かない声で呟いた。


「……まったく……シグマめ。報告を怠ったな……。」


苦笑には微かな棘がある。

だがそれは怒りというより、呆れにも似た柔らかな温度だった。


そしてほんの一瞬、瞳が伏せられる。


「……いや……僕も同じか。こうも簡単に、絆されて……」


声が消える。

その続きは、もはや言葉にならなかった。


ルヴェーグはただ、胸の中で規則正しい寝息を立てるフィサを抱きしめる腕にほんの少しだけ力を込めた。

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