其の十四

 乳母夫婦を、あっという間に惨殺した、暗闇から表れ出た人相の悪い男たちは、澪月たちのわずかな荷物を投げ散らかしていた。


「しけた奴らだぜ。金になりそうなもの、ひとつもないぞ」


 夜盗やとうの一人の不満気な言い分に、別の男があごをしゃくって澪月を指す。


「まぁ、そう言うな。みろよ、この小僧」


 夜盗たちの視線がいっせいに、瞬きひとつ出来ずにいた澪月に向けられた。


「たしかに、すっげぇ上玉じょうだまだ」


 品定めする目の、舐めるような動きに、けっけっと、野卑やひな笑いが重なる。


「とんだ拾いもんだ。こりゃ、高く売れるぞ」


 途切れた思考が、瞬時に危機を察して、澪月は闇の中へと駆け出した。


「逃げ切れると思ってるのか!」


 遊び半分に、ニヤニヤと笑いながら、夜盗たちが澪月を追いかける。


 闇に慣れた夜盗たちは、瞬く間に澪月を追い詰め、大木を背に身動きひとつ出来なくなった澪月を取り囲んだ。「へっへっへっ」と、下卑げびた笑いが闇に不気味に響き渡っていく。


 自分は此処で、この夜盗たちに、捕まってしまうんだろうか。だとしたら、何のために、この辛い旅路があったんだろう。何のために、自分は生きて此処まできたんだろう。いったい、なんのために……。


 答えのない問いを繰り返し、涙で視界がゆがんでいった。そのゆがんだ視界に、夜盗の手が映りこんだ。


「さわるなッ!」


 叫んだ瞬間、自分の身体が異常な熱を持って、発光した。炎の中に身を投じたような焦げつく衝撃に、意識が翔んだ。


 一瞬の、空白。


 気づいたときには、ねっとりと絡みつく臭気の中に、澪月はぽつねんと座りこんでいた。


 シンと静まり返った森の中。動くものは、何ひとつなかった。鈍く痛む頭を抱えたまま、ゆるりと動かす膝の上から、何かがころんと、転がり落ちた。自分が後生ごしょう大事に抱えていたそれは、けたけたと笑っていた、夜盗の首だった。


「ヒッ!」


 ぎょっとして、後ずさる掌がぬるりと滑る。辺り一面を浸す血の海に、ぽつぽつと散らばる白い欠片、それは、かつては人であったはずの、手や、足や、首だった。


「あっ……、あ……」


 灯りひとつない深更の闇をものともしない、自分の目が映しだす惨劇に、身体ががくがくと震えだす。


 じっとりと血に濡れた身体。真っ赤に染まった手は、白い肌を全て覆い尽くしている。爪にはまだ生暖かい、血肉が埋め込まれていた。


 ―― 俺が、……殺ったん、か?


 爪にまで沁み込んでいる血が、澪月を心底怯えさせる。


 誰もいない闇が、まるでその問いかけに答えているようで、呻くような声が、ぶるぶると絞り出される。くぐもった咆哮ほうこうが、狂気をはらんだ叫び声に転じようとしたその刹那、口元が、目頭が、何かに覆われた。


 眩みだした視界が、真っ白にかわり、そして暗転。自分の身体の一部が抜け落ちていくような感覚に、澪月はぎゅっと瞼を閉じた。


 閉じた瞼の裏で、ゆうるりと世界が回っていた。自分の身体が、何処へともなく飲み込まれ、澪月の目の前から、ありとあらゆるものが、忽然と消え去っていった。


 何が起こったのか、今もわからない。自分が何をしたのかも、まるで憶えていない。けれどあの場所で、生きていたのは自分だけだった。自分だけが血溜まりの中でうごめいていた。



「俺は、まともやない……。あんたらのことやって、どうするかわからんで」


 自嘲気味に言い捨てて、澪月がひんやりと笑う。


 けれどその瞳は、哀しげに潤んでいる。今また、かっくりと落とされた肩に、捲り上げられた夜衣がさらりと落ち、白い腕を隠す。桜色の衣は、まるで澪月を守ろうとするように、小さな身体を包み込んでいた。


「澪月は……」


 やわらかく名前を呼ばれて、俯く視線がちらりと動く。


「私が唱えた経は、苦しかった?」


 潤んだ瞳が、僅かに眇められる。


「握らせた数珠は、痛かった?」


 ゆっくりと、瞼を伏せる。


「自分がわからないと言うなら、わかるまでいればいい」


 澪月が、ふっと笑う。


「わかった瞬間、あんたらの寝首、くかもしれんで」

「それはない」


 澪月が嘲るように放った言葉を、揚知客はぴしゃりと否定する。否定された瞬間、澪月の瞳がきらりと赤く閃き、揚知客を睨みつける。


「あんたに何がわかるんや! 俺が何してきたか、なんも知らんくせに、勝手なこと言わんといてや!」


 それは、吐き捨てるような言葉だった。


 拳をぎゅっと握り締め、澪月はわなわなと震えている。


 それでも揚知客の瞳は、水を打ったような静けさを失くさない。その冷静さに苛立つように、澪月の赤く変わった瞳が、ぎらぎらと闇に浮かぶ。


 頤を上向け、澪月は紅をはいたような口の端を、きゅっとつり上げる。幼く、あどけなささえ残す面が、それだけで妖艶さをおびる。自分の正面に端坐する揚知客にそろりと近づき、しんなりと指先をあげる。


 桜を模したような、薄紅の衣。そのなめらかな袖が、揺れる。片手をしとねにつき背筋を撓らせ、艶めかしい仕草で、揚知客の首筋近くまで指を伸ばす。


「なぁ、俺、素手で人殺せるんやで。刀もなんもいらんねん」


 笑おうと、澪月は笑おうと、思っていた。


「それでも、まだ……」


 けれど瞳は既に、何もかもをはねつけようとする、尖った煌きを失くしていた。


「一緒に暮らせる、……言うんか?」

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