【短編】MY CHOICE

夢想PEN

結婚という選択

第1話 知らないけど知ってる子

 一人で歩く夜道。


 手にぶら下げたスーパーの袋がカサカサ揺れて、中では一人分の弁当と、割引シールが貼られた総菜と、缶チューハイが仲良く寄り添っている。


「いいね、あんた達は仲良さそうで。……私はそんな友達いないのにね」


 言ってすぐ、虚しさだけが喉につかえる。


 コツコツとアスファルトを叩く自分の靴音が、やけに響く。点滅する街灯には小さな虫が群がり、みんな忙しそうにしているのが、逆に腹立つ。


 何の変化もない。

 何の特別もない。

 ただの“いつもの帰り道”。


 二十代最後の年。このまま流されるように歳を取っていくのかと思うと、胸の奥がぎゅっとして息がしにくい。


 マンションのドアを開けると、暗闇がふっと口を開けて待っていた。


「ただいま」


 返事を期待してるわけでもないけど、言わないと余計に心が沈む気がする。


 靴を脱ぐとすぐ横がキッチンの1K。

“スーパーの仲良し組”を冷蔵庫に押し込みながら、ため息の代わりに風呂の準備をする。


 事務職の仕事は安定している。困ることなんて特にない。

 給料も悪くないし、ノルマもプレッシャーもない。


 ——そう。“誰でもできる、替えが効く仕事”。


 唯一困るのは、同じ部署の独身のお局様が毎日ピリピリしていること。


 でも、気持ちはわかる。

 だって、きっとあの人も不安なんだと思う。

 先が見えてしまう人生って、息苦しい。


 風呂から上がって、二日目のタンクトップに着替え、髪を乾かす。


 鏡の中には、思ってた以上に疲れた顔。

 試しに無理やり口角を上げてみると、真顔のまま笑う人みたいで変におかしくて、思わず吹き出した。


 今日いちばん笑った瞬間だった。


 小さな丸テーブルに“仲良し組”を並べ、テレビをつける。

 お笑い番組を見て、たまに笑う。


 その声が空虚な部屋にポツンと響いて、余計に孤独を照らす。


 テレビに飽きた頃、ベッドに横になる。


「私、このままでいいのかな……?」


 壁掛け時計の秒針が淡々と刻む音と、外から聞こえる車の走行音。

 その微かな騒音に、自分の呟きすら飲み込まれた気がした。


 次の朝。


 携帯のアラームより先に目覚めた。

 起こされるのが嫌いな分、少しだけ得をした気持ちになる。


 背伸びをして、洗面台に向かう。


 ぼさぼさの髪のまま鏡の前に置かれたコップから歯ブラシを取る。

 一本は私の、もう一本はたまに泊りに来てた元カレの歯ブラシだった。


 未練のようなものはない、ただ捨てるのが億劫なだけだ。

 そんな風に毎日考えてる。


『俺と……結婚してほしい』


 そう言ってくれた顔が思い浮かぶ。彼は高校の同級生だった。

 二五歳の同窓会で久しぶりに会って、仲良くなって……

 大人になってからの方が高校の時より話すのが楽しくて、気が付けばお付き合いする感じになってた。


 そんな彼とは去年別れた。


 原因は、私のわがまま。

 こんな私が誰かの妻になり、誰かの親になるなんて想像もしてなかったからだ。


 彼には悪い事をした。


 もし、私が本気で向き合っていたら?

 もし、彼を信じて踏み込んでいたら?


 毎日繰り返す自問自答に疲れ果てる。

 きっと、後悔しているんだろう……


 そう思いながら掌で水をすくい、口をゆすぐ。


「さぁ、準備しますか……その前にトイレ」


 洗面台のある場所の反対側にあるトイレのドアを開けると、急に眩しい光が襲う。


 腕で顔を覆ったまま、私は呼吸を止めていた。

 光が強すぎて、まぶたの裏まで白く染まる。

 一瞬だけ、体がふわっと浮いたような感覚がした。


 やがて光が薄れ、恐る恐る腕を下ろす。


「……え?」


 そこは、見慣れた1Kじゃなかった。


 木の温もりがある広めのリビング。

 壁には家族写真らしきフレームがいくつも並んでいる。

 どれも幸せそうで、胸がズキッとする。


 私の視線は自然と床へ吸い寄せられた。


 ふかふかのカーペット。

 子ども用の小さなスリッパ。

 散らかったおもちゃの中に、見覚えのないウサギのぬいぐるみ。


 この部屋は、明らかに“私の部屋”じゃない。


 そして——


「ままっ!!」


 足元に、小さな体がぎゅっと抱きついてきた。


 温かい。

 柔らかい。

 いい匂いがする。


 女の子……?

 でも私は母親じゃ——


 そう考えた瞬間、頭の奥に波が押し寄せてきた。


“この子の名前を知っている”

“この子が昨日泣いた理由も知っている”

“この子に買ってあげた服のサイズも知っている”


 知らないはずなのに。

 どうして?

 どうして私は、全部“知っている”の?


 胸の奥が痛い。

 違和感と、懐かしさと、愛おしさが混ざって頭が割れそう。


「まま、だいすき!」


 その言葉が、脳の奥の奥でカチッと音を立てた気がした。


 息が止まる。


 ……これ、夢じゃない。

 別の“私の選択”の中に、私はいる。

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