パワハラされたせいで退職希望のデキる後輩女子を引き留めようとしたら押し倒された件

水守喰介(みずもりくろすけ)

第1話:シゴデキ後輩女子から突然の退職のお知らせ

週内に、と上司から頼まれた資料作成のため、立花憲司(たちばな・けんじ)は、静かなオフィスでひとり残業をしていた。金曜日の夜だ。ほとんどの社員は定時過ぎると三々五々に街へと繰り出し、オフィスは閑散としていた。


「ふう、やっと帰れるか」


メールソフトを立ち上げ、出来上がった資料を送るのと入れ違いで、何通かの新着メールが届いた。だけど、今日はもうお終いと決めたので、メールソフトを閉じようとしたら、そのうちの1通の差出人に目が止まり、思わずクリックする。


「うそだろ……」


同じ事業部の後輩である太田汐里(おおた・しおり)からのメールを読み、憲司の目の前は真っ暗になった。そこには、今日付で会社を辞めたこと、急な退職で迷惑を掛けて申し訳ないといったことが事務的に書かれていた。


今日の彼女は普通に会社に来ていて、出社直後には僕も見かけていた。ただ、午後からは姿が見えず、イントラのスケジュールにも外出の予定はなかった。てっきり、社内で打合せしているのかと思ったらこの有り様。


「いったい、どういうこと???」と脳内にハテナマークが飛びまくる。



† † † †



太田さんは僕の1年後輩で、同じ事業部の違う部署のメンバー。はっきり言って、仕事ができる。しかも、かなりの美女だ。


僕とは職務と年齢が近いので、仕事で絡むことが多いし、気軽に挨拶や雑談をするくらいには仲が良い。事業部の忘年会やら案件の打ち上げやらでは、隣に座っていろいろ込み入った話しもしてきた。主に、仕事のことだけど。


本心を言えば、綺麗で優秀な彼女に惹かれていた。丸顔で涙袋がくっきりした目元、小ぶりだけどスッとした鼻筋、薄すぎない唇を見ると、いつもオフィスよりもニュース番組のスタジオが似合うと思っていた。


平均より少し小柄な彼女は、肩に掛かるくらいで軽くウェーブが掛かった髪を、仕事の時は軽くまとめていることが多い。雰囲気こそ柔らかいけれど、真剣に仕事に向き合う気持ちを感じる身なりは、そばにいるといつまでも見つめてしまいそうだった。


彼女のことを見ていると、なんでアイドル並みの美貌を持つ女子が、普通の企業に就職してオフィスで働いているのか不思議になるほど。そんな彼女だから、平凡なサラリーマンの僕が釣り合うわけがない。


もちろん、彼女に告白する気も一切ない。だって、明らかに高嶺の花だから。


学生のときにミスコンを取ったと聞いたこともある。うっかり詳しく知ると、余計に尻込みしてしまい、話すことすらできなくなっちゃいそうなので、本人に聞いたことはないけれど。


同じオフィスにいることができ、仕事で少しでも話すことができれば、それで良い。だから、彼女と会うときはいつも、けなげな下心を押さえ込むまでもなく、これまでもっぱらまじめに仕事の話ばかりしてきた。


営業部で販促担当の僕は、事業部長付きのマーケティングチームの彼女と仕事で一緒になることがちょくちょくある。だから、仕事に関することは、お互いに遠慮なく話すし、時には熱く議論することもある。


だから、少なくともお互いに良い仕事仲間だと思っていることには自信がある。


こんな感じに彼女と仕事の上での距離が近づいたのは、3年ほど前のことがきっかけだった。


とあるリサーチ会社に僕と彼女で打合せに行った時の話。マーケチームが、ウチの会社では前例がないデータが必要だというので、販促チームがよく使っているリサーチ会社を紹介して、最初の打合せには僕も同席したのだ。


打合せの場で、彼女が欲しいデータを説明すると、リサーチ会社の担当者が眉をひそめた。というのも調査項目の設計が複雑で、必要なデータ量を集めることが難しいからだった。普通にやったら予算も期間も結構かかる。でも、まだまだ入社2年目の彼女には、そこまでの経費を使う裁量はなかった。


そこで、学生時代に社会学系のゼミで、アンケート調査の統計処理を勉強していた僕が、複数のパネルと調査を組み合わせて、少ないデータ量で有意な分析結果を導く方法を提案した。それには彼女もリサーチ会社の担当者も、ひどく感心していた。


その時から、彼女は僕のことを「仕事で頼りになるヤツ」と思ってくれたようで、何かと僕に話し掛けてくることが増えた。もちろん、リサーチの設計とか、既存の調査データのうまい探し方とか、統計処理についての質問とか、もっぱら仕事関係のことが中心だった。


たまに今日のネクタイがカワイイですね(元カノから就職祝いにもらったダックスフントの小さな刺しゅうがいくつもされているヤツ)とか、自宅から見える公園の木々が色付いてきたとか、何気ない雑談も増えていった。


あと、午前中に一緒の会議に出たり、午後イチから打合せをするという時は、一緒にランチに行くようにもなった。もちろん二人きりじゃなくて、他の同僚も一緒だったけど。そうやって、少しずつだけど距離が変化していくのがうれしかった。


ただ、これ以上、その距離を縮めようとは思っていなかった。恋愛が怖いというわけじゃない。学生時代には彼女がいたこともある。トラウマになるような恋愛経験があるわけでもない。


ただ、プライベートでも、仕事でも、必要以上に頑張りたくないだけ。だって、彼女みたいな高嶺の花を手に入れるには、一朝一夕の頑張りで済むわけがないんだもの。


だから、このくらいの距離感でちょうど良い。見目麗しい彼女とほどほどに仕事で絡む。あくまで仕事上のつながり。それ以上を求めるのは分不相応だと自分を納得させていた。


朝、出社して彼女のデスクのそばを通るとき、「おはようございます」と挨拶すると、彼女もこっちを見て「おはようございます」といつも返してくれる。どちらかが出先に直行でもないかぎり、彼女との朝の挨拶は欠かしたことはない。


それだけが、僕の小さな幸せだった。









――――――――――――――――――――――






はじめまして。これが初めて書いた小説です。


全部で10話前後、2万字ほどの作品になる予定です。


社会人ラブコメが大好物なんですが、作品数があまり多くないので、とうとう自分で書き出してしまいました。

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