クールなヒロインの声が、関西弁のオッサン声で再生される件

@tatananakaka

クールなヒロインの声が、関西弁のオッサン声で再生される件


 俺の名前は橘悠太。どこにでもいる平凡な高校二年生だ。

 だが、俺には誰にも言えない秘密がある。

 それは——触れた相手の心の声が、なぜか頭の中で関西弁のオッサン声で再生されるという、迷惑極まりない特殊能力だ。


 持続時間は約五分。声の主は間違いなく相手の本心なのだが、声色がどうしても、深夜の居酒屋で愚痴をこぼす疲れた中年男性になる。

 この能力のせいで、俺は他人との接触を極力避けて生きてきた。


 ——そんな俺の人生が変わったのは、図書委員になったことがきっかけだった。


 図書委員長は氷室怜。クールで容姿端麗、成績優秀、完璧なポーカーフェイスを崩さない、学園の孤高の美少女。

 彼女の周囲だけ、室温が二度ほど低い気がする。

 そんな彼女に、俺は一瞬で心を奪われた。


「橘くん。今日は新着本の整理をお願いします。貸出カウンターは、私が対応しますので」


 澄んだ声が、図書室の静寂に溶け込む。完璧だ。

 彼女の心の声も、きっと高貴な天使のようなものに違いない。

 そう思っていた——その瞬間までは。


「橘くん。そこの棚の配列が間違っています。文学作品は五十音順、エッセイは発行年順です」

「あ、すみません!」


 慌てて訂正しようとした瞬間、俺の指先が彼女の指に触れてしまった。

 ドンッ!!

 頭の中で、突然ダミ声の関西弁が炸裂した。


『なんやコイツ、ワシの指に触れとるんか? キショイわホンマ。さっさと離れろや。静かに本読ませろっちゅうねん』


「……っ!!」


 俺は顔を真っ青にして飛び退いた。


(嘘だろ!? この声が、氷室委員長の本心!? ギャップが酷すぎる!)


 怜は訝しげに俺を見た。


「どうしましたか、橘くん?そんなに顔色が悪くては、業務に支障が出ます」


『アホか。今日の昼飯、焼きそばパン一つだけやったんや。腹減りすぎて、もう限界やっちゅうねん。はよ終わらんかい』


(昼飯が焼きそばパン一つだけ!? っていうか、なんで関西弁なんだ!)


 俺の初恋は、開始五秒で、関西弁のオッサン声によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

 それから数日、俺は氷室委員長との接触を必死で避けた。

 だが、図書委員の活動は共同作業が多く、限界がある。

 貸出カウンターでの当番中、怜が話しかけてきた。


「橘くん。そこの返却本、バーコードが読み取れません。確認してください」

「はい!」


 俺は、指先が触れないように手袋を二重にはめて本を受け取る。

 だが、背を向けた瞬間に肘がぶつかってしまった。


『アホちゃうか!また触れたやないか!ワシは今日、朝からずっとポーカーフェイス保っとんねんぞ!もう疲れたんや、はよ帰ってゲームしたいわ、ホンマ』


(ゲーム!? あの完璧な氷室委員長が!?)


 俺は、頭の中で響くオッサン声の「ゲームしたいわ」という切実な願いに、思わず肩を震わせた。


「橘くん?なぜ笑いを堪えているんですか?」

「ち、違います! その、最近咳がひどくて! ゴホゴホ!」


『咳ちゃうやろ、絶対笑っとるやろコイツ! ワシの心の声を盗み聞きしとるんか? 腹立つわぁ!』


(いや、仕方がないでしょ! あなたの心の声が面白すぎるんだから!)


 なんとか誤魔化しながら業務に戻るが、オッサン声の愚痴は止まらない。


『あー、このカウンターの隅のホコリ、気になるんや。ワシが掃除したろか。……いやアカン、完璧なワシが生身で掃除はアカン。誰かやれや』


 怜は涼しい顔で貸し出し手続きを続けている。

 だが、俺の頭の中では「掃除せぇや」と絶叫していた。


「掃除、します!」


 俺は思わず宣言し、カウンターの隅をピカピカに磨き始めた。


「急に、どうしたんですか。別に指示していませんが」


『お、コイツ、ワシの心の声、読めたんちゃうか? ナイスや、橘! これでワシは手を汚さんで済むわ!』


 俺の必死の隠蔽行動は、怜には「落ち着きがなく、勝手に掃除を始める変な人」という誤解を生むだけだった。


 ある日、図書委員会は大きな問題に直面した。

 新年度の予算が大幅に削減され、予定していた新刊の購入が危うくなったのだ。


 怜は一人で問題を抱え込み、疲労の色を隠しきれない。

 委員長室で資料整理をしていた俺は、彼女がコーヒーを淹れようと立ち上がった瞬間、腕に触れてしまった。


『あー、もうアカンわ。この資料、いくら計算しても赤字や。ワシが必死で集めた新刊リストも、全部パーやないかい』

『誰にも頼れんのが辛いんや。委員長やからって、一人で全部やらなあかんのちゃうぞ。……でも、ワシがアホなだけや。もう、どうしたらええねん。しんどいんじゃ』


 その日のオッサン声は、いつもの愚痴とは違っていた。

 孤独と重圧、そして諦めのようなものが滲んでいた。


「氷室委員長……。コーヒー、私が淹れましょうか」

「結構です。橘くんは、業務を続けてください」


『コイツ、ワシの顔色見て気ぃ遣っとるんか? ええ奴やな。でもアカン。コイツにまで心配かけたら、ワシの威厳がなくなるやないかい』


(威厳なんてどうでもいいでしょ? 俺に、助けを求めて下さいよ!)

 

 俺は、怜の心の声をヒントに、古本の売却益で予算を補う案を提案した。


「委員長。古本の売却益を使えば、新刊の予算を補えるのでは?」


 怜は驚き、初めて表情を動かした。


「……古本。確かに、一部売却しても問題ないかもしれません。橘くん、なぜこのことを?」

「その、僕、古本屋でバイトしてたんで、匂いでわかります!」


『なんやこのアホな言い訳! ワシの独り言を盗み聞きしとったやろ、絶対! ……でも、この案は最高や。ありがとうな、橘』


 怜の顔に、わずかだが安堵の表情が浮かんだ。

 古本売却と外部資金の調整に奔走した結果、図書室の予算問題は無事解決した。

 新刊が並んだ日、怜は心なしか機嫌が良さそうだった。


「委員長。これで、新刊も無事に並べられましたね」

「はい。橘くんには、本当に感謝しています。もしあなたが古本屋でバイトしていなかったら、この問題は解決しなかったでしょう」


『古本屋バイトなんて、嘘やろ。ワシの心を読んだんやろ? 素直に言えや。でも、ようやったな、橘』


「委員長……」


俺は、彼女の不器用で熱い本音に惹かれていることを自覚した。


「あの……委員長。図書委員の活動、楽しかったです。これからも、一緒に……」


 言葉に詰まった俺に、怜は不意に手を伸ばし、俺の手に触れた。


「橘くん。今日は、あなたに感謝の気持ちを伝えたかったんです」


 ドォォォォォン!!

 最大級のボリュームで、オッサン声が炸裂した。


『アカン! ワシから触れてしまったわ! どうすんねん! 心臓がバクバクやないか、ホンマ! ワシはコイツのこと……好きや。けど、ここからどうすればええんや!? 告白? 告白すればええんか!?  って、告白ぅぅぅぅ!?』


「……っ!!」 


 俺は吹き出してしまった。


「橘くん? なぜ笑うんですか」

「ち、違います! その、急に昨日のお笑いを思い出しちゃって」


『アホか! 笑うな! マジで、どないすればええんや!? こんな状況で、告白って……!』


 俺は覚悟を決めた。


「氷室委員長! 俺は、あなたが好きです!」


 怜は顔を真っ赤にして俯いた。


「……ば、馬鹿ですか、橘くん。そんな唐突に……」


『ウチが告白する前に、橘が告白した!? ヤバい! もうアカン、嬉しすぎて腹筋が崩壊や! クールにしとけよ、ワシ!』


「でも……その熱意は……認めます」


 俺の頭の中では、オッサン声が嬉し泣きしているのが分かった。

 こうして、クールなヒロインの本音=関西弁のオッサン声という、極めてコミカルなツッコミと共に、俺たちの恋は始まった。


 そして俺は誓った。

 この先、一生、氷室怜の心の声にツッコミを入れ続けるだろうと。

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