第5話 見下ろす勇者の嘲笑と、容量不足の絶望「あーあ、ゴミ掃除完了ってな」

ゴォォォォォォッ!!


 耳をつんざく風切り音。

 重力が内臓を押し上げ、視界が激しく回転する。


 奈落への落下。

 本来なら、数秒で意識を失うほどの加速Gだ。

 だが、俺の意識は皮肉にも鮮明だった。


 遥か頭上。

 豆粒のように小さくなった崖の縁から、強烈な光が膨れ上がっているのが見えた。


「――っ!?」


 あれは……アレクの聖剣の輝きだ。

 エリスの爆裂魔法で足場を崩すだけでは飽き足らず、確実に俺の命を刈り取るつもりか。


「死ねェェェエッ!! 聖光極大斬(セイクリッド・ブラスター)!!」


 アレクの狂ったような絶叫が、風に乗って鼓膜を叩く。

 直後、断崖の上から、太陽を凝縮したような極太の光線が放たれた。


 速い。

 落下する俺の速度を遥かに上回るスピードで、破滅の光が迫ってくる。


 熱い。

 まだ直撃していないのに、肌がチリチリと焼け焦げるような熱波を感じる。


(……死ぬ)


 本能が警鐘を鳴らす。

 あれを食らえば、骨も残らない。

 塵になって消滅だ。


 だが――。

 俺の奥底で、ドス黒い何かが叫んだ。


『死んでたまるか』

『あんなクズどもに殺されてたまるか』

『生き残って、必ず……!』


 俺は空中で体勢を捻り、迫り来る光の奔流に向かって右手を突き出した。


「……収納(ストア)ァッ!!」


 喉が裂けそうなほど叫び、スキルを発動させる。

 狙いは、アレクの放った魔法そのもの。


 本来、実体のないエネルギー塊を収納するのは至難の業だ。

 だが、今の俺には迷いなんてない。

 生きるためなら、光だろうが熱だろうが、全部俺の倉庫に詰め込んでやる。


 ブゥゥンッ!


 俺の掌の前に、歪んだ空間のゲートが開く。

 光の奔流が、そこへ吸い込まれようとした。


(いける……! このまま全エネルギーを亜空間へ隔離すれば……!)


 希望が見えた、その瞬間。


 ピピピッ! ピピピッ!


 脳内に、無機質で冷酷なアラート音が鳴り響いた。


『警告:対象のエネルギー量が規定値を大幅に超過』

『警告:ストレージ空き容量不足(Capacity Full)。これ以上の収納は不可能です』


「……は?」


 俺の思考が凍りつく。

 容量、不足……?


 バカな。

 俺のストレージは、家一軒分くらいの物資なら余裕で入るはずだ。

 なんで……。


 ――あ。


 走馬灯のように、今朝の記憶が蘇る。


『おいレント、予備のテントもう三張り追加な!』

『私の着替えと美容セット、揺れないようにクッション材多めで入れておいてよね』

『水樽五十個、安い時に買いだめしておいたから頼むよ』


 そうだ。

 こいつらの荷物だ。

 アレクたちの快適な旅のために、エリスのワガママのために、ガイルのセコい節約のために。

 俺の亜空間倉庫は、あいつらのガラクタでパンパンに埋め尽くされていたんだ。


『エラー:これ以上の書き込みを実行できません。収納プロセスを強制終了します』


 プツン。

 俺の目の前で展開していた空間ゲートが、無情にも消失した。


「あ……ああぁ……」


 絶望。

 これ以上の皮肉があるだろうか。

 俺が必死に管理し、大切に守ってきた「仲間のための荷物」が。

 今、俺自身の命を守るためのスペースを奪い、俺を殺そうとしている。


「ふざけるな……ふざけるなぁぁぁぁッ!!」


 俺の叫びは、閃光にかき消された。


 ドォォォォォォォォォンッ!!


 光が、俺を飲み込んだ。


「グァァァァァァァァァッ!!!」


 焼ける。

 皮膚が弾け、肉が焦げる。

 内臓が沸騰するような激痛が全身を駆け巡る。


 本来なら即死級の直撃だったはずだ。

 だが、一瞬だけ展開した『収納』がわずかに威力を削いでいたのか、あるいは俺の執念か。

 俺の体は消滅を免れ、火だるまのまま、さらなる深淵へと叩き落とされた。


 意識が白い闇に溶けていく。

 その中で、遠く、遠くから。

 勝ち誇ったような声が降ってきた。


『ギャハハハハ! 見たかエリス! 俺の魔法で消し炭だ!』

『さすがアレク! やっぱりあなたの聖なる力は最強ね!』

『あーあ、あんなに燃えちゃって。装備品、ちゃんと回収しておけばよかったかな?』

『いいってことよ! これでスッキリした! あ~、せいせいしたぜ!』


 楽しそうな笑い声。

 まるで害虫駆除でも終えたかのような、清々しい口調。


 痛い。

 悔しい。

 憎い。


 俺の人生は、あいつらにとってゴミ処理の手間でしかなかったのか。

 俺が捧げた時間は、情熱は、信頼は。

 全部、全部、全部……!


(……許さない)


 焼けた喉で、音にならない呪詛を吐く。


(アレク……エリス……ガイル……)


 意識が途切れかけるたびに、激痛が俺を引き戻す。

 落下はまだ続く。

 ここは奈落。底なしの地獄。


 ヒュォォォ……。


 風の音が変わった。

 湿った、腐敗臭のする空気が肌にまとわりつく。


 ドサッ……バシャァァァン!!


 強烈な衝撃。

 水だ。

 地底湖か何かに落ちたらしい。


 冷たい水が、焼けた肌を刺す。

 全身の骨が砕ける音が、体内を伝わって響いた。


 ブクブクと沈んでいく視界の中、水面越しに見える遥か上空の光――ダンジョンの入り口が、針の穴のように小さく、そして完全に閉ざされたように見えた。


 ……これで、終わりか。

 誰にも知られず、こんな暗い水の底で、泥のように死ぬのか。


 いやだ。

 死にたくない。

 あいつらを生かしたまま、俺だけが死ぬなんて。


『――エラー、エラー。生体反応、微弱。生命維持活動、停止寸前』


 脳内のシステム音が、壊れたレコードのように繰り返す。


『修復リソース……不足。ポーション……在庫なし。マナ残量……ゼロ』


 もう、打つ手はない。

 指一本動かせない。

 ただ、憎悪の炎だけが、心臓の代わりドクドクと脈打っている。


 俺は、お前たちを絶対に許さない。

 化けて出てやる。

 地獄の底から這い上がってでも、必ず……!


 その時だった。


 ズズズズズ……。


 水底の砂が震えた。

 いや、地底湖全体が、巨大な何かの鼓動に共鳴して振動している。


 俺の体が、水流に押し流され、岸辺へと打ち上げられる。

 泥水を吐き出しながら、霞む目で闇の奥を見つめた。


 そこに、いた。


 闇よりも深く、絶望よりも重い、圧倒的な『死』の気配。

 二つの巨大な金色の瞳が、暗闇の中でギロリと開き、瀕死の俺を見下ろしている。


「……グルルゥゥ……」


 喉の奥から響く唸り声だけで、周囲の空気が凍りつく。

 S級ダンジョン『奈落の顎』。その最深部に封印されし禁忌の存在。


 ――S級指定災害魔物『アビス・ドラゴン』。


 人間ごときが遭遇すれば、その瞬間に死が確定する絶対強者。

 その巨体が、ゆっくりと俺に向かって顎を開いた。


 終わった。

 勇者に殺され損ねて、今度は魔物の餌か。


(……ふざけるな)


 俺は、砕けた歯を食いしばり、血反吐とともに叫ぼうとした。


 食ってたまるか。

 俺の命は、俺の魂は、復讐のためにあるんだ。

 お前ごときの胃袋に収まってたまるかよ……!


 ドラゴンの口内に、漆黒の炎が灯る。

 全てを無に帰す破壊のブレス。


 死の恐怖が極限に達したその瞬間。

 俺の脳内で、焼き切れるようなノイズと共に、これまで聞いたことのないシステム音声が響き渡った。


『警告:感情値(ヘイト)が規定値を突破』

『条件クリア。ユニークスキル『異空間収納(アイテムボックス)』の覚醒プログラムを起動します』

『……アップデートを開始しますか?』


 俺は、掠れた声で、最後の力を振り絞って答えた。


「……やる……!」


 お前ら全員、収納(く)ってやる。


 世界が、反転する。

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