第二章「サキモリの亡霊」

「ひとまずはこんなところで良いかな……もし足りなくなるようなことがあったらまた採りに来たら良いだろうし」

「おつかれさま、お茶を持ってきてるわ」


 ひととおり必要量の収穫を終えるとバウムはリンデの車いすを停めておいたところの近く、大きめの石に腰かけて休憩する。

 今日の収穫地となった茶店からもさほど遠くない林道の脇の雑木林は、青々とした木々をはじめとして

 四季折々の草花やキノコが見られる自然豊かな林である。バウムたちも度々世話になっている収穫スポットだ。

 収穫を始めた時点で既に夕方に掛かっていたこともあり、終わるころには日が暮れかかっていた。

 リンデはバウムから野生のラメドマリーの束が幾つか入ったカゴを受け取ると代わりに金属製の水筒を渡す。

 水筒のハーブティはハッカを多めにして氷できりっと冷やしたものだ。

 リンデがブレンドしたものなので風味の良さは当然のこと、今日のような暑い日に外で飲むととてもすっきりして格別である。

 茶店の人気商品かつバウムが庭いじりをする時の相棒なので茶店には常にそこそこの量この茶葉がストックされている。

 お茶の水筒を口にしたバウムはふと空を見上げる。

 すがすがしいほどの快晴だ、この辺りは都会の喧騒もなければ大規模な工場なんてものもない。

 周りから聞こえるのは木々の葉がこすれ合う乾いた音と、時折聞こえる鳥なんかの野生動物の鳴き声くらいだ。

 都市の方に向かうのだろうか、視界遠くを点にしか見えない飛行機が横切っていく。

 バウムも実物を見たことはないが輝水エンジンを採用する以前の燃料で飛ぶ飛行機は飛んだ後に「飛行機雲」と呼ばれる線状の雲を作るものがあるらしい。

 飛行機という決して広くない密室で逃げ場のない空の上を一歩間違えれば爆発するかもしれない化石燃料と共に過ごすなんて昔の人間はスリリングというか、狂人的な発想を持っていたんだなあ……まるでどっかの運送屋の少女みたいだ。


 ぼうっと虚空を見つめてそんなことを考えていたバウムの視界を何かがひらひらと横切っていく。

 見ると指先位の小さな蝶がリンデの膝に乗せられたカゴへ飛んでいき、その端で羽を休める。

 注視するまで気付かなかったがカゴに2匹ほど蝶がとまっていた。

 カゴのラメドマリーに寄せられたのだろう。リンデも何気なくその蝶たちに視線を落としていた。


 車いすを使っていることからもわかる通り、リンデは足が不自由だ。

 バウムと会った時には既に車いすを使用していた彼女だが、本人曰く幼少期は歩いたり走ったりできていたそうだ。

 しかしある時を境に「感覚はあるが力が入らず、思うように動かせない」状態になってしまったと本人が言っていた。

 厄介なのは医者に見せても原因がわからなかった点だ。

 他に悪いところもなければ、肝心の足も見た限りいたって健康だったらしい。

 リンデ自身やリンデの家族も諦めずに、治す方法や少しでも動かせる方法を探ているがもう十数年、進歩らしい進歩は見えていない。


 そんな常人なら気が滅入ってしまいそうな状況だが彼女は努めて明るく過ごしている。

 それはもう、一緒に過ごしているバウムが付いていけないほどに。

 彼女自身が元来明るい性格の持ち主である、おまけに天然というかどこか能天気な部分がある事も否定はできない。

 しかし馬鹿ではない。それなりに長い期間生活を共にしてバウムもそこは理解している。

 彼女は結構思慮深いというか、実は色々考えこんでしまうタイプなのだ。

 ならば猶更自身のおかれた境遇、人が人なら神を呪って塞ぎ込んでももおかしくないようなこの状況。

 その心の内をバウムはまだはっきりと彼女から直接聞いたことがない。

 彼女は一体、何を想って日々を過ごしているのだろうか……。


 バウム自身が明るい性格ではないことも相まって自分との大きな差異からくる非現実味か。

 それとも単に白い肌と白みの強い金髪の見た目からくる印象か。

 バウムはしばしばリンデのイメージが空想上の天使のイメージと重なって感じることがある。

 穏やかで親しみ深い印象の一方、どこか現実離れした自分とは遠くかけ離れた存在のような感覚。

 現に今も籠にとまる蝶々を見る目はとても穏やかだ。しかしふわふわと浮遊するようで思考を読み取ることができない。

 籠を抱えるように支えていたリンデの細くて綺麗な指が籠の中に入り、ラメドマリーの束に触れても蝶々が飛び去らないほどに穏やかな雰囲気だ。

 そんな刹那であった。


 「見て見て、つかまえたわ!」

 

 蝶々のうち一匹がリンデの人差し指と親指に挟まれてしまった。大慌てで藻掻く指先の蝶と仲間が囚われて逃げ出す他の蝶たち。

 ああもうやっぱり何考えてるかわからないよこの子。

 哀れ、恐れるべきを恐れなかった注意力のない虫けらは天使の皮をかぶった恐怖の大王に捕らえられてしまったのである。

 無情かな。

 あっけにとられたバウムは危うく水筒を取り落としそうになっていた。そんな彼にリンデは誇らしそうに指先の蝶々を見せつける。なんでそんなに自慢げかな。

 

「可哀そうだから放してあげなさい。」

「そうね、バイバイ」


 誇らしげだった割にはあっさり放して飛び去る蝶に手を振るリンデ。

 天使じゃなくて無邪気なだけなのかも。

 楽しそうな彼女を今度は苦笑交じりに眺めていたバウム。そろそろ茶店に戻ろうと片づけをして車いすの後ろについたときである。

 リンデの様子がおかしいことに気づいた。

 バウムのほうでもなく。手元の籠でもなく。帰り道の茶店の方角でもなければましてや先ほどの蝶々が飛んで行った方向でもない。

 先には森が拡がっている暗闇のほうを見つめている。

 違和感を感じたバウムは車いすの正面、リンデに向かい合うようにしゃがんで話しかける


「リンデ、どうかしたのか?」

「……」


 向かい合ってもこちらに目を向けない彼女は相変わらず森の一点を見つめており、その視線は先ほどまでの穏やかなものではなかった。どこか真剣なようであり、また何かに怯えているかのように微かに震えた視線を暗闇に向けている。

 数秒後、話しかけていたことに気づいた様子のリンデがバウムに視線を戻し。


「ごめんなさい、ちょっとぼうっとしていたわ。」


 咄嗟にごまかそうと笑顔を作って見せた。彼女がこういう顔をする時はまず何もないことはない。

 少し真剣な表情で問い返すバウムに、先ほど見つめていた暗闇を指さして。


「なにか、おおきくて恐いものがあっちから来そうな感じ?こう……うまく言葉にできないんだけど気配?雰囲気?そんなものを感じた気がして。」


 立ち上がって彼女の指さすほうを見る。日が暮れかかっている森は先が見通せないほどに暗闇だ。


「えっと、気のせいだと思うの。遅くなっちゃったし帰りましょう?」


 そう続けるリンデ。声色は明るく振舞っているが、彼女は落ち着いたわけでもないらしい。

 その証拠に、「帰りましょう」と口で言っている割に視線は先ほどの森の奥から離さず。暗闇を指す指も降ろされていない。

 寧ろ悪化している。視線だけではなく指す指先が細かく震え始めている。まだ上着がないと肌寒い気温の中、額に冷や汗が伝い落ちているのが見えた。

 暗闇を見つめる目が徐々に潤いを帯び始める。

 気が付くと籠を支えていたもう片方の手がバウムの袖をぎゅっと握りしめ、細かく震えている。

 尚も暗闇を指す指は降ろされない。

 降ろされるどころか、小刻みに震えながら、少しずつ上へとずれていく。

 上へ、上へ。彼女の視線と一緒に、木々の生い茂る暗闇から、風で擦れる木の葉の方へと。


 上?


 灰色の空。軽く見上げると思わず目をつむりたくなるような向かい風が顔に当たった。

 向かい風。先ほどまでは無風だったはずだ。

 なのに今は木の葉が音を立てて主張するほどに向かい風が吹いている。

 彼女が指さす方角から。

 その時、バウムはふと昼間聞いた噂を思いだしていた。

 防人の亡霊。

 

 背筋に冷たいものが走る感覚。


「リンデ!」


 瞬間、バウムはリンデを背負い、地面を蹴った。

 籠を抱えて車いすを押して、なんて悠長なことは言っていられない。

 今はとにかく、町の方でも茶店の方でもなく、「向かい風」が追い風になる方角へ。

 風が吹いてくる方向の逆へ。

 見えたわけではない。しかし目で見えるより明確に感じる、肌をびりびりと細かく刺すような威圧感。

 何か、巨大な何かが、自分たち目がけて飛んできている!

 森の中、一心不乱に走るバウムには振り返る余裕はない。

 しかし気のせいと思いたかった悪寒と気配を裏付けるように風は強くなる。

 かなり後方の頭上からは、枝が折れ木の葉が舞い上がる乾いた音が聞こえた。

 すなわち「巨大な何か」が木々の先を掠める音だ、相手はかなり地面付近まで降下している。

 そしてその時は急に訪れた。

 ズドォォォン!と走る彼らのすぐ背後、10メートルほど離れたあたりから鳴り響く落雷のような爆音と木々がなぎ倒されるバキバキという音。

 天然の地震のそれとはまた違う独特な振動に危うく転びかける。

 そして一心不乱に走り続けてもなお足の裏に直に感じる、背後から彼らを追いかけるように地面が隆起する感触。

 直接見てはいないものの、それらの感触から「大質量の何か」が背後に降ってきたことは明らかだ。

 幸い木々が邪魔をしてくれているおかげか爆音の主は彼らに届くまでには至っていない。

 だが一歩でも足を止めたら最後、背後のそれは届いてしまいそうだ。

 理由は明白。木々のなぎ倒される音が未だに背後から近づいてくるからである。

 隕石の類かもしれない、と一瞬頭に過ったがそれは誤りであると嫌でもわからされる状況だ。

 「大質量の何か」は着地してもなお、彼らを追いかけている。


 「バウム、あっちもダメ。左右どっちかに避けないと」


 リンデもすでに気づいていたようだ。

「大質量の何か」は、背後から追ってくる一個体のみではないと。

 まだかなり遠いが彼らの正面からこちらへ向かってくるように背後からの音によく似た木々を薙ぎ倒す音が聞こえる。このままでは鉢合わせだ。

 茶店の方角ではないがやむを得ない。バウムはそれぞれの気配を避けるように少し方向転換をしてさらに森の奥の方へと走る。

 ある程度舗装された道を走ることと、状態があまりよくない土の上を走ることとでは疲労の具合が遥かに変わってくる。さらに今バウムはリンデを背負っている。

 彼自身、走れてあと数分だろうと考えていた。

 それまでになんとか現状の打開策を思いつかなければ。バウムは思考を巡らせる。

 相手がこちらの理解の範疇を超えた何かであることは間違いない。しかし町で聞いた噂通りならば。仮に彼らの標的が自分たちだったとして、すぐには見つけられず数日自ら飛び回って探し回っていたということになる。 

 つまりなにか超常的な方法で居場所を感知しているわけではない。視覚か聴覚か、そのあたりの感覚で標的を探している連中と考えていいだろう。ならば「隠れてやり過ごす」事が可能な筈だ。

 何とか迂回してラメドの街まで逃げ込む?

 いや、視界が開けた街に行くのは得策ではない。木々が視界を遮っているお陰でここまで逃げおおせている可能性がある以上、森から出るのは避けるべきだ。

 同じ理由で茶店に戻るのもダメだ。先ほどの衝撃から考えるに、茶店ごと踏みつぶされて終わりだろう。

 つまり森の中。森から出ずに何とか相手の感覚の範囲外、もしくは相手が追ってこれない何かに隠れなくてはならない。

 奴らは上にいる。なら下……穴だ。

 穴なら心当たりがある、丁度茶店からみてこちらの方角へ採集に出た時だ。

 切り立った崖とその麓に直径1,2mほどの洞穴が開いている光景を見た記憶がある。あれくらい小さな穴なら追って来られることもないだろう。

 採集の帰り道に横目で見た程度だから確証というほどのものではないが記憶が定かならここからそれほど遠くはないはず。

 あまり隠れられそうな場所がない平坦な森ではあるが、幸いそこまで走ることさえできればまだ逃げ切る道があるかもしれない。

 普段からもう少し鍛えておけばよかった、と今更後悔しつつ疲労を感じる両足に鞭打って速度を落とさずに走り続ける。

 そしてバウムの予想通り、永遠に続いているかのように見えた森はあるところで急に途切れる。

 逃げ込める洞穴の空いた切り立った崖、それは確かにあった。

 穴は埋まっていない様子だ。入ることができれば何とかやり過ごすことも可能だろう。


「……しまっ、た!」

 

 ただ、誤算だった。

 彼らは崖の「上」に辿り着いていたのだ。

 前回は茶店の方角から来ていたため気づかなかったが、茶店からラメドの街までは緩やかな坂になっている。

 茶店とこの森には高低差があるのだ。

 茶店から向かうと麓に辿り着く崖は、森側から向かうと崖の上に辿り着いてしまう、何故それに気づけなかった……!

 高さ10数メートルの切り立った崖を無傷で飛び降りることは生身の彼らには不可能、更に滑らかな崖肌は掴みながら降りることも不可能に見える、今の様に急ぐなら猶更だ。

 命を繋ぐと思われた崖の洞穴は、今絶対的な「行き止まり」として彼らの前に立ちはだかる。崖を前に、愕然として足を止めるバウム。

 冷静さを欠いていた、少し考えればわかったことだろう。

 背後からは件の追い風に併せて重機の駆動音のような、または低い唸り声のような気味の悪い音が混ざって聞こえる。

 確実にそこに何かがいることを示唆していた。

 バウムは背中のリンデを庇うように振り返る。気の所為であってほしかったが……確かにそれはいた。

 彼らの十数メートル後ろ。もはや逃げ場のない彼らを急いで追う必要もないと判断したのか静止している。


 そこで神のような何かが彼らを見下ろしていた。


 ヘリコプターの離陸直前に似た強風を放ちながら地面から数メートル上を浮上するそれは。

 10メートル弱ほどの巨人のようなセイクラムのような何かだった。

 全身を銀色の装甲で覆い、大きさこそセイクラムに似通っているものの人間の様に一対ずつの手足がある。

 背中からは一対の平たい装甲板が生えていて皮肉にもどこか天使の羽根の様に見えた。

 無機質な出で立ちはセイクラムのようでも生物のようでもない。どこか神々しくもある姿だが、殺意によく似ているびりびりしたプレッシャーを放ち続けている。

 わかる。先ほどの悪寒の原因は間違いなくこれだ。

 後ずさったバウムの踵が崖の端に辿り着いてしまった。もうこれ以上後退できない。

 その様子を見た眼前の銀色の巨人が片腕を持ち上げる。

 セイクラムにしては珍しいマニピュレータというよりは人間のものに近い5本の指がついており開いた掌が今まさに二人を掴まんと近づいてきた。

 逃げないと迫りくる銀色の掌に捕まる、しかし前にも後ろにも逃げ場はない。相手はやろうとすれば自分たちを握りつぶすことも不可能ではないだろう。

 バウムが一瞬後ろに視線を向ける。自分が庇えばリンデだけでも生き残れるだろうか。

 足の不自由なリンデを一人残すのはかなり不安だが、崖の下に件の洞穴がある。

 このまま握りつぶされるくらいなら……!

 意を決したバウムが崖に飛び込――――


 ――――もうとした、その時。

 ズガァン!と大質量の物体同士が衝突した時に放つ独特な爆音を響かせながら銀色の巨人が横っ飛びに吹っ飛ぶ。

 突如森の暗闇から飛んできた「何か」が銀色の巨人に凄まじい勢いで突っ込んで自分諸共吹っ飛ばしたようだ。

 それらはバウム達の眼前の木々をなぎ倒し、激しい土ぼこりを舞い上げる。

 すんでのところで崖から飛び降りずに済んだバウムは突然の惨劇にあっけにとられつつ、はっとしてリンデを即座に正面へ抱き直し、森側に背を向けて降り注ぐ砂や小石から守る。

 やがて土ぼこりの目くらましがが晴れていき、惨劇の全貌が露になる。

 暗闇だからわかりづらいものの先ほどまで森に生い茂っていた木々はまるで土砂崩れが起こった後のように軒並み薙ぎ倒され、ひどい有様になっていた。

 森の真ん中にも拘らず急に更地ができたような状態だ。

 そんな中かなり遠くへ転がりながら吹っ飛んだらしい銀色の巨人は、数秒その場に蹲っていたが直ぐに立ち上がり、今度はバウムたちではなく自身に突っ込んできた「何か」に注意を向けている様子だ。

 そして土ぼこりが晴れていくと同時にのその「何か」の姿も明らかになる。

 相手と同じく数秒その場に蹲っていたが、重く響く音を立てながら地面に足を突き、立ち上がって銀色の巨人に向き直る。

 その「何か」もまた銀色の巨人の様に一対ずつの手足を持っている彼らには見覚えのない機体だった。

 バウム達が銀色の巨人から逃げている最中に正面から感じた気配はおそらくそれによるものだろう。その時点では別個体の銀色の巨人がもう一体襲撃に来たものだと思っていたが一連の様子を見るとその二体は少なくとも友好的ではない様子だ。

 銀色の巨人が不自然なほど光沢がある銀色の装甲をまとっていることに対し、「何か」は月明りの中でも元の装甲の色がはっきりわからないほどに汚れが目立ち、装甲にもところどころヒビや欠けが見える。また汚れや傷を抜きにしても装甲の外形がそれぞれ大きくかけ離れていた。銀色の巨人はどこか近未来的で情報量の少ないフォルムをしている。それに対して汚れた巨人はかなり情報量が多く複雑な造形をしており装飾のような彫刻も見える、受け取り方によっては未来的ともアンティーク調ともとれる形状だ。

 そして何よりその行動から二体の巨人の目的は異なっていると想像できる。

 銀色の巨人は明らかにバウム達の捕獲、もしくは殺害を目的とした行動を取っているように見られた。先ほど彼らを明確に追い回していたこと、崖際で手を伸ばしてきたことがそのわけだ。

 それに対し、汚れた巨人は銀色の巨人を吹っ飛ばして以降バウム達を気に掛けるような仕草を見せていない。今現在後方に大きく飛ばされた銀色の巨人よりもその場で転がった汚れた巨人の方が崖際の彼らに近いにも関わらず彼らに背を向け、体制を立て直した銀色の巨人の方をまっすぐ向いている。その仕草はまるで銀色の巨人を警戒して睨みつけているようだ。

 汚れた巨人はバウム達の味方なのだろうか?いや、そう考えるにはまだ早計だろう。

 しかし今のところ、銀色の巨人はバウム達が目的で、汚れた巨人は銀色の巨人が目的と考えてもよさそうだ。

 そうなれば逃げるなら今しかない。バウムは再びリンデを背負い直すと、二体の巨人から目を離さないようにしつつ崖際から離れて距離を取ろうと移動を始める。さっきの騒動のおかげで肝は冷えたが少しばかり足は回復したらしい。死ぬ気で走ればどこかしらには逃げられそうだぞ……!

 そう思ったバウムに気づいてか否か。先ほどまで汚れた巨人と睨み合っていた銀色の巨人が明確に距離を詰めてきた。

 汚れた巨人側ではなく、崖沿いに逃げる彼ら目掛けて。低い位置で腕を前に掲げ再び彼らを掴もうとしている様だ。

 しかしその行動もまた、汚れた巨人によって阻止される。

 銀色の巨人がこちらに飛びかかるほぼ同時に地面を蹴った汚れた巨人が延ばされた銀色の巨人の腕を上に蹴り上げる。

 大きく姿勢を崩して突撃を中断した銀色の巨人は、しかし即座に耐性を立て直し数歩分汚れた巨人と距離をとる。

 引き続き二体から視線を逸らさないようにしつつ崖と二体から離れていくバウム。

 まだだ、視線を外して走るのはあの巨人達がこちらに即座に届く範囲から離れた後。

 それまでは一挙手一投足に神経を尖らせ続けろ…!

 そうして眼前の二体、特に銀色の巨人がこちらに再び飛び掛かるような動作をしないか睨み続けるバウムだったが

 当の銀色の巨人は背中に生えている羽根のような装甲板の一部を取り外し、まるでロングソードのような形状のそれをそのまま剣を構えるように汚れた巨人へ向ける。

 明らかに臨戦態勢ととれるその様子はバウム達より先に汚れた巨人を対処する判断を取ったように見えた。

 それ剣だったのかよ、と言いたいところでもあるが……

 対する汚れた巨人も対抗するように腰に差していた武器に手を掛ける。こちらはかなり寸詰まった短めの剣だ。

 しかしそんなことより。セイクラムが剣……?

 彼らは見たところ明らかに交通整備や土木作業用だったり霊樹伐採用のセイクラムではないだろう。

 ならば対サキモリ用の戦闘用セイクラムかセイクラム犯罪対処用の公安セイクラム、それか正規軍の軍用セイクラムと考えるのが妥当だろう。

 対サキモリ用セイクラムなら回転鋸を装備するのが主流だ。軍用や公安なら銃器を装備しているだろう。

 しかし目の前の二機が装備しているのは明らかに「剣」だった。

 記念式典用セイクラムとかだとそういったものを持たせたがる国もなくはないが

 ああいうのは大概ロックフォード重工のセントールを改造して使うのが定番というか一つのマナーとなっている筈だ。

 正規軍の軍用セイクラムとしてバウムが知る限りほとんどの主要国が導入している四脚型セイクラムの「セントール」は、フレーム形状も独特なため今目の前に居る二機がそれを基にして改造されたセイクラムではないことは素人目にも明らかだ。 

 じゃあ目の前に居る二機は本当に何者なんだ……?そしてその摩訶不思議な形状から感じるものとは別のこの「違和感」は何なのだろうか。

 二機を観察しつつ慎重に距離を取るバウム。そんな中、背中側から小さく声が聞こえた。

 

 「……あの子、人間みたいな動きだわ。」


 ふとそう呟いたリンデ、おそらく返事が欲しかったわけではなく、ふと思ったことが口をついて出ただけだろう。

 しかしその一言でバウムはここまでの違和感の正体に気づいた。

 銀色の巨人はどこか現実離れしたと表現するべきか、人間のそれとはかけ離れた超常的な気配や動きが多い。

 それに対して汚れた巨人だ。転倒してから立ち上がる動き、銀色の巨人を蹴り上げる動き、そして今の武器に手を掛ける動き。

 どれも人間の動きに酷似しているのだ。

 時に卓越した技術を持った操縦士が、「セイクラムを手足の様に操る」と表現される。

 それに近いものを感じるが、明確に違う。あの巨人はまるでセイクラム自身が意思を持った人間であるかのような人間臭い動きをしているのだ。

 とても気になるところではあるが……興味で行動している余裕はない。

 今まさに、銀色の巨人が大きく踏み込んで振り下ろす長剣を汚れた巨人の短剣が切り結んで止めている最中だからだ。

 先ほどまでの大質量な機体同士が衝突、転倒する重い衝撃音とは打って変わり、森には金属の塊同士が高速で当たり擦れる、脳が揺れるような音が鳴り響く。

 金属を採掘する際の音にも近いがそれよりも遥かに大きい音だ。リンデも思わず両手で耳を塞いでいる、鼓膜が破れそうとはこのことか。

 二機の戦況は……銀色の巨人がかなり圧している様だ。

 長剣対短剣というリーチの差も大きいのだろう。汚れた巨人は攻勢に出ることが出来ず、受け流すことで手一杯といった様子だ。

 しかし中々決定打が入らない。銀色の巨人は一度距離を取ると、もう片方の腕にも羽から抜いた剣を握る。

 そして再び汚れた巨人に斬りかかり、先ほどから2倍に増えた手数で圧倒しに掛かる。

 それに対抗する汚れた巨人は最初こそ短剣一本で器用に受け流していたものの、お互い読み合いの勝負の中で次第に

 埋めようのない手数とリーチの差から一歩、また一歩と後退する。

 そして遂に。一瞬の隙を見逃さなかった銀色の巨人が下から上へ大きく斬り上げた剣により、手にしていた短剣は自身の後ろへと吹き飛ばされてしまう。

 その後ろへ飛ばされた短剣はおそらく銀色の思惑通り、後退するバウム達の行き先を阻むようにすぐ背後に突き立った。

 直撃しなかったまでは良かったのだが。


 「――っ、しまっ、た!」

 

 そこで終わらなかった。足元にあったはずの地面が、彼の足を崖底へと引きずり込むべく動きだしている。

 彼らのすぐ後ろに降ってきた剣は短剣とはいえセイクラムサイズになっているもの。おそらく乗用車よりも遥かに重量がある代物だ。そしてその短剣が刺さったのは崖際。

 突き刺さった短剣により崖の端から裂けるように地を走った亀裂はバウム達の足元まで届いてしまい……そのままバウム達ごと崖底へ向けて滑落してしまったのだ!

 亀裂は一瞬で彼らの足元を通り越して横っ飛びでは避けきれない位置まで伸びてしまう。

 踏ん張ってその場に留まろうとしたが不可能だ、既に踏ん張るべき地面は崖底へと流れてしまった。

 先程は何とか逃げおおせるかと希望の兆しが垣間見えたと思っていたのに……結局こうするしかないのか!


「離すな!」

「バウム!?」

 

 勢いよく崖から放り出されたバウムは、リンデにそう叫ぶと急速に離れる崖に向けて両手を伸ばす。

 リンデはバウムに言われた通り両腕でできる限り強くバウムの背に抱き着く。彼の理想通りの動きだ。

 土砂が流れ落ちる崖の端や掴まるところの見当たらない山肌を掴むような無謀な真似をしているわけではない。

 落下の衝撃をできる限り抑えるために、両腕両足を山肌にこすりつけて勢いを、殺す!

 降り切る頃には両腕が擦り切れているかもしれないが、命には代えられない。

 何より、背中の彼女がケガするより万倍マシだ……!

 一瞬で覚悟を決めた彼が延ばした腕の先には。しかしまたもや予想外の光景が広がっていた。

 視界を覆い隠すほど大きな影。落下する彼らを追う様に落下し、崖に手を伸ばすバウムの手を掴もうとしているかのように腕を伸ばすそれは。

 先ほどまで崖の上にいたはずの汚れた巨人。吹き飛ばれた自身の短剣の方ではなく、真っ先にバウム達へと飛びだしてきたのだ。

 巨人の大きな両手はバウムの手が山肌へ辿り着く一歩手前に二人を捉える。

 そして自分たち諸共地面に叩きつけられる寸前、自身とバウム達を掴む両手の位置を上下逆転させ背中から地面に落ちる姿勢を取った。

 直後、ゴォォッ!と背部にあったのだろうスラスタから青白い光を放つ汚れた巨人は、木々ごと地面が強く抉られる音と共に背中から着地した。

 巨人の手の中にいたバウム達は着地の瞬間強い衝撃を受けるが、かなり衝撃は和らいだようだ。全身が痛む一方骨折の感覚は無い。

 

「……一体、何がどうなって……。」


 困惑したように声を漏らすリンデも、大きなけがはしていないようだ。

 眼下には今しがた明らかにバウム達を助ける為に行動を起こした汚れた巨人。今の着地で流石に損傷したのだろうか、ぴくりとも動かなくなっていた。

 汚れた巨人の意図はわからないが、今はこの絶望的な状況をほぼ無傷で潜り抜けたことを一先ず喜ぶべきか。

 いや、まだ喜んでいる場合ではないようだ。崩れ落ちる崖の上からこちらを見下ろす銀色の巨人。

 それが今、何か重いものが水底へ沈んでいく時の様にゆっくりとこちらへ降りてきているからだ。

 

 リンデを守らなければ、この場から逃げなければ。と強く思う反面。

 過大すぎる疲労から、バウムの身体は限界を既に超えていた。

 加えて両腕両足を手放す覚悟を決めた極度の緊張から急遽解放された感覚も良くなかった。

 だめだ、指の先端すら持ち上げられそうにない。


 意識が、遠のいていく――。


 ――

 

 暖かい。

 

 微かな記憶。


 鮮明ではない映像。


 眩いほどに金色に輝く巨人。

 

 同じ色に輝く視界を埋め尽くした飛沫。


 こちらに背を向けて正面を見据える見慣れた白い少女。


 自らの脚で、立っていた。


 

 

 

 

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