2-17 水坂峠
月のない夜は
朽木を出て登りの山道を往く。宿から一里ほどの山道だ。提灯の明かりが届く以外は全くの闇だ。風で木が揺れる音と、時に、胸のうちを絞り出すように鹿が哀し気に鳴く。
「このへんが
前駕籠を担いでいた人夫が先頭の航に声を掛けた。
「おーい。わ……航。……。ひ……一休みしよう……」
大分遅れて具視の泣き声が聞こえた。航は駕籠が降ろされたあたりまで戻った。
「しようがない。少し一服しよう。おっちゃん、ここから熊川宿まではどういう感じや。俺も通ったことがない」
航は
「先ずはな、こっから坂を降ったら保坂の
人夫は道に腰掛けると腰に吊ってある煙草入れをとり外した。
「兄さん。あんたは一服せんのけ?」
「俺は煙草も酒もやらん」
航は人夫に答えると宿で貰った鯖寿司の包みを開いた。駕籠舁きに、どうだ――と包みを見せたが、彼らは答えず右手を上げた。煙草の匂いが風に吹かれあたりを漂う。
「航。ちゃんと食っときなはれや。迷子になられたら困るさかい――」
具視は既に酒の匂いをさせていた。
「入道。酒飲んでんのか?大丈夫やろうな?」
「馬鹿にせんときや。この程度の酒、わしにとったら水と一緒ですわ。酔うことありますかいなぁー。それにしても旅籠で包んで貰った鯖寿司、これも茶屋のに負けず劣らず上手いなぁー。うぃっ」
「入道、食った竹の包みはちゃんと懐にいれとけよ。捨てといたら熊が匂いに連れられ出て来るぞ」
「はぁー、熊おるんかいなぁ?うぃっ」
「当たり前やろ。真っ暗で見えへんだけで、今でもそこらへんの林から覗いてるの違うか?一行から遅れたら襲われるぞ」
「ひぇー、ほんまかいな。恐ろしいところどすなぁー。もう早ういきまひょうか」
持っていた鯖寿司を慌てて口に入れた。
半刻ほど坂を下ると駕籠舁きが言ったように石の
「兄さん、一服しまひょ」
よく見ると具視の姿がない。ひょっとして
「あかん……もう息がもたへん。はぁー、はぁー、もう駄目。死んでしまう」
「おい、早う上がって来いよ」
航は具視に声をかけた。
「む、無理言いなはんな……。い、息が切れて……倒れそう……」
なんとか坂を登りきると、両手をついて倒れ込んだ。
「も、もう無理。……。き、今日は、こ、ここで
航は
「あっ、
「はぁー……。ええ……さ、酒どしたなぁー」
「阿呆か、お前。はぁー。一体どれだけ入っとってん?」
「四合みたいどすなぁー」
空になった
「おっさん、あとどれくらいや――」
航は駕籠舁きに訊ねた。
「今で半分くらいやな。こっから先ぁ、川沿いを往くだけやで、その酔っ払い坊主でも行けんこともないやろう。それにしても、たいした坊主やわなぁ。夜道を酒飲んで旅するとわ」
「あの……差し出がましいようですが、もしお差し支えなければ、わたくしがお代わりいたしましょうか……?」
篠が寄って来た。
「わたくし、足の方は何ともございませんし、お坊さまと代わらせていただいた方が、道も早う進めるかと存じます」
「それはええ考えや」
具視が手を打った。
「お前が言うてどうすんね」
航が具視の尻を蹴った。篠がくすくすと笑う。
「ふっふ……。ほんに、面白いお坊さまですこと。峠の茶屋でもそうでしたけれど、どこか憎めないお人柄と申しますか……」
「すんまへん。こいつ、いつもこんな感じで。賢い時は思い切り賢いのやけど、阿呆な時は底抜けの阿呆で。一体どっちがほんまの正体か分からへんのや」
「まぁー。人としての器が、大きゅうございますのね」
「おひーさん、人を見る目があるにゃー」
酒臭い息を吐きながら具視が言った。
「ほんに、おもしろいお方。どうぞ、お駕籠の方へお乗りくださいませ。わたくしは本当に大丈夫にございますから」
「ほんに、おおーきに」
篠に向って両手を合わせ、
(第四十話 了)
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