1-20 憔悴
結局、昨晩は一睡も出来なかった。米
刈り取りの終わった田の隅に、提灯が捨てられているのを見付けた。拾い上げると丸に三つ柏の紋が書かれている。土佐藩の紋だ。具視は、昨晩襲いに来た賊の正体を知った。昼間来た奴らに違いない。賊は夜回りをしていた航に引っ立てられたが、番所に連れて行かれたところで、土佐藩の藩士と知れれば藩に引き渡されるだろう。一刻も早くここを逃れないと次の
具視の御所の屋敷に、二日以内に洛中を立ち退けとの
もはや京の街では具視が潜伏出来る場所などなかった。息子の
「お殿はん、昨日は大丈夫どしたか?」
「どこか、怪我しはったんどすか。顔色も悪いし、なんやだいぶ具合わるそうですぇ」
「いや、別に怪我はしとらへんのやけど……」
言葉に昨日までの覇気がなかった。いつも無理してでも喜久を笑わそうと思うが、今朝は微笑みかける元気もなかった。
「お喜久はん、世話になったのぉー」
「はぁー?、お殿はん、なに気色悪いこと言うたはりますねぇ。まるでもう亡くなはるみたいに――。元気出しておくれやす」
喜久は右手を上げ、招くように顔の横で振った。
「もう、ほんま、今日のお殿はんは
上手いこと言う、具視は俯きながら思わず吹き出した。顔を上げ喜久の顔を見る。
「お喜久はん、あんた、うまいこと言うなぁー。そう言うたら儂は歯だけは丈夫やった。いつも苦虫噛み潰したみたいな顔しとおったさかい、幼少の頃は岩吉と呼ばれいじめられとったわ。ずっとずっと、奥の歯を噛みしめて生きてきおったんやった。そのことすっかり忘れとぉったわ。おおきになーお喜久はん、ええこと思い出させてくれた」
少し笑うと気分が変わった。立ち上がって大きな伸びをした。
「お喜久はん、お湯を沸かしてくれはるか」
「はいはい、朝から湯も湧かさんと、そうやってずっと座ったはりましたんか。身体冷えますぇ。あっ、と言うことは、今朝はお滝はんに行ったらへんのやなぁ。航ちゃんに怒られますぇ」
「航かー。昨晩もあ奴のおかげで命拾いしたわ。偶然夜回りで賊を見つけてくれたからよかったけど、あの子がおらんかったら、今頃はこれや」
そう言って、自分の首を掌で水平に切った。
「偶然ですやろうか?意外と見張ってくれてたんちゃいますか?あの子、ああ見えても、やさしい子やさかい。
「……」
そう言えば、異変を感じて米櫃の中に逃げ込んだのは、壁にものが当たる音がしたからだ。なんや、と思ってたら、また音がした。慌てて土間に下りた。米櫃の中に隠れ耳を一生懸命そばだてていると、誰かが扉を外そうとしている音がした。そして、グワッシャーン――、大きな音がしたかと思ったら、表で「泥棒や!」と怒鳴る音がした。そこからはもう恐怖で震えてただけや。よう小便を漏らさんことやった。
あの時、なんで壁にものが当たる音がしたんやろう?
賊が出した音やなくて、ひょっとしたら危険を教えてくれた音やったんか?
「どうしはりましたん。また考え事ですか?」
お喜久が心配そうに尋ねた。
「いやいや、なんでもあらへん。そう言うたら腹へってきたな」
「ちょっと待っておくれやすや。今朝はたくわんの焚いたんを持ってきたさかい」
「いつも、ほんまにすまんなぁー」
喜久は持ってきた風呂敷包みを解くと、そこから竹皮の包みを取り出した。
(第二十話 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます