1-20 憔悴

 具視ともみはちらほら舞う朝の雪を見ていた。紅葉が始まった頃は立冬、木々は秋に別れを惜しむようにいろどった。その景色の主役も、大雪たいせつ節気せっきを迎えるころには、紅から白へと変わっていく。具視は昔の人が名付けた、季節の節目ふしめの名に感心をした。


 結局、昨晩は一睡も出来なかった。米びつの中で丸まり続けることも出来ず、火鉢を抱え込むようにして夜明けまで震え続けた。滝に打たれに行くかどうか悩んだが、そんな気力は残ってなかった。打ち壊された扉を検分し、表に出て昨晩の騒動の跡を見る。庭には松の木の前に、縄が無造作に捨てられており、太い丸太を削りこんだ、大きなわら打ちつちのようなものが転がっている。一体、何を打つものだろうか、持ち上げようとしたが、腰を痛めそうなので諦めた。


 刈り取りの終わった田の隅に、提灯が捨てられているのを見付けた。拾い上げると丸に三つ柏の紋が書かれている。土佐藩の紋だ。具視は、昨晩襲いに来た賊の正体を知った。昼間来た奴らに違いない。賊は夜回りをしていた航に引っ立てられたが、番所に連れて行かれたところで、土佐藩の藩士と知れれば藩に引き渡されるだろう。一刻も早くここを逃れないと次の刺客しかくが襲ってくるだろう。初冬の寒風とはまた違う寒気を具視は身体に感じた。


 具視の御所の屋敷に、二日以内に洛中を立ち退けとの投文なげぶみがあったのが、今からひと月前の九月十日、さもなくば首を四条河原にさらすと。次の日に西賀茂の霊源寺れいげんじに避難したものの、結局は体よく追い出された。次に逃げ込んだ桂の西芳寺さいほうじでも同じだった。途中、義理立てで何軒かにかくまってもらえたが、翌朝には巻き添えを怖れ追い出された。


 もはや京の街では具視が潜伏出来る場所などなかった。息子の具綱ともつなが苦労して探してきたのが、この隠れ里だ。小さな村だが、病を癒さんと多くの者もまっており、まぎれて隠れるには持って来いだ。また、具視の次男具定ともさだが幼少の頃、この村に里子に預かってもらった縁も有り、具視にとって、浪士から隠れるにはこれ以上ない地である。


「お殿はん、昨日は大丈夫どしたか?」

 喜久きくは、かまちに腰掛けて肩を落とす具視に声を掛けた。憔悴しょうすいしきっているのを心配しているようだ。


「どこか、怪我しはったんどすか。顔色も悪いし、なんやだいぶ具合わるそうですぇ」


「いや、別に怪我はしとらへんのやけど……」

 言葉に昨日までの覇気がなかった。いつも無理してでも喜久を笑わそうと思うが、今朝は微笑みかける元気もなかった。


「お喜久はん、世話になったのぉー」


「はぁー?、お殿はん、なに気色悪いこと言うたはりますねぇ。まるでもう亡くなはるみたいに――。元気出しておくれやす」

 喜久は右手を上げ、招くように顔の横で振った。


「もう、ほんま、今日のお殿はんは気色きしょく悪いわ。そんな死人しびとみたいなことでどないしますのぉ。この前は、歯をくいしばってでも生きてみせる、そう言うて、かっかっかって、笑ったはりましたやん。舌の根も乾かへんうちに、もうその歯も抜け落ちたんどすか?」

 上手いこと言う、具視は俯きながら思わず吹き出した。顔を上げ喜久の顔を見る。


「お喜久はん、あんた、うまいこと言うなぁー。そう言うたら儂は歯だけは丈夫やった。いつも苦虫噛み潰したみたいな顔しとおったさかい、幼少の頃は岩吉と呼ばれいじめられとったわ。ずっとずっと、奥の歯を噛みしめて生きてきおったんやった。そのことすっかり忘れとぉったわ。おおきになーお喜久はん、ええこと思い出させてくれた」

 少し笑うと気分が変わった。立ち上がって大きな伸びをした。


「お喜久はん、お湯を沸かしてくれはるか」


「はいはい、朝から湯も湧かさんと、そうやってずっと座ったはりましたんか。身体冷えますぇ。あっ、と言うことは、今朝はお滝はんに行ったらへんのやなぁ。航ちゃんに怒られますぇ」


「航かー。昨晩もあ奴のおかげで命拾いしたわ。偶然夜回りで賊を見つけてくれたからよかったけど、あの子がおらんかったら、今頃はこれや」

 そう言って、自分の首を掌で水平に切った。


「偶然ですやろうか?意外と見張ってくれてたんちゃいますか?あの子、ああ見えても、やさしい子やさかい。丑三うしみどきですやろぉー。そんな夜中に夜回りなんかしますかねぇ」


「……」

 

 そう言えば、異変を感じて米櫃の中に逃げ込んだのは、壁にものが当たる音がしたからだ。なんや、と思ってたら、また音がした。慌てて土間に下りた。米櫃の中に隠れ耳を一生懸命そばだてていると、誰かが扉を外そうとしている音がした。そして、グワッシャーン――、大きな音がしたかと思ったら、表で「泥棒や!」と怒鳴る音がした。そこからはもう恐怖で震えてただけや。よう小便を漏らさんことやった。


 あの時、なんで壁にものが当たる音がしたんやろう?

 賊が出した音やなくて、ひょっとしたら危険を教えてくれた音やったんか?


「どうしはりましたん。また考え事ですか?」

 お喜久が心配そうに尋ねた。


「いやいや、なんでもあらへん。そう言うたら腹へってきたな」


「ちょっと待っておくれやすや。今朝はたくわんの焚いたんを持ってきたさかい」


「いつも、ほんまにすまんなぁー」

 喜久は持ってきた風呂敷包みを解くと、そこから竹皮の包みを取り出した。


 寺内じないこもり小屋だと茶屋が朝と夜の弁当を用意する。具視が借りているような一軒家では、自分達が自炊をしなければならい。まだ自炊になれていない具視は、朝のご飯だけをお喜久に焚いてもらっている。そのうち自分でなにもかもしなければならない。お喜久に手当てを払うような余裕などないのだ。屋敷にいる時は女中が全てをやっていたが、洛中追放になっている身では、なにもかも自分一人でやらねばならないのだ。いつ賊に襲われるか分からない恐怖を抱えながら――。


     (第二十話 了)

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