1-14 土佐勤皇党

 航が昼の見回りを終え表門に戻ってくると、曾良そら屋の店先にカヨが出ていた。何やら客と話しているのかと思っていたが、どうやら言い争いをしているようだ。


 一人の男がカヨの袖を引っ張った。航は慌てて店の方へ向かった。男達は揃って尊王風の曲げに黒の羽織に縞袴しまばかまちをしている。背の高い男がカヨの袖を持っており、太った男がその横に立っている。小柄な男が一人離れて、床几に座り腕を組んでいる。


「どうかしたのか?」

 カヨに声を掛けた。男達の羽織には丸に三つ柏の紋が入っていた。土佐藩だ。


「航、ええとこに来てくれたわ。このお侍、うちを酌取しゃくとり女と間違うとるね」


「誰じゃおまん?」

 背の高い男が、カヨの手を離し、こちらに寄って来た。


「俺か、俺はこの寺のもんや」


「なんや、門番かいな。門番やったら門番らしい棒を持って門の前に立っちょったらえいがや。じゃまやき、あっちへ行きぃ。」

 背の高い男は航に手を振った。小太りの男が笑いながら前へ出て来て、航の胸を軽く小突いた。


「あんなわしらは金を払うて酒を飲んどるがじゃ。酌をするがは当たり前やろう、茶屋なんやき。それにおんしゃがなんでしゃしゃり出てくるがや」

 小太りの男は言った。


「あんなぁ、うちとこは酒は売るけど、酌はせんのや。飲み屋やないんやから。酒は飲みたければ自分らで注いで飲み――」

 カヨは航の背の後ろから顔を出すように言った。


「女、さっきから生意気なことばっかいいよってからに――」

 背の高い男がカヨを掴もうとする手を伸ばした。航はその手首を抑える。


「分かった分った。こんな往来で言い合いしとったら他の者に迷惑になるさかい、俺があんたらに酌をさせてもらうわ」

 男は握られた手を汚そうに振り切った。


「ほぉー、おまんが酌してくれるがか?まあ、それでもかまんぜよ。寺の青侍あおざむらい(=寺侍)に酌してもろうて花見見物っちゅうも、まあこれも一興いっきょうやき」


「航……」

 何か言いたそうなカヨに、航は、もう一本酒を持ってくるよう催促した。

背の高い男は大笑いしながら、床几に座っている男に声をかけた。


「岡田先生もどうぜよ?」

 声を掛けられた男は、振り返りもしなかった。この騒動に全く興味がなさそうだ。


「わしゃ酒を飲まんき」

 岡田先生と呼ばれた男は、番茶を飲みながら向いの店を眺めている。


「はい、航持ってきたで。ほんまにええんやな」


「あっ、これでええ、お前は店の中に引っ込んどけ」

 納得出来ないような顔をしてカヨは奥へ行った。


「お侍さんがたは土佐の方かぇ?」

 気を取り直し、床几に座った男達に、航はたずねた。


「おう、そうや。儂らは土佐のもんじゃ。名前くらい聞いたことがあるやろう?土佐勤皇党や。儂はそこの同士の田原五郎いうき」

 背の高い男が言った。


「はぁー。そこの同志いうのは一体どれだけおるんや?」

 だるそうに航は訊いた。


「ざっと二百名くらいはいるきのぉ」


「二百名?そんなに。大名並みやな――」


「当たり前や。今や武市先生言うたら、そこらの田舎大名より格は上やき」

 自慢げに五郎が笑った。航はカヨが運んで来た盆から、右手で二合徳利をとりあげた。左手には六尺棒を持ったままだ。


「ところでおまん、岩倉具視っちゅう奴を知らんか?おそらく頭丸めて僧の格好しとーと思うき」

 五郎は言った。


「岩倉村で岩倉探しかいな?なんか安直あんちょくな人探しやなー」


「なんやて――」


「この辺りは頭や心の病んだ者がお籠りするとこやさかい、普通の者はここへは来まへん」

 徳利とっくりを持った手で、五郎に盃を持つよう促した。


「なんかおまんは、腹の立つ言い方しよる奴やき。まあえいがや」

 五郎は手を突き出すようにして盃をあげた。航はその盃に酒を注いだ。そしてそれがいっぱいになっても、さらに注ぎ続けた。


「おい、こぼれてるやろうが……」

 その声を気にせず、その酒を手首から腕、肩、頭へと注いだ。五郎が盃を捨て、立ち上がるのと刀を抜き付けるのは同時だった。同じく横に座っていた小太りの男も立ちあがった。


「随分とふざけた真似しよるやないかい――」

 五郎は左手で酒の掛かった顔を雑に拭う。右手は抜き身を下げたままだ。横の小太りの男も抜刀する。


「六郎、おまんはさがっちょけ」

 五郎に六郎、兄弟なのだろうか、六郎と呼ばれた小太りの男は刀を鞘に納めた。二人は体格こそ違うが、そう言えば目の辺りがよく似ている。


 五郎は拭った手をさっと払うと、間を置かず、右手を大きく振上げ斬り付ける。刃は空を斬る。二度三度男は片手で刀を振り回す。


「ほぉ、少しはつかえるのぉ」

 履いていた草履を飛ばすと、今度は両手でしっかりと正眼せいがんの構えに刀を握り直した。


 さっきから航の腰の長巻ながまきき続けている。どうやら相手の殺意に反応して、出たがっているようだ。しかしそれは航以外には聞こえない。


 航は棒を三分の一になるように構えて握ると、腰を四股のように落とし男と睨み合った。


 五郎の背後では六郎が静かに左へ回り込んでいる。目の端でそれをとらえながら、にじり寄って来る五郎の鼻先へ棒を牽制けんせいで突き出す。きっかけを待っていたのか、五郎は大上段に打ち込んでくる。その刃を横に払うと、棒の後ろですねを裏打ちする。続けざまに航は相手の小手を思い切り打ち落とす。五郎は刀を落しうずくまった。


 今度は弟が絶叫しながら袈裟けさに打込んできた。半歩下がって交わす。六尺棒の持ち手を一番端に握り直す。そして大上段から相手の小手を目がけ棒を叩き込む。六郎も右手を押さえ蹲った。


 いつの間にか腰の長巻は啼き止んでいた。


「もうこのくらいでええやろう。しばらく手もしびれて刀も握れんやろうし。それと言っておくわ。この実相院宮においては刀を抜くのは武士とてご法度。本来なら斬り捨てられても文句は言えん。こっから先はおとなしゅう紅葉見物でもしてお帰り。酒は俺からのおごりや」


 さっきまで床几しょうぎに座って争いを見ていた男が立ち上がった。岡田先生と呼ばれていた男だ。やけに落ち着いている。


「ええもん見せてもろたき。六尺棒はああやって長棒にして振り回すがやね。あれでは普通の刀では立ち向かえん。間合いが違うきな。裏で打ったり突いたり、思うたより便利なもんやな。おまん、それよりただの門番やないろう。誰やおまんは?」

 男からは殺気は感じられなかった。しかし死人のような冷たさを放っている。


「俺か、俺は曾良航、実相院宮の警固けいご番や」


「こんな田舎にも、どえらい警固番がおるもんやぁ、さすが門跡宮。連れの門が失礼したちゃ、わしゃ岡田以蔵いぞうゆーき。土佐勤皇党盟主武市たけいち瑞山ずいざん先生の近習きんじゅうや。ちっくと分けがあってこの辺りで人を探しゆー。騒がしてしもたねや。あっ、それからこれ……」

 以蔵はたもとから巾着袋きんちゃくぶくろを取り出すとひもほどき、一朱銀を二枚とりだした。後ろを振り返ると、心配そうに見ていたカヨに差し出した。


「あのー、こんなたくさんいりまへんけど」


「迷惑料込みや。気にせいでよいき。武市先生から金はよけあずかっちゅー」

 以蔵は実相院宮の方に向って歩き出した。航に小手を打たれた兄弟は、航を睨みながら以蔵の方へ走り寄った。


「航。あの小さい人恐いんやけど、なんか死人 (しびと) が歩いてるみたいで……」

 カヨは航の袖を掴んだ。目に生気がなく、まるで眼孔の奥で覗いているように人を見る。男の体臭の代わりに冷え冷えとした気を外に発していた。


「ああ、そうやな。あいつはなんか不気味やな。二人と違うて腕も立ちそうや」


「なんもなかったらええんけど……」

 掴んでいた袖をぎゅっと握った。


「まあ、カヨ、お前が心配せんでええ。別にこんなとこを探しても誰もおらんしな」

 航は三人の後ろ姿を見ながら言った。


   (第十五話 了)

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