1-9 決心

「おーい、わたる!」 

 大雲寺に向って階段を登りながら、航は声を掛けられた後ろを振りむいた。


 頭をぴかぴかに磨き上げた図体の大きな男が走って来た。山門から抜け出た仁王のような体格だ。はちきれそうな丸顔で航より上背があった。


「法印さまから聞いたぞ。今日からお前がこの寺の青侍あおざむらい(=寺侍の俗称)らしいな。よう似合うてるやんけ」

 辰吉たつきちが航の背中を思い切り叩いた。


「兄さん、すんまへん。力者の手伝いが出来んようになって」

 辰吉は次郎の亡きあと力者の惣領そうりょうを務めていた。


「なに言うとるんや、お前にはこの格好の方が似おてるわ。お前もこれで一人前やな。きっとあの世の次郎兄さんも喜んだはるやろう。それにや、元はといえばお前は鞍馬の法師の出や。力者よりこっちの方がええ――」


「はぁー、そやけどなんか照れくそうて」

 航は首筋をいた。


「阿呆、しっかりしいや。お前はもう実相院菊紋を羽織ったお侍なんやから、しゃきっとしや、しゃきっと――」

 辰吉は航の背を思いっきり叩いた。思わず航は背を伸ばす。


「このあたりまでがらの悪そうな尊王風の連中が出歩いてきよる時節ときやさかいな。それに儂らではお侍に手出しは出来ん。お前を侍に取り立てて寺や村人を守ろうとしはるなんて、さすがは法印さまや。お前やったら誰にも負けへんしな。いざとなったら儂らも棒をもって助太刀するで。ほんま頑張りや」


「すんまへん。俺なんか侍に雇わんでも、ほんまは兄さんや力者仲間だけで十分に寺は守れると思うんやが……」


「それは分からんで、三年前のこともあるしな」

 辰吉はそう言うと顔を曇らせた。あの時、山賊の一味をこの村に呼び込んだのは、辰吉の兄の寅吉であったからだ。


「賊だけやったら儂らでもなんとか対処できたけど、あんな化け物じみた薙刀使いとかがおったら、儂らだけでは到底無理や――。お前がおらんかったら今頃この寺も、鞍馬みたいに焼け野原に違いないわ。次郎兄さんも儂のおやじもあの時にやられてしもた。腹立たしいけど、虎兄ぃは逃げおおせよったけどな――。お前が儂らの止めるのもきかんと、あの薙刀使いに立ち向かった時は、もう絶対に斬り殺されると思たわ。お前、なにかに憑かれたみたいに、山賊の手下の首を片っ端から斬り落とし、傷だらけになりながらも、最後には化け物も打ち倒した。ほんまあの光景は忘れられへん。化け物同士が戦いしとるみたいやった。お前の目が光ってたと噂するもんもおったくらいや。あれに勝ったんや、お前やったら誰にも負けへん。自信持ち――」


「はぁー、そやけど俺、あの時のことはほんま何も覚えておらん。気が付いたら血だらけで立っていただけで……」

 航は腰に差している長巻を眺めた。


 普通の倍くらいの長さがあるつかが腹の前に突き出ていた。その刀身を抜けないように、笄櫃こうがいひつに通した柄巻きと同じ鉄紺てっこん色の組糸で茶石目いしめ調の鞘と縛っている。


「航。お前のその刀、いつも鞘と縛ったるけど、それやったらいざという時に抜けへんやろう?」


「はぁー、なんかこうせんと落ち着かんと言うか、こいつが勝手に暴れそうな気がして……」


「そんなことあるかいな、へんな奴やな。それやったらまるで封印してあるみたいやんけ」

 辰吉は大笑いした。


(封印か?)

 航は辰吉の言葉を考えた。


「まあ、お前やったらその棒だけで普通の侍なら相手出来るやろうけどな。頑張りや――。わしら皆、応援するでぇ――。」

 もう一度航の背中を思い切り叩くと、元の方に戻っていった。


 航は辰吉と別れるとまた本堂の方に向った。手にした六尺棒が石段を踏むごとに乾いた音を立てた。石段を登りきると本堂を見上げる広場に出た。子供の頃から過ごしていた場所だが、心なしか新鮮な感じがした。辺りから聞こえる読経の声も、運ばれてくる線香の匂いも、いつもより濃厚に感じられた。


 境内では盛りの紅葉目当ての見物客に混じって、三、四人の力者が、籠り小屋を出たり入ったりして参籠者の世話をしていた。航の姿を見ると驚いて近寄ってきた。航は手水場ちょうずばに行くと、いつもはやらないのだが軽く一礼し、柄杓ひしゃくをとりあげると、石造りの鉢から水をすくい手と口をすすいだ。


 両側に籠り小屋が建つ石段を登ると、行基の作と伝えられる聖観世音の立像が祀られる本堂がある。本堂からは多くの人が唱える読経や数珠を擦る音が聞こえてきた。向拝柱の脇に六尺棒を立てかけると草履を脱いで綺麗に揃えた。おろしたての黒足袋で段板を踏みしめる。きしんだ音がした。広縁には一心に観音経を読みあげる親子が座っていた。心の病を持つ子供の行く末を案じているのだろう。


 航は静かに腰の長巻を抜くと右手に提刀し外陣に入った。祈祷する人の邪魔にならない場所を見つけると腰を下ろし、右脇に長巻を置いた。


 手を合わせる。


 子供の頃から次郎と一緒に観音経を読まされてきたので頭の中に入っているが、経はあげなかった。目を軽くつむり、合わせた掌の遥か先にある掴むことが出来ない何かを探し焦点を合わせた。


 次郎やツネ、もはやはっきりと顔を覚えていない父母、次郎から聞かされた円仁法師を順に想った。カヨの顔が浮かんだ。幸せそうにこっちを見て笑っている。今はなにより大切な顔だ。しばらくその顔を眺めたあと、最後にこの寺に集う人々の幸せを祈った。


 一礼して立ち上がると法印に頼まれている人物の様子を見に行くことにした。

    (第十話 了)

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