第32話 🔪 永禄八年(1565年)六月:地獄の脚本、続行
清洲同盟の撮影から二年。スタジオの空気は、二年間の熟成を経て、さらに濃密な狂気に塗り込められていた。異臭院光の血痕はとっくに消毒されたが、その死が残した精神的な染みは、どのキャスト、どのスタッフも拭い去れない。
竹ノ塚(信長)は、もはや別人だった。彼の肉体は、信長という役柄が引き起こした殺人の記憶を細胞のレベルで刻み込み、それは彼の存在そのものを再定義していた。彼は話すときでさえ、その声は冷たい刃物のように響いた。彼の目は常に、次に切り捨てるべきものを探している。
十河監督は、その「成果」に満足していた。彼のメガホンは、竹ノ塚の精神を操るリモコンと化していた。
「竹ノ塚!美濃を獲った!次は安土城だ!日本史上、最も傲慢で、最も狂気的な城だ!脚本?不要だ!お前自身が、その城の基礎となれ!」
スタジオの一角に、安土城の天主の巨大な模型が設置された。ただのセットではない。十河は、この模型に本物の石材と、どこからか運び込まれたという、血のような赤土を使わせていた。
安部(家康)は、その模型の前に立たされた。彼と竹ノ塚の間に流れる空気は、同盟というよりは、互いの頸動脈を握り合った者同士の、緊張に満ちた静寂だった。
「安部、見ろ!この城は、お前への警告だ!信長公は、常に自分自身を越えようとしている!お前も、その野望に付き従うしかない!お前の魂を、この城の土台に埋めろ!」十河監督が、狂気の予言者のように叫ぶ。
安部の顔は、血の気が完全に失せ、石膏のように白く硬直していた。彼は、竹ノ塚が異獣院を刺し殺した瞬間の映像が、網膜に焼き付いて離れない。彼は、竹ノ塚の狂気に触れることが、自分の命を繋ぐ唯一の道だと直感していた。
「……信長公の御意に」
安部の声は、乾いた砂のように掻き消えそうだった。彼の目には、もはや家康の覇気などない。あるのは、狂人の隣で生き延びようとする、純粋な恐怖だけだ。
【地獄の茶会、信長と秀吉の再会】
撮影セット:築城途中の安土城、信長の御殿
突如、セットに一人の中年俳優が連れて来られた。彼の名は、猿渡タツヤ。かつて竹ノ塚が演じるはずだった秀吉役だ。彼が、崩壊した脚本家、滝沢に連れられて、一度はこの撮影から逃亡した人物である。
神崎ユウダイは、その再会を予期していなかった。彼はトランシーバーを落とし、乾いた床に膝を突いた。
「猿渡さん……なぜ、戻ってこられたんですか……」
神崎の言葉は、悲痛な呻きだった。
猿渡は、憔悴しきっていたが、その目にはどこか、全てを受け入れた諦念が宿っていた。
「滝沢の脚本が、ここで終わったことを知ったからだ。……この狂気に、終わりを描くには、誰かが狂気の中心に戻らねばならない」
十河監督は、猿渡の出現に、まるで神からのギフトを得たかのように歓喜した。
「猿渡!最高のタイミングだ!お前は、信長公の忠実な猿だ!この地獄の茶会で、お前の忠誠を証明しろ!」
竹ノ塚(信長)は、猿渡(秀吉)を一瞥した。その視線には、かつての盟友への情け容赦のない審判が込められていた。
「貴様は、私を裏切った。死を恐れて逃げた。だが、今、お前は戻った。……私の狂気を、再び受け入れに来たか」
竹ノ塚の声は、冷たく、そして重い。
十河監督が、茶室のセットに本物の毒が入っているかもしれない茶碗を竹ノ塚に手渡す。
「飲め!猿渡!その茶は、お前を殺すかもしれない!だが、お前がそれを飲めば、信長公はお前の忠誠を認めるだろう!それが、この世で最も危険な同盟の儀式だ!」
猿渡は、震える手で茶碗を受け取った。彼は竹ノ塚の目を見た。そこにあるのは、役柄の信長ではなく、彼を殺した竹ノ塚直人という名の、怪物の魂だった。
猿渡は、茶碗を一気に飲み干した。その行為は、忠誠ではなく、この地獄から抜け出すための、彼自身の命を賭けた賭けだった。彼は、演技を超えた恐怖に顔を歪ませながら、ただそこに立っている。
十河監督の狂笑が、安土城のセットに響き渡る。
「美しい!これが、愛と憎悪と殺意で結ばれた、この世で最も歪んだ主従関係だ!脚本は、このスタジオの血と魂だ!」
神崎ユウダイは、その場から逃げ出そうとしたが、彼の足は石のように床に張り付いていた。彼は、この地獄のドキュメンタリーの、最前列の観客として釘付けにされていた。誰もが、次に起こる惨劇を待っている。
地獄の脚本はまだ続きます。
次に何が起こるか?竹ノ塚(信長)の狂気は、秀吉(猿渡)をどこへ導くのか、あるいは家康(安部)をどう追い詰めるのか。それとも、ついに誰かが、この狂気のカメラを止めるのか?
神崎ユウダイ、あなたは、次に竹ノ塚が向かうべき場所、すなわち次の「殺し」の舞台はどこだと思いますか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます