第6話

「はあぁあああ」


 底なし沼のような溜息を吐きながら、机に突っ伏す。そんな自分の周りに、ドレッドヘアーで、ピアスをそこかしこにあけた橘伸也が喉で笑う。


「笑い事じゃあねーんだぞ伸」

「だってよーー おもしれー事に巻き込まれてるからつい」

「橘やめな茶化すの」


 自分の席前で座る黒髪ロングの日本人形な顔立ちの田沢美野里が橘に叱りの言葉を掛ける。定時制クラスは基本一クラスで、20人。それなりに皆とは仲良くやっている中、この二人は特に連む事が多い。そんな間柄もあり昨日の網谷の話しを2人にして一日が経った。勿論昨夜も担任が熱心に英語を教えてくれたものの、やはり記憶に残らず、全く手応えも無ければ、どう対策すべきかもわからないまま一日目が終了した。明らかにこのままだと、ほぼ詰み。しかも日にちもこんな感じで時が過ぎて行く事を考えると、全然時間が足りない。


「何で受けちゃったのかなーー すげー後悔しかなんだけどっ、でもなーー」

「断れねーよ。押しすげーし」

「だよな」

「でも優どうするの?」

「うん。何でも秘密兵器あるとか言ってたけど、教えてくれなくてさ」

「秘密兵器って」


 きゃはははと伸也が笑い、自分は彼を見た。


「笑うな」

「橘。ふざけてないで、多少はちゃんと愚痴聞いてあげないと優可愛そうだよ」

「田沢ーー 何かその言い回し、伸と大差なくない?」

「そう。でも、確かに秘密兵器って何かしらね」

「俺だけど」


 いきなり廊下から回答が聞こえたと同時に、予想だにしてなかった事で、自分も顔を一気に上げ教室出入り口を見た。その直後、絶句で息が止まり目を見開く。というのも、全日制の制服を来た千納時が立っていたのだ。それは、クラスにいた全員も全日制の生徒が定時制の時間に訪れる事などない為、言葉を失い、一気に教室が静まりかえる。そんな中、異様な空気が流れる教室を何食わぬ顔で、入ってくると、自分の横に立つ。

「網谷先生から都築の英語教える手助けをして欲しいと要請があったので、承諾したから」

「は?」

「明日から、コンテスト迄日にちないから、結構過密になるけど、覚悟しといてくれるかな。とりあえず今日は、HR始まる前の時間に明日の予定の件つめたいから一緒に職員室に来て」


 言いたい事を一頻り言い切った千納時はスタスタと廊下へと向かう。が、自分はその状況が理解出来ず、椅子に座ったまま彼を見つめる。すると、そんな自分を目にし、千納時はニヤリと笑う。


「どうしたの? 立てない? 手貸してあげようか?」

「は? そ、そんな事ねーし!! っていうか普通に立てますーー」

「じゃあ早くおいでよ」

「ぁあああ、もうっ」


 苛立ちを隠す事なく、声を上げ立ち上がると、自分は教室出入り口へと足を進める。そして、すぐさま千納時を横を通り過ぎると廊下をズカズカと歩いた。



「今日明日とバイトが休みで良かったよ」

「はあ?」


 ケロッとした顔で自分の前に座る千納時が笑みを浮かべてる。ここは学校の会議室。自分のコンテストの為に網谷が押さえてくれた所だ。結局あの後、三者で話し合った結果、ここを提供してくれる事になり、9時ぐらいからこの室内に二人でいる状況なのである。昨日の話し合いでこの案が出た時、自分は他の部活の生徒も居る手前、千納時の立場も考え反対した。が、他の二人はそんな事は気にもしていないようで、結局自分の心配を余所に、この場所でする事となったのだ。


(まあ決まったもんはしょうがないけど)


 やはりどこか落ち着かない。部活中の生徒の声が耳に届く事もさることながら、目の前には千納時。彼とて、店の常連ではあるものの、この前の一件から少し話すようにはなっただけで、親しいわけでもない。自分自身で彼の心理を予測しようにも、どうもうまい落とし所もなく、自然と眉間に皺がよる。そんな自分の様子に、彼はやれやれといった表情を浮かべた。


「本当君は英語苦手なんだな。始まる前からそんな顔」

「そりゃまあ。誰だって苦手な事あるだろう。っていうか、今回何で自分に教える事を承諾したわけ? そんな親しい仲でもないじゃん」

「それもそうだな。ただ、俺が教えたいと思ったからとうのが今回受けた理由」

「すげーー 漠然としてないか」

「確かに。でも、受けた以上は上位を狙う」

「へ。何でよ。とりあえずテキトーに書いて読むだけで良くない。どうせ全日制の生徒が定時制の発表なんて聞かねーだろ」

「まだ何もやっていないのに自己評価をするべきではないな。それに、今回俺が教えるんだ。中途半端な物を発表させるわけないだろ。まあどの道俺はあくまでも補助で主は都築。くれぐれも俺の顔に泥を塗るような事はしないでくれよ」

「…… そんな事になったら千納時ぜってーー 一生恨むだろ?」

「勿論」

「ど、どうにかし、しますっ」

「それが、賢明な判断だよ」


 苦笑いを浮かべる自分に対し、明らかに含みのある笑みを称えた千納時が直ぐ近くにあったノートパソコンを開く。


「じゃあ早速だけど、今回一番重要なのはスピーキング、後はライティングにはなるけど、とりあえず、実際に英語を口にして伝わらないといけない。ただこの前店で訪日客の対応。お粗末だったからな」

「あ、改めて言わなくても良い!! それよりどうしたら良いか言えよ」

「今回は日にちもない。だから応急処置的対応になる。まずは英語を聞き慣れる事。そして、それを口で発音する。それの繰り返し。今から、英文の朗読流すけど、この用紙には読まれた英文と訳があるから、目で追っていって」

「わ、わかった」


 自分には手だてがないのだから、ここは彼の言葉を信じ、やるしかない。すると千納時が自分の前に用紙を二枚置き、パソコンのキーボードを押すと英語の言葉が流れてきた。自分は食い入るように用紙を見つめるも、どこを読んでいるのかわからない。その様子を見ていた千納時がパソコンのキーを押す。


「少し早い…… のか…… 都築、わからないんだろ?」

「…… ああ」


 キーボードをいじり、速度が遅くなった朗読に再度耳を傾ける。が、やはり入ってこない。渋い表情を浮かべながら、朗読を聞き、用紙で英文をたどるも、どこかもわからないまま暫し用紙を睨みつける。と、いきなり朗読が止んだ。同時に、ペン先が用紙に英文を指し示すと、頭上から流暢な英語が耳に入り、顔を上げた。すると千納時が英文を読みながら、文章をなぞってくれてるのだ。自分は交互いその様子を数回見ると共に、瞬きを数回し、彼を見つめる。というのも、先程は全く入ってこなかった単語が、今はちゃんとわかるのだ。また彼の話す英語は非常に滑らかで聞いていても耳触りがよく思わず千納時の読む姿をじっと目視する。すると、その様子に気づいた、彼がじっと自分に視線を送る事暫し。


「どうした都築っ、具合悪いのか?」


 そう言い彼が自分の右頭部のこめかみ辺りに手を添えてきたのだ。いきなりの事で、一瞬驚き体が動かないが、目の前の彼は明らかに少し取り乱しているように見えた。いつも冷静な彼の珍しい光景を目にした矢先、冷たい感覚に驚き顔を動かすと、千納時の綺麗な長く大きな手が視界に入る。


「な、何だよっ」

「いやっ、すまない。いきなり表情が違う上に、反応が止まったから、もしかしら先日の後遺症が出たのかと思って。都築、怪我が酷かったからな」

「自分はただの脳震盪だからっ。それにあの後、何回か調べてるから大丈夫だし。怪我なら千納時だってなかなかだったと思うぜ」

「俺の場合打撲だから、青みがとれれば問題ない。ただ脳はそういうわけにはいかない」

「ふーん。千納時って以外と心配性なのな」

「悪いか」


 茶化すつもりで言ったつもりが、思わぬ彼の回答に面くらうと同時に千納時が真顔をこちらに向けられ、少し気恥ずかしくなり、視線を反らす。


「と、とりあえず、何もないから。今のはただ、ちょっと驚いたっていうか…… さっきまで全然耳に入ってこなかったのに、千納時が読んだら、聞きやすくてさ。何かすげーーって思って。それに聞き心地がよくてびっくりしていうかっ」


 取り繕うように言った言葉の後沈黙が暫し続いた。何故千納時は黙っているのかわからない。いつもなら茶化しの一発でも言ってくる筈だ。自分はゆっくりと、彼を見ると、横を向いている。ただ、千納時の顔が少し赤らんでいるような感じた。だが、やはり彼は何も言わない。不思議に思いじっと見つめると、その様子に気づいた千納時が少し慌てた様子で、前を向く。


「…… 千納時。何か顔赤くね? それこそ具合悪いとか? 無理しなくて良いぜ」

「…… そういう事ではないでの気にする事ない。ただ、少し…… 今までそんな事を言われた事がなくて、対応に困った……」

「はーん。じゃあ照れたって事」


 ニヤリと笑いかけた自分に彼がばつが悪そうな表情を浮かべる。そんな彼を見た事がなかったので、尚も自分は彼を見つめニヤニヤと笑う。すると、千納時は一回咳払いをした。


「とりあえず、続きからやるから」










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