第8話
門番の言葉が少し引っかかったが、気にしないふりをして先へ進む。
受付には品のある女性が二人立っていた。
形式的な確認をされただけで、特に問題はなく中へ案内される。
廊下には紅い絨毯。
壁のランプが柔らかな光を落とし、奥の大広間からはさらにまばゆい灯りが漏れていた。
一歩踏み入れると──
昼間とは思えないほど賑やかで華やかな空気が広がる。
香水の匂い、笑い声、ワイングラスの触れ合う音。
( ……普通のパーティじゃん。今のところは )
窓際では令嬢たちが楽しげに談笑し、
壁際には豪華な料理のワゴンがずらりと並ぶ。
( うわ、いい匂い…… )
食事に気を取られていたところへ、ウァートが耳元で低く囁く。
「 では、私はこれで。事を終えたらまた会いましょう 」
さっさと足早に去っていった。
どうやら別室の調査に向かったらしい。
( 面倒なことに巻き込まれなきゃいいけど……私が )
さて、ここからどうするべきか。
とりあえず“警官を送り届ける”役目は終えた。
一般人の私にこれ以上できることなんて──
( ……あの子が見当たらない。名前……顔……
──ダメだ、何も思い出せない )
記憶の霧が濃くなる。
昔から、生き物にとことん興味がなかったのが災いしたらしい。
けれど、きっと会えば思い出せるだろうと考えを切った。
( よし。ご飯食べて帰ろう )
バイキング形式のスイーツコーナーでケーキを物色していると、
黄色のドレスをまとった婦人に声をかけられた。
「 あら、あなた見ない顔ね。ここは初めて? 」
「 え……えぇ、まぁ 」
「 なら、ここの噂はご存知? 」
扇子で口元を隠しつつ、興味津々といった様子で耳元へ近づいてくる。
行方不明──“神隠し”。
世間で騒がれていた話だ。
「 ある程度は 」
控えめに答えると、婦人はさらに熱を帯びて話し始めた。
「 この洋館には“隠し階段”があるらしいわよ。
そこから異界につながって、戻ってこれなくなるんですって。ふふ、素敵でしょう? 」
( 異界ねぇ……
話としては荒唐無稽だけど。隠し階段は確かにテンション上がる。謎解きじゃん )
「 見つけたら教えてね? 」
ウィンクひとつ残して婦人は去っていった。
わざわざ伝えに来たあたり、ただの噂好きか、あるいは──
( “よ、暇か?”的な役割の人なのかも )
ケーキを口に運ぶ。
( ……うっっっま )
※ ※ ※
“隠し階段”という単語に惹かれ、私は大広間の周囲を歩き回っていた。
おおよその館の構造も頭に入ってきた頃、胸の奥でじわじわとした高揚が広がる。
( なんかマズかったら帰ろ。“道がわかんなくなっちゃって〜”で押し通そう )
そう思いつつも、足取りは軽い。
この感覚、先生のカツラを教室のロッカーに隠したとき以来だ。あれもスリル満点だった。
危険なのはもちろん理解している。
けれど、もし本当に危なかったら──ウァートが見つけてくれるという、根拠の薄い安心感が背中を支えていた。
そして、ついに“それ”を見つけた。
廊下の一角。
見た目こそ何の変哲もない白壁だが、前を通るたびに胸のどこかが引っかかる。
( ここだけ……広さの帳尻が合わない )
大広間の構造を考えると、この壁の裏に空間があるのはほぼ確定だ。
押しても、引いても、びくともしない。
試しにノックすると、奥が空洞だと分かる軽い音が返ってきた。
( やっぱりね。問題は“どう開けるか” )
どこかに仕掛けがあるはずだ。
視線を巡らせると、窓際の花瓶が目に入る。
やけに重厚な見た目のわりに、手をかけてもまったく動かない。
近づいてよく見れば、花は精巧な造花だった。
( 怪しい )
指先で葉に触れると、上下にカタンと揺れる。
( ……動くってことは )
右肩上がりになっている葉をゆっくり押し下げると──
ガチャリ、と金属が噛み合う重い音が響き、数秒後、ギィィ……と不吉な軋みとともに壁が横に開いた。
薄暗い隙間から、冷たい空気がゆるりと滲み出てくる。
( ビンゴ。でも……こんな単純でいいの? )
腑に落ちないまま、ひとつ深呼吸。
それから、開いたその闇へと足を踏み入れた。
※ ※ ※
扉が横に滑って開いた瞬間、冷気が頬を撫でた。
入口は暗く湿っているが、階段を降りきると、等間隔に設置された電灯がぼんやりと通路を照らしている。
それでも光は弱く、空気の淀みは消えない。
けれど──誰かが定期的に通っている気配だけは、そこかしこに残っていた。
( 花瓶に埃なかったし、やっぱりここも使われてるってことだよね )
通路は曲がりくねり、分岐がいくつも現れる。
( こういうときはクラピカ理論〜 )
ひとりごちつつ、ひたすら右を選びながら歩く。
十分ほど進んだ頃、背筋を這うような “生きた気配” に気付いた。
壁に身を寄せ、そっと覗き込む。
右手の奥、鉄格子に囲まれた部屋。
その中に──
( うっわ、趣味悪 )
若い男女が数人、ぐったりと蹲っていた。
死んだような目。やつれた頬。それだけで事件の核心が見えてしまう。
(敵ではない、はず。解放できるなら──)
周囲を確認し、鉄格子の南京錠に触れたその時。
「 ……アンタ 」
低く驚く声を聞いて振り向くと、入口近くの男がこちらを見ていた。
「 これの鍵は? 」
彼は力なく首を横に振る。
「……トキ先輩?」
聞き覚えのある声に視線を上げる。
奥の薄明かりの中から、若い女がこちらへ歩み出てきた。
(…………
誰だっけ……)
数秒、脳内でモヤが晴れる。
(ソナちゃんだ……思い出した)
「 やっぱここにいたんだね 」
何気ない風を装って声を掛けるが、ソナはそれどころではなかった。
「 なんでここに……いや、それより逃げてください! 」
鉄格子を掴む手が震えている。
「 はは、そのポーズ、ホラーゲームで見たことある 」
「 何笑ってんだこいつ…… 」
男のツッコミは聞こえなかったことにした。
「 で、ここまでの経緯は? 」
沈黙。
一瞬で室内の温度が下がるほど、全員が固まった。
怯え、震え、喉が塞がれたように言葉が出ない。
( やっぱ相当ヤバい目に遭ってるな…… )
「 早くして。見回り来るかも 」
促すと、ソナはかすかに息を吸い、言葉を絞り出した。
「 招待状が送られて…… 」
「 うん 」
「 最初はパーティを楽しんでて。衣装も近くの店で安く貸してくれて…… 」
( あー、衣装屋もグルね )
「 途中で“お菓子”を配られて。それが……もう信じられないくらい美味しくて…… 」
( 麻薬だな )
「 何回か通ってるうちに、気付いたらここに 」
「 なるほど、全員これ? 」
重く、絶望に沈む頷き。
麻薬だけじゃない。人身売買まで絡んでいるのが確定する。
「 他に捕まってた人は? 」
「 どこへ行ったかまでは…… 」
( だよね )
情報は十分だ。あとは戻って警察を──と思った瞬間。
「 トキ先輩! 」
ソナの声が震える。
「 大丈夫。上に警察が潜入してる。今から伝えに行く 」
落ち着いて告げても、彼女の不安は晴れない。
むしろ全員が沈んだまま俯いてしまう。
( ……まあ、そうなるわな。鍵、開かないし )
その時だった。
───カツ……カツ……
冷たい足音が通路に響く。
咄嗟に柱の陰に身を滑らせた。
「 確かこの辺に……いない! おい、お前ら。ここに女がいただろ! 」
鋭い怒声。
しまった、と胸が冷える。
( カメラか……そりゃあるよね )
警備兵の腰にはジャラジャラとした金属音。
鍵束だ。
( ……見つかってるし。逃げるなら、味方は多い方がいい )
深く息を吸う。
胸の奥がざわつき、指先が冷える。
( 暴力は苦手なんだけどな )
静かに呼吸を整えた。
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