初めての登校

 ほおずきの恋人を演じることになった翌日、光は数多の視線に晒されていた。まさかここまで視線を集めるとは思っていなかったため、非常にいたたまれない。

「だから、俺に聞かれても何も答えられないっての。ほおずきに聞けよ。」

「だけど!なんで急にお前が使者様と……!!」

「まぁまぁ、霧島さんが惚れこんだって話だからどこを好いたかってのは本人に聞いた方が良いだろ。」

「烏丸お前……霧山の肩を持つってのかよ。」

「肩を持つ持たない以前に、お前らの怒りが正当じゃないって話なんだが。というか光が告白されても俺は疑問に思わん。」

 烏丸はまっすぐに愚痴を言ってくる生徒の瞳を見つめていて、ありがたいと思う反面少し恥ずかしかった。

 光の事を高く評価しているのかは分からないが、烏丸の言葉は他の生徒よりも優れていると言っているようなものだった。

「お、お前が告白されたのなら……お前は使者様が好きって訳じゃないのかよ!?」

「好きに決まってるが。ってか好きじゃないのに付き合おうとするだなんて相手に失礼だろ。」

 光がいかにも当たり前といったように言葉を述べた瞬間、教室の扉ががらりと開いてほおずきが顔を見せる。

 ほおずきはトコトコとこちらに歩いてきて、こちらの様子を窺うように覗き込んだ。

「な、何の話をしていたんですか?」

「そんな大した話はしてないよ。ただほおずきは可愛いなって話。」

 本物の彼氏であるのならば、彼女の所為で他の生徒に詰められているなどと言うはずがない。光の最も身近なカップルは烏丸たちなのだが、果たして彼らを参考にしていいものなのか。

 光の言葉を聞いた烏丸は目を丸くしているので、判断を間違えたのかもしれない。

「っつーことで、お前らが入り込む余地はないんだと。」

「っ……!!俺はまだ認めないからな!!」

(いや、お前らが認めないとこうしてる意味がないんだけどな。)

 ほおずきに言い寄る男を減らすという目的で光は恋人を演じているので彼らには諦めてもらわねばならない。

 仲睦まじい恋人の様子を見せれば、いずれは諦めると信じて演じ続けるしかない。

「それで光くん、大丈夫でしたか?」

「何がだ?ただ話してただけだから大丈夫もなにもないんだが。」

 ほおずきは察しているのかこちらの身を案じているが、その面を見せてしまうのは男として廃れるかもしれない。何も気にしないと言った様子でどっしりと構える光を見て、ほおずきはくすっと微笑む。

「優しいですね、ありがとうございます。」

 ぺこりとお辞儀をするほおずきを見て、ふと考える。光と恋人になったと見せることで、確かに男子から言い寄られることはなくなったかもしれない。

 だが怪しまれないためにもほおずきはこうやって光と話しに来なければいけない。

 それは果たして彼女が望んだことなのかどうか。光は頼まれたことをこなすだけだが……。

「そういえば、付き合いたての二人はどこか行くのか?」

 机に体重を預けながら、ふと烏丸が声をあげる。恋人なのだから、二人きりで遊びに行くのは当然なのだろう。

 実際烏丸たちはデートを何回もしているだろうし、もはやそれが日常になっているのかもしれない。

 設定としては、光たちが付き合い始めたのはついこの前の事だ。付き合いたてのカップルがデートをしないなど滅多にないことなので取り繕わなければいけない。

「一応、水族館には行く予定だけど。」

 ほおずきがちらりと横目でこちらを見てきたが、良しとしたのか口をはさんでくることはなかった。

「やはり初デートともなれば、お互いに緊張してしまいますからね。水族館なら気分も落ち着くでしょうし。」

「なるほどなぁ。光、お前がしっかり引っ張るんだからな。」

「……んなもん、言われずとも分かってるよ。」

 いくら演技だとしても、そこで手を抜くようなことはしない。端から見てもほおずきが良しと思いそうな人格を目指すつもりだ。

 できればほおずきに釣り合う程の背格好なら良かったのだが、天界の使者とも呼ばれる彼女にはどうやっても追いつけない。

「というかそういうお前らはどうなんだよ。なんか予定でもあんのか?」

「ん~?特には。花火は行こうって言ってるけど、予定を組んでみたいなのはない。」

 突拍子に遊ぶことはあるだろうけど、と追加する烏丸の様子を見て光は思わず息を吐いた。

 光はほおずきと突拍子に遊ぶなんて発想にはどうやっても至らない。予定を組んだとしても緊張する。

「仲睦まじいのは良いことですからね。見ていて微笑ましいですから。」

「俺も最初は微笑ましいで済ましてたんだけどな……。」

 彼らは学年でもかなりのバカップルという事で広まっている。仲睦まじい様子を人目を気にしないで見せつけるから多くの生徒が妬かれているのだ。

 光としても烏丸と月城が分かれるところなど見たくもないが、もう少しイチャイチャを控えてほしいものだ。

 光の言葉にほおずきはきょとんと首を傾げるだけだった。きっと、この先彼らと関わっていけば分かることだ。

 ほおずきがこの先どんな関わり方をしてくるか考えながら、光は次の授業の準備を進めるのだった……。



 演劇部の本日の活動も終了し自己練習も終えたところで、光は帰宅しようと廊下を歩いていた。

 時間としてはもう最終下校時刻手前なので、大半の生徒は学校には残っていない。そんな中、まだ電気がついている教室があったので教室の中をちらりと覗く。

 するとそこには、背筋をまっすぐ伸ばしてたくさんの本を読み漁っている少女の姿があった。

(そいや……金賞受賞してたっけな。)

 心の中で呟きを発し、がらりとドアを開けると少女の視線は本からこちらに向く。

「光くん……まだ残ってたんですか。」

「ま、自主練してたからな。それに彼女を一人で帰らせるわけにもいかないだろ?」

 光が冗談交じりに言うと、ほおずきはくすりと微笑みを返してくる。

「そうですね。ですが、演劇部の活動と文芸部の活動が同じ日の時限定ですけど。」

 一応、演劇部の活動日は水曜日以外だが光は自主練ということで毎日残っては台本の確認などしている。だからほおずきが早く帰宅しない場合にのみ、帰宅の時間は合わせることが出来る。

「にしても、こんな時間まで残って何をしてたんだ?」

 文芸部がこんな時間にまで残っているのは珍しい。現に彼女以外の部員は帰宅したのだろう。

 彼女の手元にある本を見て大体の予想をつけたが、返ってきた答えは少し意外なものだった。

「小説を書く時、どのようなテーマのものが多いのか。喜怒哀楽のシーンのそれぞれの台詞だったり、舞台によって変化するシチュエーションなどをまとめています。」

「研究がすごいな……やっぱ書く側になると見る場所も変わってくのか。」

「それはお互い様だと思いますけどね。光くんだって、心情や情景はきちんと研究しているでしょう。」

 確かに演劇する時に大事なのは感情だ。その時の感情がどのような感情で背景には何があるのか。

 それら一つ一つを見て理解した後にようやく演技ができるのだ。だから光も読み物の研究はするが……。

「それでも、多くのジャンルの一作一作をじっくり見てってのは出来そうにないな。」

 演劇を完成させるのには時間がかかる。演劇部の大会での劇しか物語は見ない。大会は夏と秋の終わりにあるので、研究するのは二作品だけで良いのが現状だ。

 だからほおずきみたいに何十冊、下手したら何百冊もの本を研究するなど光にはできない。

「どうして、そこまでするんだ?」

 ふと口から出た疑問にほおずきは一瞬固まって、困ったように答える。

「何故、と聞かれると難しいですね……。好きだから、という気持ちが大きいのではないのでしょうか。」

「逆に、光くんはどうして演劇部に入ったんですか?」

 ほおずきに聞かれ、光は顎に手をやりながら入学時の事を思い返す。ただ、当時は既に演劇部に入ると意気込んでいたため理由は思い出せない。

「俺も好きだから、ってことになるのかね。」

「結局、人の原動力はそのような気持ちだと思います。嫌いだから行動するといった論もありますが、それは好きに還元できるものですから。」

「好きに還元……ねぇ。まるで文豪だな。」

「ふふ、こんなことで文豪になれたら苦労はしませんよ。」

 ほおずきと話していると、最終下校時刻の十分前を予告するチャイムが鳴る。流石にそろそろ帰らないとまずいと思い、ほおずきにも声をかける。

「片付けとか、なんか手伝う事はあるか?」

「でしたら……こちらの本を本棚に戻してもらえると助かります。ラベルが張ってあるので場所は分かると思いますが。」

「ん、お安い御用だ。」

 ほおずきから本を数冊預かり、ラベルをもとに本棚に戻していく。いつもこの作業をしているほおずきはものすごくテキパキしていて、圧巻してしまう。

「ありがとうございます。私は部室の鍵を返しに行かないといけないので先に帰っていただいて大丈夫ですよ。」

 ぺこりとお辞儀をして感謝を述べたのちに自分の荷物と部室の鍵を持った彼女に、光も同様に部室の鍵を見せる。

「俺も部長になっちまったもんで、返しに行かないといけないんだよ。それに、夏とはいえこんな時間だと外は暗いんだ。流石に送ってくよ。」

 ほおずきみたいな美形だと襲われてもおかしくないし、と追加するとほおずきは固まってしまう。

 大丈夫かと覗き込もうとした瞬間速足で部室を出てしまったので閉じ込められないように光も急ぐ。

 ほおずきが鍵を閉めたのを確認し、光はほおずきと一緒に鍵を返すために職員室に向かうのだった……。



 鍵を職員室に返した光たちは、帰宅のために靴を履き替えて並んで歩く。恋人であれば手をつなぐものなのではと思ったが……今は見ている人もいないのでつながなくていいだろう。

「お前、家どこ?」

 日は落ちかけており、ほおずきほどの美少女であれば不審者の警戒は普段の数倍した方が良い。

「駅で二駅登るだけですし、駅からも徒歩数分の位置ですよ。心配には及びません。」

 光は下り方面のため、位置的には逆なのだが心配になってしまうので家までついていくことにする。

 普通だったらそんなことはしないが、一応恋人役でもあるため大した問題にはならないはずだ。もちろん、ほおずきが心の底から拒否するのなら話は別だが。

「ま、暗くなってきたし家まで送るよ。もしもの事があったら心配だし。」

「あ、ありがとうございます。別にそんなに心配しなくともいいのに……。」

「演じているとはいえ仮にも恋人だからな、何かないかくらい心配する。」

「そ、そうですか……。」

 こちらから視線を外すほおずきを疑問に思いつつ、、本日の夕飯を考える。光は妹と二人暮らしのため、夕食は光が用意するのだ。もちろん料理は得意ではない。

「ってか、考えたんだけどよ。恋人って、朝一緒に登校するもんなのか?」

 光の疑問に、ほおずきは顎に手をやって考える。

 朝、烏丸たちは時間を合わせて登校している。一緒にいる時間を増やしたいという心理の元だろう。

 となると、恋人と信じ込ませるには朝から一緒にいた方が良いのではないか。

「確かに、そちらの方が良いのかもしれませんね。では明日の朝に連絡をするのでお願いします。」

「ん、ほおずきは……朝早かったな。」

「朝は早めに登校して自習する方が集中力が維持できますから。」

 いつも遅めに登校してかつ勉強が得意とは言えない光にとってほおずきの発言は信じられないものだった。

 とはいえ定期試験もそろそろなので準備しなければいけない。部活動に勤しみながら勉学にも力を入れるのがこれほど難しいとは思わなかった。

 中学の時は簡単だったのだが、高校生になって勉強の難易度も上がり文武両道を掲げるのも無理になった。

「凄いよな。勉強なんてしたくないと思うのが普通なのに。」

「光くんも勉強はお嫌いなんですか?」

「ま、好きではないな。得意でもないし勉強するんだったら演劇の練習したい。」

 演劇の練習をしていた方が楽しいので勉強なんて面白くないことをするよりも優先したいのだ。

 ただ勉強はできるようにならなければいけないのは分かっているし、毎日少しだけ勉強はしている。

 ただ、内容が分からないと投げ出してしまうのでそこは悪いところだ。

「逆に、ほおずきは勉強が好きなのか?」

「そうですね……嫌いではない、という感じでしょうか。勉学が出来るというだけで、自分を良く見せられますしね。」

「お前は、そんな事せずとも自分を良く見せれると思うけど。」

 なにせ天界の使者と呼ばれているほどの美少女なのだ。そんな彼女が勉強できないとなってもそこも魅力になってしまう。

 もちろん、出来るのも大きな魅力だとは思うがそんなに自分を磨く意味とは果たしてなんなのだろうか。

「そういってもらえて嬉しいですよ。容姿に関しては、かなり努力もしてますから。」

「他の追随を許さないくらい整ってるからな。どれだけの努力をしたのやら。」

 演劇をやる以上、光も多少体は鍛えているが……世のイケメンたちのような体つきにはならない。

 そのうえ、自分の容姿を整えるために努力をしても中々良くはならない。ほおずきの容姿は生まれ持ったものもありそうだが、何をしてるかが気になるところだ。

「……ん?」

 ほおずきがまたしてもこちらから視線を外す。一体何があったのやら。光は顎に手を当てて考えるが、すぐに分からないと悟り思考するのをやめた。

「光くんって……無意識にそういうことを言いますよね。」

「そういうこと?」

「な、何でもありません。気にしないでください。」

 少し歩くペースが速くなるほおずきに困惑しながら、光もスピードを合わせる。

 改札を通り電車を待っている間、ほおずきは小説を読み光は台本を読むためそこに会話はなかった。

 電車が到着し、光たちは乗り込む。それほど混んではいなかったが、ほおずきが乗り込むと視線を集めていた。

(やっぱ、凄いなほおずきは。)

 光は心の中で呟くと、電車が発車しだすのだった……。



 翌日、朝早くから光は駅前でほおずきの事を待っていた。彼女からの連絡によればそろそろ到着するはずだ。

 光がスマホでエゴサしていると、最近聞きなれた声が耳に届く。

「おはようございます、光くん。」

「あぁ、おはよう。じゃあ行こうか。」

 光はほおずきの手を取り歩き出す。朝早くだが、この時間帯は他の生徒も登校している。だとすると手は繋いでいた方が恋人のように見えるだろう。

「……!!そう、ですね。行きましょうか。」

 ほおずきも意図を理解してくれたのか、手をつなぎ返してくれる。天界の使者とも呼ばれるほどの美少女と手をつなぐなど緊張してしまうものだが、それを顔に出さないのには慣れている。

 彼女自身も、光のそういう所を見込んでお願いしたのだろう。

 手をつないで歩いているのか、それともほおずきと歩いているからなのか。大量の視線を集めてしまっている。

「にしても、いつもこんなに朝早くから皆登校してんのか?」

 光の想像以上に、朝早くに登校している生徒はいた。これほど早くに来ているイメージはなかったのだが。

「恐らく、定期試験の二週間前だからかと。この時期になると早くから学校に行って勉強する方が増えますから。」

「なるほど。もうそんな近いのか。」

 試験一週間前から部活動は休止になるが、自主練をやめる気がなかった光にとっては定期試験の日程はあまり覚えていなかった。

 試験も赤点を取らなければいいと考えている光だが、一つ考えなくてはならないことがある。

(俺の成績が悪いと、色々言われそうだな。)

 成績が悪いパッとしない男子生徒とほおずきとではあまりにも格差が生じてしまう。

 ほおずきは気にしないのだろうが、周りの生徒が釣り合わないともっと騒ぐことにもつながりかねない。

 だが急に成績を伸ばすことなど不可能なため諦めるしかないのかと悩む。

「……何をそんなに悩んでいるのですか。勉強が分からないんですか?」

「まぁそんなとこだ。定期試験で良い点数を取りたいが、流石に自分の学力じゃ今からだと間に合わないよなと。」

 試験の二週間前に勉強を始めた場合、頭のいい人間なら足りるのだろうが光が一人でやっても絶対に間に合わない。

 ほおずきの彼氏として完璧に見せるためには少しでも光自身に魅力を作らないといけないのだが。

(どうやっても、できなくね?)

 勉強を一人でやっても何度も挫折した箇所があるため自身の魅力づくりなどできるはずもない。

「私で良ければ教えますよ?人に教えることも立派な勉強になりますし。」

「え、良いのか?」

 成績トップの彼女に教えてもらえるなど願ったり叶ったりだが、そんな時間を奪うような行為をしても良いのだろうか。

 ほおずきにはほおずき自身の勉強があるため、あまり気乗りしないのだが……。

「問題ありません。というより、人に教える方が記憶の定着には良いんですよ。」

「……じゃあ、よろしくお願いします。」

 光はぺこりと簡単なお辞儀をすると、それを見たほおずきは微笑を零す。

「別に、彼氏に勉強を教えることを手間だと思う彼女はいませんよ。それに、一緒にいれる時間が増えて嬉しいですしね?」

「…………」

(これまた、卑怯なことを。)

 ほおずきが意図的にやっているのかどうかはさておき、美少女にこのようなことを言われてドキッとしない人間はいない。

 だが光とほおずきはあくまで恋人を演じているだけ。ほおずきの言葉も周りに対するけん制である。

 そこで光が大きく動揺するのも変な話なので、必死に耐える。

「そうだな。俺も、お前との時間が増えそうで嬉しい限りだ。」

 なんとか言葉にした一言がこんなものなので、自分に呆れてしまう。周りから見て不自然だったとは思わないが、すごく自然な会話かと言われると頭を捻ってしまう。

(難しいもんだな。美少女の恋人を演じるってのは。)

 それも、ただの美少女ではなく天界の使者と呼ばれるほどの美貌を兼ね備える美少女だ。

 彼女も恋人のフリをするわけだからカップルのような言動を仕掛けてくる。

 果たして、その言動に耐えられるのだろうか、と光は肩を竦めるのだった……。

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