第3話 初めての野営
微睡みの中から僕はゆっくりと覚醒する。
窓から柔らかな朝陽が射しこんできて、少しずつ光の領域が部屋の中に拡がっていく。いよいよ、旅立ちの朝がやってきた。
身支度を終えると僕は新品の鉄製防具を身に着けて、少し慣れない重さをこの身に感じながら部屋を出る。
王城の入口に近づくと、既にローラさんとハンナが待っているのがわかる。僕はゆっくりしすぎていたのかもしれない。
笑顔で手を振る魔女っ子スタイルのハンナが可愛らしく、早くその場に行きたいと思って自然と駆け足になる。二人のもとに辿り着くと、ローラさんがまず口を開いた。
「これから、城の皆さんによる出発の見送りがあります。陛下も皇后様もヘンリー王子も来られますからね」
少しだけ僕は緊張していた。ただ、それを聞いた横にいるハンナの緊張度合いはレベルが違ったけれど。ちょっと顔が青ざめている。
「そうだね……この城で生まれ育って12年か。感慨深いし寂しいものがあるね」
「そうですわね。エリック様はまだ外の世界を知らないのですものね。王都から出たことはないでしょうし……」
「わ、わたし……陛下も皇后様も直接会うのは初めてなんです……! し、失礼の無いようにしないとっ……!」
「あはは、そこまで緊張しなくてもいいと思うよ? 父上も母上も優しい人だからね」
なんとかハンナの緊張を解くようにする。一呼吸置いて、僕たちは王城を出ていった。
入口には城内で働く人やメイドが左右に長い列を作り、盛大に出迎えてくれた。あちこちから別れを惜しむ声が飛んでくる。改めてここの人たちはいい人ばかりだなと思った。
その列を抜けると……もうこれが最後だ。父上や母上、そして兄弟たちが待ち構えていた。
「かわいい子には旅をさせよというが……いざ送り出すとなるとなかなか辛いものよなぁ。だが男にはやらねばならん時がある。今のそなたを成長させるにはこれしかないと思ったんじゃ。2年の間に出来る限り強くなって、立派になって戻ってくるのだぞ、エリック。ローラ、そなたにサポートは任せた。頼んだぞ」
「はい、父上。長い間ありがとうございました」
「お任せください、陛下」
父上は抜けたところも少しあるが、温和でカリスマ性のある立派な国王だとは思う。領民たちからも本当に慕われている。僕の目指すべき存在の一人なのは間違いない。
「寂しくなるわね、エリック。辛くなったらいつでも戻ってきなさいね? 私は待っていますから」
「お心遣いありがとうございます、母上」
母上は本当に優しい、というか慈悲深い人だ。この人の息子に生まれて本当に良かったと思っている。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、と言うだろう。少しでも成長した姿を私にも見せてくれ。お前が帰ってくるまでにさらにこの国を発展させてやるから楽しみに待っていろよ? 健闘を祈るぞ、エリック」
「はい、ヘンリー兄さん! 僕も兄さんに少しでも近づけるよう頑張ります!」
僕はヘンリー兄さんとガッチリ握手を交わした。兄弟の中で一番尊敬できる存在、それが長兄にして次期国王のヘンリー兄さんだ。
法学、経済学、兵法……ありとあらゆる学問に才能を発揮する知的でクールな兄さんは、周囲からの評価も非常に高い。
まだ22歳だけれど宰相とともに父上の補佐として活躍していて、この国の未来は明るい、あと30年は安泰とまで言われている。もちろん、僕が目指すべき存在の一人だ。
そして他の兄弟姉妹たちにも別れを告げて、いよいよ慣れ親しんだ王城、そして王都を旅立つ時が来た。
最後になって、父上が言い忘れたことがあると言ってきた。
「そうじゃな。次の目的地は商業都市ヴィディウムにしておいてある。そこまではプライベート馬車を出してやろう。そして金貨5枚と大銀貨100枚を渡しておく。これはローラが管理するように。あとは自分たちの力で道を切り開いてゆくのだぞ! そしてエリックよ。己の力に振り回されるな。血の加護は強力だが、使いすぎはお前の身体に負担を与えるからの。以上じゃ! 幸運を祈る!」
「「「はい!!!」」」
僕たちは馬車に乗り込み、最初の目的地である商業都市ヴィディウムへと向かって王城を飛び出した。
王都の外へ出て、街道を馬車は駈けていく。僕はローラさんに気になることを聞いてみることにした。
「ねえ、ローラさん。ここからヴィディウムまでってどれくらい?」
「そうですねぇ……一日半程度、ですかね? 元々私が冒険者時代に拠点としていたので馴染みのある街ではあります。商業都市だけあって、色々な行商がいたりお店があったりしますね。西にはグリーズランド連合公国、西北には海洋国家アルセア、北にはマクフィリス神聖王国があり、いずれも距離はそう遠くありません。まさに交通の要衝と言えるでしょうね」
なるほど、行ってみる価値は高そうだ。ローラさんが顔が利くのなら冒険者としての仕事や宿の問題も少しは楽になりそうだしね。
「教えてくれてありがとう。……それで、ハンナ。君はなんでずっと黙っているの?」
「は、はいっ……! 陛下たちとお話できて、心臓が口から飛び出しそうで……心が混乱しっぱなしなんですぅ……」
「そっか。まあしょうがない気はするけどね。いつも通り話してくれるとありがたいかな。あとローラさん、野営についてだけど」
「そうですわね。二人とも初めてですものね。一人が見張ってその間に眠る……という形になりますね。私としてはエリック様にさせるなんてとんでもないことだと思うところもありますが、冒険者としての基礎を積むためですからやっていただくこととします」
「わかった、ありがとう」
野営かぁ。僕はずっとお城暮らしだったからな。お坊ちゃん育ちが災いするかもしれない。ホームシックにならないように気をつけよう。
そんな感じで談笑をしながら、馬車は歩みを進めていった。
*
日は沈み、空はだんだんと暗くなってきている。街道沿いにちょうどいい広いスペースがある。ローラさんがここで野営をすることに決めた。
彼女は万能メイドだ。料理のスキルも抜群だ。
火を起こすとあっという間に保存食の干し肉のスープをつくっていった。同じく持ってきたパンと一緒に3人で食べる。
お城のシェフが作る料理に比べれば確かに物足りないけれど、それを言っていたら始まらない。僕はもう冒険者としてやっていくのだから、贅沢は言っていられない。
「美味しかったよ、ローラさん。何から何までありがとう」
「わたしもです! ローラさんってほんとなんでも出来てすごいですよね! わたしも早く追いつかないと……」
「お褒めいただきありがとうございます、エリック様。ハンナもありがとうね。さ、まずは私が見張りをしてきますから、ゆっくりと休んでいてくださいね」
ローラさんが闇へと歩き出すと、僕とハンナだけが焚き火の傍に残った。
しんとした森に、ぱちぱちと薪の爆ぜる音だけが響く。
見慣れた城ではありえない静けさだった。
沈黙が苦しいのか、ハンナが口を開く。
「……なんだか、不思議ですね。エリック様と、こんなふうに旅に出るなんて」
「うん。僕もまだ実感が湧かないよ。こうして星を見ながら外で眠るのも初めてだし」
ハンナは火の明かりで照らされた自分の手を見つめる。
「……わたし、エリック様の役に立てるでしょうか。わたしの魔法なんてまだまだ未熟で……」
「大丈夫だよ。君には才能がある。ローラさんだって言ってたし」
ハンナは小さく笑った。
その時、ふと彼女が僕の手元に視線を落とした。
「……エリック様、その……さっき少し木で指を引っかいてましたよね。血、まだ滲んでます」
「あ、本当だ」
無意識にしていたけれど、小さな傷から赤い点が一つだけ浮かんでいた。
ハンナは何かを思案するように眉を寄せた。
「……なんだか、変な気配を感じます。エリック様の血……すごく、温かい魔力を帯びているというか……」
「僕の血が?」
「うまく説明できないんですが……普通の人とは、違う感じがします」
ハンナがそう言った瞬間――
焚き火の向こうから、ローラさんの声が響いた。
「エリック様、ハンナ。何かあったのですか?」
ローラさんが戻ってきたのだ。
「いや、なんでもないよ」
「そうですか。次はハンナの番ですからね。頼むわよ?」
「は〜い。行ってきますぅ」
気だるげにハンナは返事をして、見張りへと向かっていった。
そして僕は短い惰眠を貪るのだった。
*
「あー、大変ですね! 見張りというのも。終わりました、エリック様!」
帰ってきたハンナの元気な声でふたたび僕は目を覚ます。いよいよ僕の番だ。
「むにゃむにゃ……じゃあ、行ってくるよ」
もうある程度睡眠は取れた。神経をしっかり使わないと。
今のところ、家族や王城のみんなと離れて寂しいと思うこともない。むしろこれからの生活がどうなるかの楽しみの方が大きかった。
……そんなことを考えながら見張りを続けていると、空がだんだんと白んできた。
もう大丈夫かな。僕は二人の元へと帰っていった。
「おはよう、二人共」
「「おはようございます、エリック様!!」」
二人は口を揃えて挨拶をしてきた。
「そうですね、朝ごはんの準備にしましょうか」
手早くローラさんの作った朝食を食べると、僕たちは再び馬車へと乗り込んだ。
馬車に揺られること数時間。視界の先に賑やかそうな街が見えてきた。
「ローラさん、もしかしてあそこが?」
「そうですわね、いよいよ到着です。”商業都市ヴィディウム”に」
王都以外で滞在する初めての街。新鮮な体験のスタートに、僕は心を躍らせていた。
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