急行の窓、ガラス越しの季節たち
それから豆美は結局、一度も綾香の家に渚の歌を聴きに行くことはなかった。
嫌だったのだ。何もせず、ただだらだらと日々を過ごしている自分と、勉強も夢も、どちらも必死になって努力している姉との差を、まざまざと突きつけられるようなのはもう二度とごめんだと、そう思っていた。
冷たい冬の季節が過ぎて、やがて春がやってくる。暖かな季節の到来を待ち望んでいた大地の草木は、青々とその萌芽の時を迎える。
渚は、豆美の前で演奏して見せたあの曲で、大手のレコード会社からデビューを果たすことが決まった。若干十八歳でのことだったので、世間は若き才能として、彼女のことを受け入れたということだ。
豆美の中でずっと引っかかっていたあのメロディについてのデジャブの謎は、家の中で祖父母が繰り返して渚の曲を流しているのを聴いているうちに解けてしまった。
あれはまだ豆美が、姉に対する劣等感や嫉妬といった類のドロドロとした気持ちを抱える以前の、純粋に姉と向き合えていた頃に、綾香の家で渚が遊び半分に弾いてみせた曲のメロディが原型になっていたのだ。もちろんあの、『わたしを連れ出して』には当時の単調さや稚拙さはすっかり取り去られているので、すぐに気づけなくても当然のことと思えた。
ただそうなると、姉が、いや渚がこうして歌手としてのデビューが決まったことの理由には、彼女の才能の部分が大きいのではないかと豆美には思われてならなかった。綾香は才能じゃないと言ったけれど、そうじゃない。豆美と渚の二人の間には、生まれついての差があったということだ。
豆美はそれから、いくらか真面目に授業を受けるようになった。成績も、目に見えてというほどの著しさはないにしても、こつこつと積み上がっていくものがあったのは確かだった。
豆美と渚の、二人の姉妹の生活は、すっかり変わってしまった。
今では豆美が部屋で勉強をしていて、渚は綾香の家でピアノやら歌やらのレッスンを受けている。綾香はもう自分の指導なんて必要ないと言っているみたいだけれど、渚はまだまだ自分は足りないものばかりだとそう返したそうだ。
これ以上、何が足りないというのだろう。どれだけのものを持てば、あいつは気が済むんだろう。私はもうこんなにも、自分の欠けている部分ばかり見せられてきたというのに。
進学の時期になって、豆美は寮生活のできる高校に進むことにした。その時には、姉の渚はもう上京してしまって、テレビでも取り上げられるほどになっていた。
二階の部屋のすべてはもう、豆美のものになっていた。それでも豆美は、あの家から、自分も早く出て行かなければと、そんな焦りを感じていた。
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